第43話

 少年はラクトと名乗り、両親もおらずニードとなったクルールはグリアの診療所で共に過ごすことになった。ラクトが何を思ってクルールを助けたのか知らないが、結果として彼等は家族となる。

 家族として過ごすうちに、クルールの心はどんどん偏りを見せ始める。家族は味方、それ以外の全ての存在が敵といったように、思い込み始めたのだ。とはいえ、悪魔憑きのほとんどが似たような考え方に陥るので、誰もそれを矯正しようとは思わなかった。


 ラクトは家族を傷つけられることを極端に恐れている。幼く力のないクルールは、何度も命を狙われ、そしてラクトによって助けられてきた。そんなこともあり、クルールはいつでもラクトの傍にいるようになる。傍から見れば単純に懐いているようにも見えるが、その内実は大きく異なる。


 クルールは、両親を殺されたあの日から、ラクトに殺されたがっていたのだ。最恐で最強にして最凶の悪魔であるラクトに殺される事こそ、自分のあるべき姿だと信じて疑わなかった。

 誰よりも強いその姿に感動を覚えた。誰よりも誇り高い姿に憧れた。あの炎の日見た立ち姿は、この世のどんな宝よりも美しい至高の存在。彼に殺されないのは、単純に自分が殺すに値しない人物でしかないからだと本気で思っていた。

 だからクルールは自分を鍛え、いつかラクトが本気で殺したいと思うくらい強くなることを決意する。実際、才能のあったクルールはメキメキと力を増していき、すぐにA級ニードとして頭角を現していく。

 だというのに、ラクトはいつまで経っても殺しに来てくれない。困惑した。だが、その強さはやはり神懸っており、魅了される。いつも後ろを付いていき、邪魔にならない様に相手を殺す姿をじっくり観察していた。自分ももっと強くなればラクトに殺されると本気で信じ続けていた。


 しかし、ある頃からラクトの行動に挙動不審なものが増えていく。いつもなら文句を言いつつクルールの動向を許してくれていた筈なのに、何かやましい事でもしているかのように彼を遠ざけるようになったのだ。

 毎日一人でフラフラっと出掛けては、機嫌良く帰ってくる。不審がるクルールだが、何を聞いても答えてくれない以上どうしようもなかった。


 どこまでも孤高の存在だったはずのラクトが自分達に近づいてきたようで、理想の姿と乖離していく姿は、クルールの心を次第に騒めかせる。

 そして決定的なのは、凶戦士(バーサーカー)と呼ばれる噂の悪魔憑きを殺して以来、ラクトが敵対した人物を殺さなくなったことだ。

 信じられない思いだった。敵対した相手には暴虐の限りを尽くし、例え許しを乞うても必ず殺してきた最凶の悪魔が、まるで弱い人間のようなことを言うなど許せるはずがない。

 原因を調査するため、これまでは控えていたラクトの周辺を徹底的に調べ始めた。そして一人の人間の女が関わっていることを知る。名前など覚える必要ない。ただラクトを自分から奪う女狐として、クルールは頭の隅に記憶した。


 日に日に溜まっていくストレス。牙の抜けて躾けられたライオンのように情けない顔をするラクト。それを止めようとしない家族達。

 そして、ついにラクトはレージェント診療所よりも、どこからともなく現れたぽっと出の女狐の下へ行くと言う。家族を捨てて、自分を捨てて人間のところに行くラクトに、裏切られた思いだった。

 今だけ、ちょっとした気の迷いだと信じた。何かに媚びるような生き方など、ラクトに出来るとは思えなかった。どうせすぐに戻ってきて、血に飢えたように悪魔憑き達を滅ぼしに動くだろうと確信していた。

 だが結局、一年経っても、二年経ってもラクトは帰ってこない。聞こえてくる噂はいつも悪魔憑きを捕える稀有なニードということのみ。同じ街に住んでいるのだから会うことは簡単だが、腑抜けたラクトなど見たくもなかった。


 いつも頭の隅である言葉が反芻する。ラクトを奪った人間を殺せば、全てが解決するぞ、と。それが悪魔の囁きだということは分かっていた。だからこそ、聞こえない振りをし続けた。ラクトに殺されるとき、自分が悪魔憑きに堕ちていては駄目なのだ。

 ちゃんとクルールという、一人の存在をラクトが見て、その上で殺されなければならない。それがクルールの望みなのだから。

 それに例え堕ちなくても、人間に危害を加えたニードを許してくれるような優しい世界でないことは、ずっと昔から知っていた。自分が指名手配されれば、グリアや他の家族にも迷惑がかかる。世界が滅びようと気にはしないが、家族に迷惑をかける事だけは出来る限りしたくないと思っていた。

 だがそれも、長くは持たなかった。聞けば聞くほど弱くなっていくラクトに、我慢の限界が来てしまったのだ。


 そして女を誘拐し、ラクトを誘き寄せた。人間味に溢れる情けない顔を見せた時、クルールは抑えようがないほどの苛立ちを感じたが、それ以上に彼が本気で殺しに来たときの脆弱さには絶望すら超えて夢なのではないかと現実を否定しかけてしまう。

 だがそれも、女を殺したときに現れた本気のラクトを見て歓喜に変わる。怒りに満ちたラクトは今まで見たこともないほど濃厚な殺気と圧倒的な力を見せつけて、クルールを殺しに来た。


 これだ、これを待っていたのだと、かつてない興奮と共に真っ向からぶつかり合う。そしてクルールの期待通り、十年以上鍛え上げてきた力は全く通用せず、殺されるあと一歩のところまで来た。

 だというのに、最後の最後でラクトはクルールを殺さなかった。それが家族を殺せなかったせいか、それとも死んだ女の約束を律儀に守っているのかは分からない。一つ言えることは、クルールにとって自分を殺すことに躊躇ううちは殺されてやるわけにはいかなかった。


 捕まれば二度と、ラクトに殺されることなく実験動物になってしまう。だから逃げた。闇に生きて、次の機会を待つ。願うならば、今回の出来事がラクトの目を覚まして、最強の悪魔憑きとして復活することを思いながら。

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