第39話
屋敷でマーシアスの遺体が発見されたと言う報告を受けたラクトは、リングベルトの街を徘徊してレジーナを探し出そうとしていた。しかしそれも徒労に終わる。何故なら彼女は街の中心で暴れ、隠れるということを一切しなかったからだ。
「よう、会いたかったぜ吸血鬼」
「あー……あー……」
「もう言葉も話せねえのか……」
ゆらゆらと風に揺れる長い金髪。ほぼ毎日見ている、レオナそっくりの容貌。肌の皺など多少の違いがあるものの、血縁関係は良く読み取れる。全く違うのは、まるで死人の如く濁った暗い瞳くらいのものだ。
残念ながら、彼女は完全に堕ちてしまっている。どうやら知性の少ないタイプの悪魔が憑りついているようで、殺すか、捕獲するにしても完全に気絶させる以外に方法はない。
広場にはすでに人はおらず、残っているのはレジーナに捕まった哀れ少女だけだ。
「あー……あー……あー!」
余りの恐怖気絶してしまったのか、レジーナが抱えている少女はピクリとも動かない。彼女にとってそれが良かったのか悪かったのかわからないが、これからの事に怯える必要がないと言う意味では、良かったのだろう。
レジーナが少女の首に噛み付き、そのままその生き血を吸い取り始めたからだ。
ビクンッと一瞬跳ねたが最後、少女の顔色はどんどん悪くなっていき、蒼白へと変わっていく。それとは対照的に、レジーナの肌が若返り始める。
「まんま『吸血鬼』じゃねえか……」
「あー……あー……」
ある程度血を吸って満足したのか、レジーナは少女を捨てた。恐らくもう手遅れだろう。別に見知らぬ他人がどうなろうと知ったこっちゃないが、それでも気分は悪い。
「あんたには同情するけどよ、これ以上被害が広がって迷惑かけられると困るやつが出てくるんだ。だから、悪いが捕まってもらうぜ」
「あーっ!」
そして体の奥から魔気を練り上げると、黒いオーラがラクトの身を包む。その危険性を本能で察したのか、今ままで見向きもしなかったレジーナがラクトを警戒し始めた。だが――
「おせぇ……」
「ッ――!?」
一瞬で間合いを詰めたラクトはその顔面を掌で掴むと、そのまま地面に叩き付ける。大したダメージになっていないのか、レジーナは力強く暴れるも、ラクトの拘束を外すことが出来ないでいた。
「フーッ! フーッ!」
「大人しく……しろ!」
「ガッ――!?」
空いた手で握り拳を作ると、その腕を一気に振り下ろす。みぞおちに綺麗に入ったその一撃でレジーナは内臓を痛めたのか、血を吐きだした。もっとも、この程度で動きが鈍るほど堕ちた悪魔憑きというのは優しい生き物ではない事を知っていたので、更に数発拳を入れると、レゾーナは完全に動かなくなった。
「……まだだな」
気絶したように見えるが、これが生存本能が成す演技だと確信したラクトは容赦しない。とりあえず右腕を折る。再び暴れ始めるがこの程度の怪我は自然に治癒されるので、同情もせずに反対側の腕も折った。まるで感情を失ったように、ラクトは淡々と。
もはや美しい顔は醜悪に歪み、血と唾を吐き出しながら怨嗟の声を上げるが、両腕はだらんと地面に落ち、動かすことも出来ない状況だ。それを聞いても、ラクトの冷徹な瞳を揺らすことは出来なかった。
「逃げられるわけにもいかねえんだよ」
そしてようやくレジーナを地面に押し付けていた手を放すと、彼女は逃げる様に立ち上がる。が、それより速く彼女の足に蹴りを入れてその肉を潰した。急に片足に力が入らなくなったレジーナはそのまま地面に転げ落ち、まるで芋虫のようにしか動けなくなる。
「あー……あー……」
もはや情けない声しか上げられないレジーナは、必死に這いつくばりながらラクトから離れようとする。そんな彼女を醒めた目で見下ろしてから、その背中を勢いよく踏みつけた。声にならない声を上げて、ようやく吸血鬼と呼ばれた悪魔憑きは動きを止める。
「……ふう、やっぱ生け捕りより殺す方がよっぽど楽だぜ……」
だが、今は亡きリフォンと約束した。もう二度と悪魔も人間も殺さないと。だが悪魔憑き、特に完全に堕ちて理性が無くなった彼等を止めるなら徹底的にやらなければならない。それこそ、死んだ方が楽だと思うほど。そうでなければ止まらないのだ。
出来る限り感情を殺して行ったが、それでも胸糞悪い気分になる。普通の悪魔憑きならそんなに気にしないのだが、今回の相手はレオナに似ているということもあって余計に気疲れしてしまった。
街灯がパチパチと音を立てて虫を焼き、風がカラカラと空き缶を転がしている。この場には自分と悪魔憑きであるレジーナしか存在せず、日常と乖離した空間が出来上がっていた。空を仰ぐと、大きな満月が街を見下ろしている。
「やあラクト。今夜はずいぶんと月が綺麗だね」
不意に、脳裏を穿つ声が聞こえてきて、ラクトはとっさに振り向いた。そしてそこにいるはずのない人物を目にして驚愕に体が震える。
「テ……メェ……」
「そろそろいい具合に仕上がってきたんじゃないかな? その顔は昔に戻ったみたいで、少し嬉しいよ」
子供の様に無邪気なその瞳はよく見れば狂気に彩られ、見る物を威圧する。だがラクトはそんなものに今更委縮するような男でもない。それでも、クルールを見る瞳には怒りと、そして恐怖が宿っていた。
「なんだかこうしてると一年前を思い出すよ。覚えてるかな? 僕達が殺し合った、あの雨の日を」
ラクトの視線の先は、クルールの腕に固定されていた。
なぜならそこには、グリアに守ってもらっているはずのレオナが、ぐったりと気を失って抱き抱えられていたのだから。
その姿はラクトにとって一年前の過去を思い出させる、最悪で最低の状況だった。
雲一つない空から明るい満月が街を照らしている中、ラクトとクルールが睨み合う。一方は瞳に憎しみと恐怖を乗せて黒い魔気を纏い、もう一方は愉悦と切望を乗せて白い魔気を纏う。
二人の間に沈黙が流れる中、先に口を開いたのは、ラクトだった。
「……グリアは、どうした?」
「生きてるよ。けど、結構重症だからもう動けないかな」
予想通りであり、そして予想外の解答だった。すでに第一線から身をを引いたとはいえ、グリアの実力は依然として悪魔憑きの中でもトップクラスだ。だからこそ、安心してレオナを任せていたのだが、どうやらクルールの方が上手だったようらしい。
流石に無傷とは言わないが、大した傷もなくこの場に現れたクルールの実力はラクトの想像を超えているのかもしれない。だからと言って、このまま逃げるわけにはいかなかった。怒りのあまり声が震えてしまうが、動揺を悟られるわけにはいかない。
「レオナを……返せ」
「別にいいよ。もうこの雌の心臓、斬っちゃったし」
「――っ!」
ニヤァ、と口を半月状に歪ませるながら片手で持った白銀の剣を見せびらかす。レオナの体には傷などついていない。しかしその剣の効果をラクトは知っていた。
フラッシュバックする記憶。リフォンを救うことが出来たと安堵した瞬間、声もなく鮮血が舞う。心臓を突き刺され、何が起きたのかも分からないままこの世を去ってしまったこの世で一番大切な少女。
「くふふふ……いいねぇその顔、あの時の事を思い出しちゃったかな? だいぶ昔の顔つきに戻ってきてるよ。これでこの女を殺したら、どうなっちゃうんだろうねぇ」
やめろ、そう言って止まる奴ではないことは、何年も一緒に過ごしてきたのだから分かっている。すでにレオナがクルールの手にかかっている以上、ラクトに出来ることと言えば、懇願することだけだった。
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