第六章 歪んだ愛情
第38話
姿を消していたレオナの祖父、マーシアス・グレイナスが発見されたのは、ラクトとクルールと出会ってから二日後のことであった。
人目を避ける様にリングベルトの郊外に建てられた一軒家。そこには逆十字のように壁に張り付けられ、生き血を全て啜られた老人の死体が一つ。警察はこれをマーシアス本人と断定し、また彼が残した日記から一連の事件の黒幕であったことが判明した。
「結局、人間に悪魔憑きを制御することなんて出来ないんだよな」
「先輩……どうしてここまでして、人は欲望を叶えようとするんでしょうか?」
「さてね、俺は上手い飯と酒が飲めれば嬉しいし、金がなければギャンブルしてでも欲しいと思う。けど、だからって誰かを殺したいとは思ったことねえからわからんよ」
ヴァイゼとハルトは現場検証を行いながら、隠れ家の地下室に存在する拷問部屋のような場所を調査する。拷問道具が使われた様子はないが、拘束具をには無理やり引き千切られた形跡が残っており、つい先日までここで『何か』を捕えていたようだ。
そしてその『何か』が『吸血鬼』であることも、日記には書いてあった。
「結局、マーシアスは自分が飼っていた犬の手を噛まれた結果になったわけですから自業自得とはいえ、惨いものですね」
「飼い犬なんて可愛い表現するじゃねえかハルト」
「それくらい軽口を言わないと、この場じゃ吐きそうなんです。察してください」
マーシアスの日記は、ラクトからヴァイゼに報告された可能性の結果を裏付けるものとなった。
動機は復讐。自分を蹴落とした者達に対して、恨みの言葉を綴ってある呪いの日記だ。だが金があっても権力のないマーシアスには、防犯設備の整ったグレイナス・カンパニーの重役達を全員殺すことは出来なかった。
そこで目に付けたのが悪魔憑きだ。それも、自分の言うことをきちんと聞く悪魔憑き。本来ならばそんな都合のいい者など存在するはずがない。それが出来るならこうして今も悪魔憑き事件に悩まされる人々の数も相当減少するだろう。だが本当に恐ろしいのは人間の執念の結果なのか、マーシアスは手に入れた。最高の条件を持つ悪魔憑きを。
それがレジーナ・グレイナス。マーシアスの妻であり、レオナの祖母だ。彼女はその身に悪魔を宿していた。マーシアスがどうやってそれを知ったのかまでは書いていなかったが、彼女を悪魔憑きに落とした経緯は細かく書かれていた。
すなわち、洗脳。すでに七十になるであろうレジーナは、マーシアスによって動けない様に監禁され、そしてグレイナス・カンパニーの重役達に憎しみを持つように誘導させられていった。そして憎しみを欲望に変えていったレジーナは、悪魔憑きとして堕ちることとなる。
自己保険の為に雇ったニードを脇に置き、地下室から解き放ったレジーナは期待通り一気に駆け出し、マーシアスの息子夫妻を虐殺。これに満足したマーシアスだが、ここで誤算が起きる。檻から解き放たれたレジーナが逃走してしまったのだ。
これでは不味いと思ったマーシアスはすぐに手持ちのニードを使って彼女を捕獲した。しかしあまりに暴れ、理性を無くした獣同様のレジーナでは、とても予定通りグレイナス・カンパニーの重役達を殺害出来るとは思えなかった。
それでももう引くことは出来ない、そう思ったマーシアスは傍にいるニードに莫大な金と共に悪魔の依頼をする。すなわち、ニードによる人間の殺害依頼。
本来ニードが一般人に手をかければ、一夜にして指名手配され、一月も生きていられないだろう。それはニードにとって最も禁忌に近い依頼。だがそのニード――クルールは笑顔でその依頼に応じたらしい。結果、たった一日でマーシアスの望み通り、重役達の魂はこの世から消え去ることとなった。
そしてすべての復讐が完了し、満足したマーシアスはそこでようやく我に返る。自分は一体なにをやっているのだろう、と。確かに憎い者達を殺して溜飲を下げることは出来た。だが、それは愛する妻や子供達を不幸にしてまで欲しいと願っていた結果なのだろうか。
そう考えてしまっては、もう止まることが出来ない。ひたすら後悔と苦悩の日々が過ぎていく。その様子やとても言葉に出来るものではなく、まるで狂人のように日記に自分の思いの丈を書く殴られていた。
そして、思い出すのは最後の理性とも言える出来事。マーシアスは息子夫妻にレジーナをけしかける際、孫のレオナだけは逃がしていたのだ。逃がしていたと言っても、当時は孫のレオナでさえ憎しみの対象であったこともあり、ダストボックスと呼ばれる犯罪者の巣窟に捨てていたのだが、それでも彼にとっては殺さないことだけが唯一の理性だった。
すぐさまクルールにレオナを探して連れてくるよう命令するが、結果として彼女らしき人物はダストボックス内には存在しなかった。馬鹿な、と慄くマーシアスだが、実際はとある人物によってすでに連れ去られた後だという情報を得る。
その情報を基にレオナを発見したクルールは歓喜した。必要としている人物が、探している人物と共にいる。これこそまさに運命だと豪語する彼の狂乱にマーシアスですら恐怖を感じてしまう。
レオナが無事であるという情報に喜びもあるが、それ以上に共にいる人物が不味かった。かつて世界を震撼させた最悪のニードだと分かると、マーシアスとはいえ自分の手には余る。すでにニードとして自分を追っているならなおさらだ。
だからこそ、クルールにレオナを連れてくるよう新たな依頼をした。最後にレオナと話し、全てを打ち明け、そして死のうと決めていたのだ。全ての遺産はレオナに行くように準備もしてある。これが復讐に狂った男の、最後の贖罪だった。
「結局、最後に一目嬢ちゃんを見る前に殺されちまったわけだが……」
ヴァイゼはやるせない表情で、日記を閉じた。最後にマーシアスがどうなったのかは綴られていないが、状況を見れば分かる。
「でも、おかしくないですか? もしここに吸血鬼が拘束されていたなら、リングベルトの街で時折見かける吸血鬼と別人ってことに……」
「いや、日記には時々食事の為にレジーナを放していたって書いてある。もちろん、クルールの野郎と一緒にな。手練れのニードが簡単に返り討ちに合ってて妙だと思ったが、裏にこんな化け物が潜んでいたらしい」
「元A級ニード、クルール・レージェント。今じゃもっとも危険な人物として指名手配されてるうちの一人ですね」
「ああ、どうやらマーシアスはクルールの素性を知らなかったみたいだがな……しっかし面倒臭え……吸血鬼もなんでこんなタイミングで逃げ出してんだよ……」
煙草の煙を漠然と眺めながら、ヴァイゼはこれからのことに溜息は吐いていた。世の中、ままならない事ばかりだと、目を細める。
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