第31話
リングベルトの街にいくつかある路地裏。ホームレスや薬売り、マフィア崩れなどが集まっている界隈で、まともな人間など一人も居ない場所だ。そんな犯罪者達の巣窟では余程のことが起きない限り、人が集まることはない。だがこの日はたった一人の青年が現れたことで場が騒然とし、集まった者共も動揺を隠せないでいた。
凄まじい勢いで、一人の男が吹き飛ばされる。飛ばされた男の体格は二メートルを超えており、明らかに喧嘩慣れした風貌だった。この路地裏の主とも言える存在で、力と金がすべてのこの場所で頂点に立つ存在だ。
男の強さはこの路地裏に潜んでいる者達なら誰でも知っている。もちろん男がニードであり、その力を自由に振るえることも知られていた。本来ならば差別されるべき側である男だが、ここでは誰も男に逆らわない。なぜならここはダストボックスと同様、力がすべてだからだ。どんな力であろうと、力は力。男は確かにこの場所においてリーダーであり、最強の男だった。
そんな男が一方的に嬲られている姿を見て、路地裏の住人達は戦々恐々といった様子でもう片方の人物を見る。
男と対峙するのはまだ若い青年だ。年としてはまだ二十歳に届いていないだろう。ボサボサの黒髪をかきあげ、苛立ち交じりの表情で倒れた男の喉を踏むと、そのままグリグリと硬いコンクリートに押し付ける。
「がっ……グェっ……ヒュデュビデ……」
「ふん」
男は苦悶の表情をしながら許しを請うが、青年はそれをつまらなそうに一瞥すると、より一層足に力を籠める。そして一度足を上げ、ようやく満足に呼吸が出来るようになった男がホッとしたのも束の間、一気に上げた足を男の腹部に向かって落とした。
「ガァっ!」
内臓が傷付けられたのか、男は口から血を吐き出し苦しそうに咳き込みした後、白目を向いて気絶してしまう。だらしなく手足を放り出し、見るも無残な姿で痙攣していた。
「なんだこいつ。この程度で俺達に喧嘩売って来たのかよ」
「いやぁラクト。今じゃこんな姿だけど、これでもギリギリA級くらいの実力はあったんじゃないかな?」
「ふぅん。まあ、どうでもいいか」
ガシ、ガシ、と倒れている男の両足を踏みつぶすと、肉が潰れ骨が砕ける音が路地裏に響き渡る。男は出来の悪い人形のようにビクンと一瞬体を跳ねさせるだけで、もはや人としての状態を維持できていなかった。
ラクトはそこまでやってようやく男から視線を外すと、背を向けて歩き出した。後ろで見ていたクルールは、その様子を意外そうな顔をする。
「あれ? 珍しい。殺さないんだ」
「もうこいつは二度と動けねえ。誰かに助けられねえ限り、ネズミの餌になって生きたまま食われるだろうよ」
ラクトはわざと周囲の人間に聞こえるように言う。一度立ち止まってから、すっと一睨みすると野次馬達は視線を逸らせ、蜘蛛の子を散らす様に逃げ去って行った。もうこの路地裏でこの男を助けるような者は現れないだろう。それを確認してから再び歩き出す。
「うわぉ。考えることがえげつないね。流石は『純粋悪魔(ピュア・ブラック)』」
「一々うるせえな。大体お前はなんで付いて来てんだよ」
「そりゃあ君の勇姿をこの目で焼き付けるためさ。うん、来てよかったよ。やっぱり君は世界一格好いいね」
「気持ちわりぃ……」
笑顔で付いて来るクルールをうんざりした様子で一瞥した後、ラクトは路地裏の外に向かって歩き出した。
「しっかし君も相変わらず仲間思いだ。聞けば今回の件もダンが喧嘩で負けただけだろ? しかもグリアが言うには大した怪我でもないっていうし、しかも今回の相手はバックに結構な大物が控えてるらしいよ」
「ふん。誰であろうと俺の仲間を傷付けるやつは誰であろうと絶対に許さねぇ。二度と逆らえないくらい徹底的にやっとくのが丁度いいんだよ」
「ふふふ、いいねぇ。ま、何かあったら教えてよ。僕も協力するからさ」
「必要ねぇ」
二人がレージェント診療所に戻ると、リビングからグリアが顔を出した。
「おお、二人ともお帰り。どうじゃった?」
「相変わらず圧勝だよ。ラクトが相手を潰しておしまいさ」
「うーむ、今回のは中々の奴じゃった筈じゃが、ますます強くなっとるのぉ。もう儂でも勝てんかもしれんな」
「グリアより強くなったらラクトが最強だね」
「別に最強とか興味ねえし」
満足そうに頷くグリアと、その言葉を聞いて自分のことの様に笑顔になるクルール。そしてそんな二人を見ながら、特に興味を示さないラクト。他にも後三人この診療所に住んでいる。みんな幼い頃悪魔憑きとして親に捨てられ、グリアに拾われた者達だ。
彼らは血の繋がりこそないが、本物の家族のように毎日を共にし、笑い、プライドを守るために戦い続けていた。
ラクトはこんな日常が好きだった。グリアに拾われて以来、徐々に増えていく家族を守るのが最年長である自分の役目であり、仲間達を傷つけるやつは決して許す気はない。
「おお、そういえばカップ麺がもうないんじゃった。ちょっとすまんが買ってきてくれんか?」
「ちっ、しゃーねーな」
「あ、僕も――」
「今日の晩飯担当はお前だろ。不味いもん作ったら承知しねえぞ」
「あっ……」
捨てられた子犬の様に情けない視線が背後から感じるが、それを無視することにした。何かと自分についてきたがるクルールを押し止め、ラクトはソファから立ち上がると診療所を後にする。
診療所内で最もラクトを慕い、出来る限り傍に居ようとするクルールに、ラクトとしても流石にうんざりしていた。別に彼を嫌いなわけではないのだが、流石に自分一人の時間が欲しいと思うときがあるからだ。
そうしてグリアが好みそうな味を適当に見繕い、スーパーから出た帰り道、あまり早く帰るのも微妙だなと思ったラクトは近くの公園のベンチに座りしばらくボーとする。
まだ太陽が沈み切っていないためか、公園にはちらほら子供達が遊んでいるのが見えた。自分があのくらいの頃は何やってたっけ、と柄にもなく考えていると、子供の一人が近づいてくる。どうやら足元に転がってきたサッカーボールを取りにきているようだ。
ラクトも他のニードと同様人間嫌いだが、だからと言ってこんな子供までどうこう言うほど落ちぶれていはいなかった。普通に足元のボールを拾い上げると、近寄ってくる子供に渡してやろうとする。
「ひっ!」
しかしどうやら子供から見ればラクトは怖い存在だったらしい。元々持っている雰囲気や気配は、恐怖に敏感な子供達からすれば余計に怖く映ったようだ。見慣れた光景と言えばそうだが、まだ何もしていない内から怯えられると少しだけ傷付いた。
「はあ……」
一つ溜息を吐くと、これ以上怯えさせる前に転がして渡そう。そう決めた時だった。
「ちょっとあなた。子供を怖がらせてどうするんですか!」
「あぁ?」
「な、なんですか!? そんな声出したって怖くもなんともないんですからね!」
唐突に背後からラクトを叱るような声が聞こえてきた。ほぼ不意打ちだったため、特に威嚇とかは考えていなかったのだが、思った以上に低い声が出てしまった。そのせいだろうか、余計に誤解が広がってしまったような気がする。
ボールを子供に渡して背後を睨みつけると、そこにはやや怯えた表情をしつつ、決してラクトから目を離さない少女が立っていた。
年齢はラクトとそう離れておらず、おそらく一つか二つ上といった所だろう。腰まで伸びた栗色の髪の毛を三つ編みにしていて、私怒っていますオーラをふんだんに出そうとしていた。もっとも、元々持っているであろう小動物的なオーラのせいでどうも迫力に欠ける。店名の書かれた黒いエプロンと手に持った買い物籠から見える野菜から、どこかの飲食店の買い出しの途中だろうと予想出来る。
「……別に、怖がらせるつもりとかなかったんだが」
「へ?」
「たまたまボールが転がってきたから、返してやろうと思ってただけだ」
「えー、あー、その……勘違いしてごめんなさい」
どうやら自分の早とちりだったと気付いた少女は、素直に頭を下げて謝ってきた。こういう風に素直に頭を下げられる人間を、ラクトは嫌いじゃなかった。もっとも、このような態度を取るのも自分がニードであると言うことを知らないからだろうと考える。
「まあ、別に気にしてない」
本当に気にしていなかったのだが、いつも通りぶっきらぼうな言い方になってしまい、余計に彼女は身を縮こませる。
「うー、本当にごめんね」
「だから気にしてねえって」
「でも……あ、そうだ。君、もうご飯食べた?」
「はっ? いや、まだ。つーか六時にもなってねえのに普通食べてねえだろ」
「だよねだよね! じゃあうちの店でご飯食べて行きなよ! 勝手に不審者扱いしたお詫びに奢るからさ!
」
「はっ? っておい。お前勝手に決め――」
「ほら早く早く!」
少女は無理やりラクトを立ち上がらせると、そのままグイグイ押してくる。ここ数年の暴れっぷりでラクトの事を知らない者はごく少数まで減っていた為、こうして人間に絡まれることなどほとんどなかった。
慣れない出来事のせいで反応が遅れ、いつの間にか流れで彼女の店まで行くことになってしまう。
「ま、ただで飯食えるなら別に断る必要もねえか……」
「ん? なんか言った?」
「何でもねえよ」
「そう? あ、そういえば君、名前なんて言うの? ちなみにあたしはリフォン!」
「……ラクトだ」
「いい名前だね!」
リフォンとラクト、初めての出会いは本当に偶然だった。この出会いが自身の考え方が変えることになるとは、この時のラクトは微塵にも思っていなかった。
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