第五章 過去

第30話

 街の急変に慌ててやって来た警察の中には、ヴァイゼとハルトの姿もあった。ハルトはレオナを見ると気まずそうな顔をし、決して近づいてくることはなく、ただ荒れた街並みを見て悔しそうな顔をする。そしてヴァイゼに事情を話したラクト達はその場で解放され、特に御咎めなしとなった。

 その後、グリアの診療所に戻ってきたラクトは、そのまま言葉もなく自分の部屋に戻っていく。


 明らかにいつもと違う態度に心配していたレオナだったが、彼女自身、祖父が今回の事件に関与しているという事実を受け入れがたく、頭の中がグチャグチャになって上手く言葉に出来なかった。

 唯一いつも通りのグリアは特に関与する気はないのか、二人が言葉を発しないことに気にした様子を見せず、特に言葉をかけてくることもない。カップラーメンを二人分用意すると、片方をレオナに差し出してきた。


 正直、何かを食べたい気分ではなかったが、与えられた物を粗末にするのも悪いと思い、素直に食べることにした。シーフード味はあまりレオナの好みではなかったが、そもそもまともに味を感じれるような精神状態ではなかったので、気にしないことにした。


 食事後、シャワーで汗を流し部屋に戻ったレオナは、電気も付けずに一人布団を抱き抱えて考える。

 ラクトとクルールには何かしらの因縁がある。その中身が何かまではレオナにも分からないが、決していい話の類ではないだろう。きっとラクトも、クルールと何があったかなど話したくもないに違いない。出会っただけで明らかに感情の乱れを引き起こし、言葉一つで爆発的な殺気を放ってしまうほどなのだ。




 思い出したくない過去、話したくない出来事など、きっと誰にでもある。ならば気になるから、という理由で無理にその内容を聞きだすことなどない。

 それにレオナには他にも考えなければならない出来事があった。自分の祖父が今回の事件の大本であるということ。そしてどうやらクルールの狙いは自分にあるらしいということ。あの凍てついた氷のように冷たい視線は、思い出すだけで身の毛がよだつ。

 何故自分があんな化け物に狙われなければならないのか。一体自分が何をしたというのか、知っている人がいるなら教えて欲しい。


「……そんなの……今更よね」


 この二週間、体験した出来事は本当に人生の中でも最低だ。

 訳も分からず誘拐されて、強姦されそうになり、家に帰ろうとしただけで銃を突きつけられ、やっと家に着いたら家族は殺されていた。それからしばらくして、自分が悪魔憑きになってしまったという事実を聞かされて、一人で泣いていると別の悪魔憑きに襲われた。そして今日、家族を殺したのが自分の祖父だと知り、しかもまた変な悪魔憑きに誘拐されそうになった。


 まるで運命を司る神様がレオナの人生を弄び、徹底して彼女を不幸にして楽しんでいるようだ。

 ラクトがいなければ、汚い男達によって抵抗することも出来ずに犯され、家に帰ることも出来ずに悲惨な最期を迎えていただろう。ラクトがいなければ、家族を殺された現場に立った瞬間、悪魔憑きとして堕ちていたに違いない。ラクトがいなければ、今日また誘拐され、何か酷い目に合っていた可能性がある。

 ラクトがいなければ、ラクトがいなければ――


「ラクトが、いてくれたから……」


 抱え込んでいた布団をぎゅっと力強く抱きしめる。

 自分を連れ去ろうとしたクルールに、ラクトがあれほどの怒りを示してくれてのは、凄く嬉しかった。確かにあの時のラクトは今まで見たことないほど怒りに支配されていて、怖かった。だがそれ以上に、彼が自分を守ってくれているという事実が、喜びを与えていたのだ。

 一人で眠れない時、彼が自分を受け入れてくれて隣で寝てくれたから、安心して眠れるようになった。いつも見えない何かに背中を見られている感覚があるが、それもラクトの傍に居れば怖くない。不安を抱えているとき、ラクトはいつも笑って助けてくれた。辛いときはいつも傍で安心させてくれるのだ。


 そして――今日の帰り道で見たラクトの後ろ姿は、道に迷った子供が涙を堪えながら母親を探しているように、とても小さく見えた。そんなラクトにレオナは何も声をかけることも出来ず、今更ながらに後悔する。どうしてあの時一言でも、彼に言葉を与えることが出来なかったのだ、と。

 考えなければならないことは沢山ある。だがそんなもの、今まで助けてくれたラクトの抱えている悩みに比べれば、すべて些細なものだ。 

 ラクトを助けたい。そうレオナは一人、己の中で決意を固めると顔を上げる。その瞳には強い力強さが残っており、暗闇でなお輝きを放っていた。




 深夜になり、明るさを保っていた街の住民達が眠りにつき始める時間帯。部屋に戻ったラクトはベットに寝転ぶと、両手を頭の後ろにおいて天井を眺めていた。一人になってようやく、自分の心に整理が出来始めていた。


「……やっちまったなぁ」


 今日の事を思い出しながら、溜息を吐く。ここまで感情的になったのはいつ以来だろうと考え、すぐに結論が出る。クルールのことを思い出すと、どうしても怒りを抑えることが出来なかった。その事実を喜んでいる自分に気が付き、彼の内心は複雑だ。


「我ながら女々しいというべきか、何と言うか……ん?」


 コンコン、と控えめなノックオンが聞こえ、体を起こして視線を扉に向ける。返事を待たずに入ってきた人物を見て、ラクトは少しだけ意外そうな顔をしてしまった。今日の出来事を考えれば、正直顔を合わす事すら難しいと思っていたからだ。


「ねえ……少し話したいんだけど、大丈夫?」

「……ああ」


 いつもなら当たり前の顔で入ってくるレオナだが、今日はどこか余所余所しい。やはり先ほどの出来事を引き摺っているのは目に見えた。とはいえ、ラクト自身ある程度感情も落ち着いてきた今、彼女を拒む理由もないので、そのまま部屋に招き入れる。

 レオナの格好はいつでも寝れるように、蒼い浴衣に着替えられていた。彼女はそのままラクトの隣に座り込むと、黙ったままそっと手を重ねてきた。その手が震えているのが分かる。

 寝るだけならそのまま布団に入ってしまえばいいし、いつもそうしてきたはずだ。わざわざ話があると言ってきたくらいなのだから、きっと何か覚悟のいる話なのだろう。ラクトはレオナが何かを言うまでずっと待ち続けていた。

 しばらく無言の時間が過ぎ、目覚まし時計の秒針の音だけが静かな部屋の中で木霊する。


「あの……さ、教えてくれない? アンタと今日会った男、それに、リフォンって人の間で何があったのか」

「…………」


 それは、正直あまり話したくない内容だった。ラクトにとってクルールやリフォンとの出来事は、いい思い出も悪い思い出もグチャグチャになって混ざり合った、複雑な思いの残る出来事だからだ。

 ラクトがあまりいい感情を表に出していないのが分かったのだろう。繋がっているレオナの手に力が籠る。レオナと視線が合うと、その瞳に真剣さが伝わってくる。どうやら興味本位や適当な思いで聞いているわけではないのはラクトにも分かった。

 いつまでも黙り込んでいると、レオナから不安の感情が流れ込んできた。だがそれでも彼女は顔に出さない。ただただラクトからの返答を待っていた。


「……お願い」

「…………別に、面白い話なんて欠片もねえぞ」


 そう前置きしてから、ようやくラクトは重い口を開くことになる。リフォンと出会った、三年前の出来事を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る