第27話
必要な情報を手に入れたラクト達が外に出ると、無限に広がる蒼穹は茜色に染まり、薄ら月が顔を出し始めていた。すでに時刻は五時を回り、あと一時間もすれば完全なる闇がリングベルトの街を支配するだろう。
帰り道を歩きながら、ラクトは隣のレオナを見る。マスターから得た情報を見てからの彼女は顔を蒼白にし、今も心ここにあらずといった様子だ。
無理もない、とラクトは思う。鞄に詰めた書類には、レオナが想像もしていなかったであろう事実が書き記されていたのだから。自然と先ほどまで話していたマスターの言葉が蘇る。
――一連の吸血鬼事件の黒幕はマーシアス・グレイナス。つまりそこの嬢ちゃんの爺さんである可能性が非常に高い。
これがマスター達情報屋の出した結論。実際の実行犯である吸血鬼は違うだろうが、その大本は恐らくそうだろうというものだった。動機もはっきりしている。
レオナの父であり、マーシアスの息子であるカルロス・グレイナスを含めた現役員達によって、グレイナス・カンパニーの社長の座を無理やり引退させられたのだ。
どこから仕入れた情報なのか、当時のマーシアスはかなり過激な男で、役員達の意見など聞かずワンマン経営を行っていたらしい。マーシアス自身、自分の手腕に自信もあり、たった一代で世界に名を知られる大企業に成長させたという実績があったのだろう。だが、そんな彼の経営方法に危惧したのが、当時のカルロスと他の役員達だ。
一年前、六十を超えてもなお剛健なマーシアスだったが、突如受けた覚えのない健康診断の結果を突きつけられ、これ以上の仕事は体に支障が生じるということで、半ば無理やり引退させられた形になった。
当然、マーシアスはそんなことを許容するような穏やかな人物ではない。役員達と対立することになると、あの手この手を使って会社に残ろうとする。が、如何に経済界の鬼と呼ばれた男でも、大企業の役員まで上り詰めた十一人に対して、たった一人ではどうしようもなかった。
結局、ほどなくしてマーシアスはグレイナス・カンパニーから去ることになる。名義上、最高顧問の名前こそ残っているが、そこになんの権力もないことは全員が認識している事実であった。
憤怒と怨恨の声を残しながら、マーシアスはそれ以来一度も表舞台に立つことはなかったという。
ラクトは視線を上げ、再度隣を歩くレオナに視線を向ける。自分の祖父が何人もの人を殺し、さらには家族にまで手をかけるなど、考えもしなかったに違いない。
彼女が父や母の話をするとき、とてもいい笑顔をするのをラクトは知っていた。そして家族思いな少女であり、普段は強気で振る舞っているが、それが空元気であることも気付いていた。夜な夜な隣で泣いているのだから当然だ。
そんな彼女の唯一残った肉親が、もっとも憎い犯人だと聞かされたのだ。ショックも大きいだろうが、それ以上にいったい何が起きているのかと困惑しているのだろう。この事件が起きる前まで彼女は普通の高校生だったのだ。それが一転してこの状況。理解が追い付かなくても仕方がないとラクトは思う。
このままではまた、屋敷の時のように悪魔憑きの力が暴走するかもしれない。完全に堕ちてしまえば、いかに悪魔憑き専門医のカログリアでも、人間に戻すことは出来ないのだ。そうなる前になんとかして、レオナの感情を落ち着かせなければならない。
――守ると決めた。己の欲望に忠実な悪魔は、決して自分で決めたことを裏切ることはない。
ラクトが心の中で覚悟を決めた瞬間、二人の前に一人の人物が立ち塞がった。
「やあ、久しぶりだねラクト。その情けない顔はまだ治っていないんだ」
「――っ!?」
唐突に名前を呼ばれ、足を止める。聞こえてはならない声。この世で最も憎く、何を犠牲にしてでも殺してやりたいと願っている悪魔の声だ。喉がカラカラと渇き、まるで砂漠の中に一人水分を持つことも許されずに立ってるような錯覚に陥る。
「せっかくあの女狐を殺してやったのに、結局君は何にも変わってないじゃないか。一体何のために僕が殺されかけたのか、わかりはしない」
「……なんで……なんでテメェがここにいやがる……」
ラクトが声の主を睨む。その声から震えを止めることが出来ず、動揺を隠せずにいた。いつも飄々としている男と同一人物には見えず、一人で悩んでいたレオナですら、ラクトの豹変ぶりに思わず意識を取り戻す。
レオナはラクトの視線の先にいる人物を見る。
本当に同じ人間なのだろうかと思うほど、恐ろしく顔立ちが整っており、肩にかかる程度の銀髪は夕日を反射させ、より一層輝きを増している。その鋭利な瞳は心の奥底まで見透かされているようで恐怖すら感じ、一目見ただけで体が竦んでしまった。
平均より長身でありながら細見の肉体も、女性のようにシミ一つない白い肌も、人間離れした雰囲気を持つこの男を表現する、その全てが怖い。
一言で表現するなら、悪魔。
レオナの脳裏に浮かび上がった単語は、決して的外れな解答ではなかっただろう。正しく、この男は悪魔なのだから。脳内で自分ではない何かが警報を鳴らす。あれに近づいてはならない。あれの視界に入ってはならない。
知らず知らずのうちに体が強張り、レオナは隣のラクトに縋るように腕を掴んでしまう。いつもならそれで不安など消えてしまうのに、この時ばかりはさらに恐怖が増すだけだった。
男はやれやれと肩を竦めるとラクトとレオナを交互に見て、瞳を鋭くさせる。
「もしかしてあれかな? 隣にいる悪魔憑き、そいつが君を縛りつけてるのかな? まったく君は相変わらず簡単に悪い女に引っかかる。これじゃあ心配で目も離せないよ」
男の声は平坦だが、レオナにはどこか苛立ちを含まれているように聞こえた。まるで大好きな家族を奪われて嫉妬しているようで、瞳の奥にはレオナに対する憎しみのようなものも感じ取れる。
恐ろしい。この男に見られている、ただそれだけなのに何を放り出してでも逃げ出したい衝動に駆られる。だがふと、握っている腕が震えているのに気が付いた。思わずラクトの顔を見るために視線を上げると、その瞳は血走り、歯を食いしばっているのがはっきりとわかった。
こんなラクトは見たことがない。一体目の前のあれは何だと言うのだ。
「まあでもあれだ。君は優しいから凄くモテる。だから勘違いをするメス共が群がって来るんだよ? 誰にでも優しくしちゃ駄目だってちゃんと教えてあげたのに、もう忘れちゃったなんて、相変わらず君は頭が悪いね」
レオナから視線を外すと、久しぶりにラクトと会えた男は気分良さげに話す。その視界からは完全にレオナが消え、この世に存在しないものとして扱っているようにも思える。
悪魔すらも一睨みで殺せそうなほど怨嗟の瞳をしたかと思えば、まるで百八十度表情を変化させて笑みを浮かべたり、もう滅茶苦茶だ。まともな感性を持っているとは、とても思えなかった。
「おっと、そういえばまだこの言葉を言ってなかった」
はっ、と何かに気が付いた男は、誰もが見惚れるであろう、悪魔の笑みを浮かべると、言葉を紡ぐ。
「お帰りラクト。僕は君が戻って来るのをずっと待っていたよ」
「質問に答えやがれェェ! クルゥゥゥルゥゥゥ!!」
これまでレオナが一度も聞いたことのない、激しい憎悪と激昂の込められたラクトの咆哮が、賑やかな街の一角で響き渡った。
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