第五章 明かされる真実
第23話
カーテンの隙間から差し込む眩い陽光が目に入り、ラクトは目を覚ます。ひんやりと早朝の冷たい空気が気持ちよく、もう少し暖かい布団の中で寝ていたいと思いながらも、とりあえず体を起き上がらせた。
時計を見ると長針が七時を示しており、いつもより少し早い時間に目が覚めたことに鬱屈を感じる。しかし自分の気持ちとは裏腹に、一度覚醒した頭はどうやら二度寝を要求していないらしい。仕方なしに目覚まし時計の電源を切って、鳴らない様にしてから布団をめくる。
悪魔憑きの男――ロッテン・ザージスが捕まってから十日が経った。
ヴァイゼの話によると、珍しく生きたまま捕獲できた悪魔憑きと言うことで、研究所に回されるらしい。そこでどのような扱いを受けるのかはラクトも知らないが、碌なものでないのは確かだろう。
もはや人間の意識は完全に消え、悪魔そのものであるロッテンだったものは、今後の悪魔憑きの被害を減らすための礎となったのだ。
基本的に、悪魔憑きが暴れた際は生死問わず即解決が暗黙の了解となっている。そもそも、暴れる悪魔憑きと対峙出来るのはニードのみ。人間側の最終兵器とも言えるニードを危険に晒すくらいなら、被害を広げる事しかしない悪魔憑きを殺すことに躊躇いなどなかった。
ニード側もわざわざ敵対した相手を生かすほど優しい心の持ち主などほとんどおらず、その場で殺してしまうのが常識となっている。なにより、心のタガが外れやすいニードは好戦的な者が多く、殺しを忌避するような甘い精神は持っていない。
さて今日はどうするか、とラクトは頭を悩ます。一週間前より警察からの正式に依頼を受け、今リングベルトの街で猛威を振るっている悪魔憑き、通称『吸血鬼』の討伐を請け負ったはいいが、まったく成果は上がっていない。
どうやら度重なるニードの襲撃に、吸血鬼も警戒心を強めているらしい。被害者の数がこれまでより減り、より発見が困難になっていた。例え警察が見つけても、ラクトが連絡を受けて現場に到着したときにはすでに逃げた後で、その存在を掴むことは未だに出来ていない。
吸血鬼は雰囲気でも作りたいのかボロボロのフードを被り、男も女かも悟らせていない。目撃者にほぼ生き残りはおらず、数少ない目撃者達も大した情報を持っていなかった。かといって無駄に警察を動員した場合、二次被害が増える一方で大した成果も得られないだろうというのが現状だ。
中々尻尾を掴ませない吸血鬼相手に、ラクトもどういった対応を取るか決めかねていた。
「んん……」
隣で寝ているレオナが寒さに反応したのか、ラクトがめくった掛布団を奪うと、そのままヤドカリのように身を包む。暖かさに満足したのか、その顔はずいぶんと安らかで気持ち良さそうだ。いい夢でも見ているのか、やや顔がだらしなく緩むが、生まれ持った美貌のおかげでそれすらも魅力的に映る。
レオナの寝間着は未だに借り物の浴衣だ。そのため布団の中では恐らく浴衣がはだけており、魅惑的な格好をしているだろうと予想出来た。
もし今ここで掛布団を思いっきり取り上げればどんな反応をするか、想像するだけで思わずニヤケてしまう。が、それをしてグリアに家を追い出されては堪ったものではないので、ラクトは珍しく自制心を働かせることになった。
何故レオナが当たり前のようにラクトの隣で眠っているかと言うと、話は十日前まで遡る。
時計の針が頂点を超え、悪魔でも夜更かししない主義のラクトは布団に入って眠ろうとするが、その行為は突然の闖入者によって遮られることとなる。
「……あのね、今日だけ……一緒に寝て欲しいんだけど……だめ?」
恥ずかしそうに頬を紅く染め、自分の部屋から持って来たであろう枕を胸に抱えたレオナは、小さな声でそうお願いしてきた。
流石に予想外の出来事だったためラクトが事情を聞くと、どうも夜に一人で眠るのが怖いらしい。よく考えれば、彼女はこの二日間でだけで何度も怖い思いをしており、一人で寝ることを恐れても仕方ないだろうと納得した。
それならグリアのところに行くべきだろうと思ったが、レオナの中ではグリアは凄い人であっても強い人ではないようで、不安が残るそうだ。
別の危険が付き纏うと指摘すると、「そんな心配一切してないもん。アンタの事、信頼してるし……」と一蹴。いつも不真面目なラクトだが、こうも信頼されれば少しくらい真面目に応えようと思う。
「じゃあ、今日だけな」
「っ――うん!」
甘えてくる子犬のようにトテトテと部屋に入ってくるレオナを見て、この程度で彼女の不安が解消されるのであれば安いものだと考えた。手を出すなんてことは当然なく、隣で寝転ぶレオナはラクトの手を握るだけで満足し、余程疲れていたのだろか、一瞬で眠りに落ちてしまう。
感情を爆発させることも、緊張することもかなりの体力を使う。それは人間だろうと、悪魔憑きだろうと変わらない。この日あったことを考えれば、すぐに眠ってしまうなど当然の結果だった。そして逆を言えば、こんな状態ですら満足に眠れない程、レオナの感情が不安定になっているという事実を突きつけられた気がした。
せめて今一時だけでも安らかな眠りについて欲しいと思いながら、ラクトも眠ることにした。
もっとも、これが翌日以降も続くことになるとは、この時は思いもしていなかったが。
結局、毎日のように寝床にやってくるレオナをラクトは受け入れた。髪を一度梳いてやると、猫の様に気持ちよさそうな顔をする。絹の様に柔らかな金髪の触り心地がいいのでつい毎朝やってしまうが、これはレオナには内緒にしていたラクトだけの秘密だ。
「さてっと、そんじゃ今日も真面目に働きますか」
理由は分からないが、どうやら吸血鬼はこの街近辺以外ではそう動きを見せていない。しかも活動時間は夜に限定しているらしく、昼間に襲われた例は一件もない。他にも狙われているのは若い女性ばかりで、すでに実力としてはB級以上であるということくらい。
いざ情報を纏めてみると、実際何もわかっていないのと同じだ。いい加減警察からの情報待ちという状態にも飽きてきた。とりあえずヴァイゼを使いつつ、新しい情報を探そうと決める。
そうと決まれば、隣で一人ぬくぬくと気持ちよさそうに眠っているレオナの鼻を軽く摘まんでみた。綺麗に寝息を立てているレオナは最初、何も感じていなかったのだろうが、徐々にその顔色が悪くなっていく。
「………………ぷはっ! はあっ! はあっ!」
無酸素状態に耐えられなくなったレオナが勢い良く体を起こし、掛け布団を吹き飛ばす。一瞬紅い浴衣の隙間から真っ白な太腿が視界に入りラッキーと思っていると、親の敵を見る目でレオナが睨みつけてきた。
「よし、起きたな。じゃあ俺は先に下行くから、ちゃんと自分の部屋に戻って着替えてから降りて来いよ」
「ちょっと! レディーをこんな風に起こしておいて最初のセリフがそれ!?」
「俺より遅くまで寝てるお前が悪い」
「……むぅ。明日は私がアンタに同じことやってやるっ」
並々ならぬ決意を胸にしているレオナだが、それはつまり今日の夜も一緒に寝ようと言っているようなものだ。自分がどれだけ恥ずかしいことを口走っているのかわかっていないらしい。
窓の外を見ると、快晴の空がどこまでも続いている。悪魔にとってそれがいい事なのか悪い事なのかは知らないが、少なくともラクトにとっては活動しやすい一日となりそうだ。
「よし、今日は二人で一緒に街へ出かけるか」
「えっ? それって……でー――」
レオナが何かを言うよりも早く、扉の外に出てしまう。
情報収集はどうしたと言われそうだが、どうせ適当に歩いていても大した成果など上がらないのだ。ならば楽しく行動した方が良いに決まっている。
欲望に忠実なのが悪魔憑きであり、そしてニードなのだから仕方ない。そう、仕方ないのだった。
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