第22話
太陽が沈み、煌めく星々と顔を出し始めた月がリングベルトの街を優しく照らしている。日が暮れたことで街には昼間とは違った活気が溢れ、人々は楽しそうに酒を飲みながら談笑していた。少し外れた路地裏では、怪しいネオンサインと露出の多い女性が男を誘惑し、夜の雰囲気を大いに盛り上げている。
街灯や並んでいる家の灯り、そして盛り上がっているお店の中から聞こえてくる喧騒をBGMに、ラクトとレオナはお互い手を握ったまま歩く。
あの後、倒れて動けなくなった悪魔憑きの処理は全てナルに任せ、二人は逃げるように人の増えてきた公園を後にした。その際ナルが色々と文句を言っていたが、ラクトに小突かれ、渋々といった形で後始末を請け負わされることとなる。
完全に悪魔憑きに堕ちた人間がどういった末路を進むのか、それを知っているレオナは同情の念を隠さずにはいられなかった。例え自分の命を狙ってきた相手だからと言って、死んで欲しいとまでは思わない。悪魔憑きとなった男性自身、ある意味で被害者なのだから。
どんな理由があって悪魔に己を身売りしたのか、それはレオナにも分からない。もしかしたら元々強姦などを望んだ最低な人間だったのかもしれない。しかし、レオナは信じていた。最初に話しかけてきたときの彼こそが、あの男性の本当の姿だったのではないか、と。
状況次第では、自分自身が悪魔憑きとして彼と同じような末路を辿っていたのかもしれない。そういう意味では、あのタイミングで話しかけてきた彼こそが、レオナの恩人とも言えるのではないか。
昼間はあまり感じられなかった肌寒さを感じ、思わず力を入れてしまう。隣を歩くラクトは寒さを感じていないのだろうか。そう思い少し見上げると、少しばかり白い息がラクトの口から零れるのが見えた。
人間も悪魔憑きは、確かに人と違う部分はあるかもしれない。だけどこうして寒ければ白い息を吐くし、一人だと寂しい。一緒にいれば楽しく、悲しければ泣いてしまう。悪魔憑きだって人と同じ感情を持った一つの生き物なのだ。
それが分かり、憂鬱になりかけた心が軽くなった。
白い息を視線で追いかけながら、レオナは心からの笑みを浮かべる。こんな些細な事で喜びを感じれる自分が、ほんの少しだけ好きになれたから。
「ねえラクト……」
「ん? どうした?」
「ううん。ちょっと呼んでみただけ」
「なんだそりゃ」
こうして普通の人間と同じような反応をしてくれる。悪魔憑きだからとか、人間だからとか、そんな考えを持たなければ、あんなに悩む必要もなかったのだ。
本物の悪魔なら、ただ抱きしめただけであんなに安らかな気持ちにさせてくれるはず、ないのだから。
「――っ!」
「おいおい、今度はどうした?」
先ほどまでの出来事で、自分が隣を歩く男に抱きしめられていたことを思い出し、思わず握っている手に力が入ってしまう。体中の血液がすべて顔に集まっているのではないか、そんな錯覚を起こすほどレオナは顔を赤く染め、口をパクパクしながらラクトを見る。
そんなレオナの行動にラクトは首を傾げる。微笑んだり、名前を呼んだり、顔を真っ赤にしたり。レオナの色々な顔が見れて面白いのだが、あまりに挙動不審過ぎる。
「な、なんでも……ない……わよぉ」
レオナは弱弱しく口にするが、握っている手がギリギリ音を立てているのを気付いているのだろうか。多分気付いていないんだろうなぁ、と思いつつ、ラクトはあえて言及することなく歩き続けた。
両手と両足が同じタイミングで動いていることは、自分で気付くまで言わないでおこうと心に決めながら。
路地裏を抜け、ひっそりと佇む診療所の前に立つ。レオナは三階建ての建物を見上げると、緊張した面もちで扉に手をかけた。
二人で中に入ると、ラクトが手慣れた様子で玄関や廊下の電気をつける。点灯した一階は診療所となっていて、この時間は誰おらず、まどろむような静寂に包まれていた。
来客用のスリッパに履き替え階段を上がる。木製の階段はギシギシ音を立てて、少し年季を感じさせた。二階はリビングやダイニング、それに風呂場などがあり、三階が個人の部屋になっている。ラクトはもちろん、レオナも三階の部屋を借りている状態だ。
レオナがリビングの前で立ち止まると、不安げな表情を見せる。この先にはきっとグリアがいる。
――なんで……そんなこと言うのよ……酷い……私だって、望んで……こんな風になったわけじゃ……っ!
飛び出したときに言った自分の言葉を、レオナは気にしていた。あれだけ世話をしてくれた人間に対して、このような言動。恩知らずどころの話ではない。自分の無自覚な言葉にグリアは傷付いたか、少なくとも怒っているだろう。そう思うと、どうしても最後の一歩が進むことが出来ない。
まるでテストで悪い点を取って怯える子供のようだ。
中々扉を開けないレオナに対して、背後から突然声がかかる。
「おい、レオナ」
「な、何ってひゃっ――」
レオナが振り返った瞬間、ラクトにほっぺを摘ままれ引っ張られる。絶妙に力具合で痛みはないが、何故か酷い辱めを受けている気がしてくる。
ラクトはそんなレオナのほっぺを上下左右動かして、意地の悪い笑みで楽しんでいた。
「おーおー、やわらけぇなぁ」
「ひょっひょ、ひゃひぃひゅんひょひょっ!」
恥ずかしさから涙目になっている姿は可愛いが、何を言っているのか全然わからない。わからなのをいいことに、ラクトは調子に乗って更に指を動かす。
恐らく誰も手を加えたことのないだろう、初雪のようにスベスベな肌。それを自分の思い通りに動かせているのだという優越感に浸っていると、お返しとばかりにレオナもラクトの頬を引っ張ってきた。思わぬ反撃で一瞬驚いたが、どうやら手加減はしてくれているらしくあまり痛くない。
しばらく二人はじゃれ合うようにほっぺの引っ張り合いをした後、お互い自然に手を離した。レオナの頬がほんのちょっぴり染まっているのは、どういった理由からだろうか。
「少しは緊張は取れたか?」
「むぅ……ちょっとだけ、ね」
「くっ……素直じゃねえなぁ」
拗ねた様子を見せるレオナだが、本人は確かに先ほどよりも体の硬さは取れている事を自覚していた。そんな彼女にラクトは苦笑しながら頭を撫でてやる。
「んっ……」
「おっ?」
てっきり打ち払われると思っていたが、レオナは気持ちよさそうに目を細め、受け入れるがままの体勢だ。むしろもっととねだってくるように、ときおり頭を軽く動かしてくる。ラクトとしては望むところなので優しく撫で続ける。
「…………」
「…………」
グリグリグリグリ…………
「お主らは人の家の中でなぁにをイチャイチャしとるんじゃ」
「……えっ!?」
レオナが撫でている手を振り払うように、勢いよく振り返る。いつの間にかリビングの扉が開いており、そこには呆れた様子で腕を組んだグリアが立っていた。いつから居たのかわからないが、自分の行動を見られていて、つまりそれは――
レオナは自分の行いを思い出し、まるで瞬間湯沸かし器のように一気に顔を沸騰させる。あ、とか、う、とか言葉にならない声でパクパク動かす事しか出来なかった。油の切れた機械のようにガチガチとラクトを見ると、楽しそうな笑みを浮かべていた。
当然、ラクトの位置からリビングの扉が開いたのも見えただろう。それどころかグリアがこちらの存在に気付き、ゆっくり向かってきたのも気配で分かるはずだ。
つまり、確信犯。
「まったく……人が心配して待っておれば、お主と来たら……」
「まあいいじゃねえか。本人も反省してるみたいだし許してやれよ」
「……ラクト、儂はお主に言っておるんじゃが?」
「へえ、そりゃあ気付かなかった。次からは気を付ける」
「にやにや言っても説得力の欠片もありゃせんわ。レオナもほれ、寒かったじゃろ? すぐに温かいご飯を作ってやるから、まずは中に入って体を温めるとええ」
それはあまりにもいつもと変わらない優しい声色。レオナはその言葉に従いリビングの中へと入ると、暖房が利いた部屋は心の芯まで暖かくさせてくれるようだった。
グリアはエプロンを付けると、給湯器に水を入れてスイッチを入れる。すぐにダイニングから椅子を持ってきてその上に立ち、棚の上にあるカップ麺を三つ取り出すと、半分だけ蓋を開けていった。まるで熟練のシェフのように一つ一つの手順に切れ目がなく、無駄のない流れるような動き。作っているものがカップ麺でなければ、拍手喝采が起きても不思議ではなかっただろう。
「さてっと、後はお湯が湧くのを待つだけじゃな」
「相変わらずカップ麺かよ」
「嫌なら食うな馬鹿者」
今朝までと何も変わらないやりとり。それが眩しくて、心が騒めく。何か言わなければ、そういった焦りばかりが出てきて、自分の体ではないかのように動いてくれない。
そんな様子にグリアは気付いたのだろう。ラクトから視線をレオナに向けると、近寄ってきて両手を包む。レオナよりさらに頭一つ分小柄な体と、幼子のような小さな手だというのに、レオナは何故かとても大きな存在に守ってもらえている錯覚を起こす。
「すまんかったの。悪魔憑きとニードの現実を知ってもらうためとはいえ、お主には辛い思いをさせてもうた」
「ち、ちがっ――!」
謝るのは自分の方だ。酷いことを言ったのも、相手を傷付けたのも全部自分で、グリアが悪い事など何もない。そう叫びたいのに、レオナの言葉に被せるようにグリアが先手を取る。
「本当にすまんかった。お主の気が済むと言うなら、どんな罰でも受けよう。お主が望むことなら、何でも叶えてやろう。ただ、それが終わったらまた、儂と仲良くしてくれんか? どうもお主は放っておけんというか、新しい子供が出来たみたいで守りたくなってしまうんじゃ」
照れたようにそう言うグリアの瞳はどこまでも優しく、深い愛情を感じた。
瞬間、レオナの感情が爆発してしまう。これまでと変わらないグリアの優しさに感極まって泣き出すと、そのまま小柄なグリアへ向けて抱き付いた。
「うっ……うえぇん! グリアぜんぜー!」
「おお、よしよし」
グリアは泣いているレオナを受け止めると、その頭を優しく撫でてやる。
「怖かった! パパもママもいなくなって、みんなに捨てられて一人ぼっちになるんじゃないのかって怖かったのぉ!」
「大丈夫じゃ。儂もラクトも、決してお主を離したりはせんからの。お主から離れん限り、ずっと一緒じゃ」
「うん…………うん! えぐっ! ひぐっ!」
「お主は泣いてばかりじゃのぉ……これでは泣き虫レオナと呼ばれてしまうぞ」
「ぅぅぅぇぇ……ぞればぃゃぁ! えぐっ……ぇぅ」
「そうかそうか……そりゃあそれは嫌じゃな。情けないもんのぉ」
「ぇぅぅ……うん……ひっぐ……」
「……ナルも浮かばれねえなぁ」
感情が高ぶったレオナの言葉は支離滅裂だ。だがそれでも、伝えたい意志は感じる。二人はレオナが言葉にするのを、優しく待った。
そして――
「グリアぜんぜー! それにダグドー! ごめん! ごめんね!」
――ごめんなさい。
ずっと言いたくて言えなかった一言が、レオナの心のもやもやを吹き飛ばした。決壊したダムの様に涙がこぼれ、ごめんなさいという言葉を繰り返す。
感情を露わにし、小さな子供の様に泣きじゃくるレオナの姿は決して綺麗なものではなかったが、それでも二人にとっては守るべき存在だ。子を見る母のように、そして父のように、レオナが泣き止むまでグリアはずっと抱きしめ、ラクトはその姿を穏やかな気持ちで見守っていた。
ぽたっと蛇口から水滴が落ちる音と、給湯器からグツグツお湯が沸く音、そしてレオナの泣き叫ぶ声だけが、静かなリビングで音楽を奏でることとなる。
そして外からは、まるで新たな悪魔の子の誕生を喜ぶように、リングベルトが誇る祝福の鐘が音を鳴らし続けていた。
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