第21話

「おいラクトッ! あの悪魔憑き怒ってるぞ! ちょっ! イチャイチャしてる場合じゃないって!」


 遠くで倒れていた筈のナルが立ち上がり、迫りくる悪魔憑きを見ながら焦った声を上げる。


「うるさいな。今両手塞がって忙しいからお前が何とかしろ!」

「嘘ぉ!? いやいやいや、私ついさっきボコボコにされたんだがそこは!?」

「大丈夫。お前なら勝てるって。大体たかがC級の悪魔憑きに何言ってんだ。ほら、来たぞ」

「えっ? ってなんで私の方に――ブハァッ!」


 両手で大鎌を持ったまま、悪魔憑きは勢いよくナルに向かって飛び蹴りを喰らわせた。


「まずは散々俺のことを馬鹿にしてくれたお前からだぁ! その後はそっちの男だから逃げるなよ!」

「あいよー。そんじゃ頑張ってくれ」


 かつてロッテンと呼ばれた男はラクトに指を突きつけると、吹き飛んでいったナルに向かって駆け出した。尋常ではない動きに言葉、もはや人間だった頃のほとんど面影は残っていない。


「ね、ねえラクト。あの人大丈夫なの?」


 腕の中でレオナが心配そうに声を出す。先ほどの情けない姿を見ている彼女からすれば、結果は火を見るよりも明らかだった。とてもナルがあの悪魔憑きに勝てるとは思えない。

 だがそんなレオナの心配も、ラクトは意に返した様子を見せずにナルと悪魔憑きの戦いを観戦していた。


「まあ大丈夫じゃね? あれでも結構長い事ニードとして修羅場もくぐってきてるし。おお、器用に鎌は避けるな。あ、殴られた」

「ええっ! その、助けてあげないの? 知り合いなんでしょ?」

「んー、確かにこのままじゃ不味いか? でもなぁ……ニードが悪魔憑きと戦ってるときって、基本は手助け禁止なんだよ。みんなプライド高いから、助けると大概怒られるんだぜ」


 ――ラクトー! 助けてくれー! 殺されるー! ヒギャァァァァ!!


「いや、あの人涙声で凄い必死に助け求めてるけど……」


 未だにラクトに抱き締められている状態のため、後ろでどんな惨状になっているのかはわからないが、声だけですでにピンチなのが伝わってきた。とてもプライドの高い人間の態度ではない。


「ラクト―! もう無理! 無理無理無理! 助けってほああああ!」


 再度蹴り飛ばされてラクトの近くまで吹き飛ばされてくるナル。その後方では嬲るのが楽しいのか、醜悪な笑みを浮かべる悪魔がいた。


「もうちょい頑張れ。俺はまだこいつを抱き締めときたい」

「――っ! もう……馬鹿……」


 レオナはラクトの言葉に顔を赤らめながら、腕に力を籠める。恥かしがっているが、離れようとは考えていなかった。

 そんな二人を前に、涙を流しながらうつ伏せで腕を伸ばすナル。


「……君達……ラブコメってるのはいいんだけど、さ……その間に傷付いてる私の事も、ほんの少しでいいから、考えてはくれないかい?」

「よし、そろそろ俺らも帰るか。グリアも心配してるはずだし」

「……いいのかな? 私、勝手に飛び出して、困らせた……」

「大丈夫だって。グリアもそんな肝っ玉の小さなやつじゃねえって」


 ラクトはレオナを抱き締めいていた腕は解き、立ち上がると腕を伸ばす。まるで先ほどの出来事の焼き回しのように。


「……ぁっ」


 レオナは感じていた優しい温もりが急になくなって不安に感じるが、伸ばされた手の意味を汲み取り、今度は無視することなくその手を見る。伝わってくる人の熱を求めるように両手でしっかりと掴むと、ラクトに引っ張られるようにレオナも立ち上がった。

 そして二人は見つめ合う。


「ちょっ!! 二人とも私を無視しないでおくれよ!」


 そしてそんな二人の世界を壊すのは、世界的大スター(予定)(笑)であるナル・バレンティアの悲痛な叫び声だった。

 はっ、と我に返ったレオナが一瞬その手を離すが、すぐに何かを思い至ったのか片手でラクトの袖口をちょん、と摘まむ。その顔は少しだけ恥ずかしそうだが、どこか嬉しそうだった。

 ナルの後ろでは、悪魔憑きが余裕のつもりなのか歩きながら近づいてくる。


「ハハハハハ! 情けないなぁ、ナル・バレンティア! あれだけ虚仮にしてくれてその程度とは。まあこれ以上時間をかけても仕方ない。この鎌でサクッと首を刎ねてやろう。それに僕を殴った貴様も絶対に許さない! そっちの女子高生もだ! 二人とも時間をかけてゆっくり嬲り殺しにしてやるから楽しみにしておくといい!」


 狂気に満ちた瞳で三人を睨みつけると、手に持った禍々しい光を放つ鎌がより一層プレッシャーを放つ。慣れた様子のラクトはともかく、大した力を持たないレオナはその力に怯える。


「あーもー……しょうがねえな……おいナル」

「な、なんだい?」


 呆れた様子でナルを見下ろすと一言。 


「今のお前……最悪に格好悪いぜ」

「なっ――!」


 それまで必死に助けを求めていたナルの動きがピタッと止まる。


「一度負けたからってビビって引っ込むとか、ダサイし」


 ピクピクッ、とラクトの言葉の一つ一つに反応するように、体を震わせる。


「世界的大スター? はっ、今のお前より地方の三流芸人の方がもうちょっとマシなリアクションするぜ」

「ひ、ひどいっ……」


 鼻で笑いながら馬鹿にするラクトに、もはやイケメンと呼ばれているのが嘘だろうと言いたいくらい、ナルの顔は悲しみに歪んでいた。


「ちょっとラクト……そこまで言わなくてもいいんじゃないの? 確かに自信満々で出てきたのに逃げ回るのは凄く情けなかったけど……」

「ぐっはぁ!」

「えっ! ちょっと、なんで!?」


 自覚なく止めの一撃を放ったレオナの言葉にナルが大仰にのけ反る。そして――


「……えぐっ……酷過ぎる……私だって、頑張ってるんだ……ぅぅぅ、女の子のピンチに駆けつけて……慣れない戦いにして……そりゃ弱いからやられてるけど……本当は私だって……ひっく、ひっく……うわーん!」


 小さな子供のように盛大に泣き始めた。レオナのような美少女ではなく、そこそこ体格のいいイケメンが泣く姿はどこかシュールで、醜いものだ。


「おっ、泣いた泣いた。おらいいぞー、もっと泣けー」

「ちょっ、ラクト! 彼、泣いちゃったじゃない! 止めてあげなさいよ」


 そしてそんなナルを楽しそうに見るラクト。その姿は小学校にいる苛めっ子そのもので、レオナが注意するも止まらない。ひたすら格好悪い、ダサイを繰り返して悪口言い続ける。


「おい、お前ら何やってんだ……?」


 悪魔憑きですら、突然泣き出したナルと、泣いても苛めを止めないラクトにドン引きしていた。そんな敵を無視して、ラクトの言葉攻めは続く。そして少ししてから、ポツリと呟いた。


「……もう少しだな」

「え? 何が……」

「うええーん! ひっぐ……んっ! ひぐっ……ひぐっ………………ふう」


 瞳を真っ赤に腫らし、盛大に泣き続けたナルの雰囲気が突然変化する。唐突に泣くのを止め、立ち上がると先ほどまでの情けない顔とは百八十度違う、凛々しい顔立ちになった。まるで最初にレオナを助けた時のように自身満々で、それでいて確かに感じる貫禄に、何が起こったのかレオナにはわからなかった。


「ようやくか。もう俺の手伝いもいらねえよな?」

「ああ、ラクト。いつも手間を取らせてすまない。後は任せてくれ」


 ナルは振り返り、悪魔憑きと対峙すると、高々と宣言した。


「それでは第三ラウンドを始めようじゃないか! はっはっは! さあ、成り立ての悪魔くん。私の名前を言ってごらん?」

「……ナル・バレンティア」


 明らかに様子の異なるナルを前に、悪魔憑きも警戒する。が、そんなものは何に意味もない。どれだけ構えようとも、二人の間にある力量差が覆ることはないのだから。


「そう! 私の名前はナル・バレンティア! 誰もが認める世界的大スター(予定)のナル・バレンティアだ!」


 瞬間、レオナの視覚から突然ナルが消えたと思うと、悪魔憑きが立っていた場所に居た。


「えっ?」


 まるでアッパーを決めたボクサーのようなポーズだ。ナルの立っている場所を見ると、そこにいた筈の悪魔憑きが消えていて、どこにいったのかと探してしまう。ふと、隣でラクトが空を仰いているのが見えた。

 すでに太陽は沈み、暗くなった上空の何を見ているのだろうと思い、つられるように見上げると――


「……星? じゃ、ない!?」


 はるか上空から落下してくる何かが見えた。それはどんどん地上に近づいてきて、激しい音と共に地面に激突した。レオナは思わず身が竦み、ラクトの腕にしがみついてしまう。

 一瞬舞う土埃が風に乗って消えると、見覚えのある物体が倒れている。それは先ほどまでナルを一方的に襲っていた、悪魔憑きの男だ。それがまるで潰れたカエルのような姿で、痙攣しながら気絶していた。


「うそ……」


 先ほどまであれだけ一方的に嬲られていたはずのナルが、ほんの一瞬で決着をつけてしまったことに、レオナは驚愕していた。だが隣のラクトは当然だと言わんばかりの顔で頷く。


「泣き虫ナル。泣けば泣くほど強くなる、A級のニードだ」

「はっはっは。この私にかかればこんなものだ! 何故なら私は世界が誇る大スター(予定)である――」


 ――ナル・バレンティアなのだから!

 ほとんど人のいない噴水公園で一人、ナルは実に楽しそうにポーズを決めながら高笑いを続けた。

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