第14話
台所から四つのカップ焼きそばをおぼんに乗せて顔を出したレオナが見たのは、中途半端な態勢で叫ぶ中年親父と絶望した顔でぶつぶつ呟いている青年の姿だった。
「あの……大丈夫ですか?」
状況を理解できないが、叫んでいた中年にはグリアが付いていたので、レオナはとりあえず青年の方に声をかけてみた。
「本当にこの人は……すぐサボろうとするし、だいたいやる気ないしこの人に付いていていいんだろうか? だが部下に上司を選ぶ資格なんか――」
「……あのっ!」
「はっ! 僕は一体……って、え?」
一度目では気付いてもらえなかったため、レオナが再度声を大きく呼びかける。
その声にようやく目の前の存在に気が付いたのかハルトは顔を上げ、そして一目見た瞬間体に電流が走る。
古いライトに照らされるのは淡い黄金色の髪が肩のあたりで切り揃えられ、神話に出てくる戦乙女を連想させる凛とした青い瞳孔を困惑気味にしながら自身を見つめていた。取れたてのさくらんぼのように瑞々しい唇を見ていると自身の職務も忘れて吸い込まれそうになる。
一瞬で視線を奪われた。目の前に立つ少女は、ハルトが今までに見てきた中でも群を抜いて美しく、俗な言い方をすれば好みのタイプであったのだ。顔に熱が集まり真っ赤になっているのがわかる。
「ねえ……」
「は、はい!?」
思わずハルトの声が上擦るのも仕方がないことだった。なにせ彼はここ数年以上、ほとんど女性と接する機会の少ない場所で過ごしてきたのだから。
「早く食べないと伸びますよ、それ」
少し警戒気味にそう言う彼女の視線はハルトから外され、いつの間に置かれたのか机の上に存在する四つのカップ焼きそばに向けられていた。スーパーやコンビニにでも行けばどこにでも置いてある、有名なロゴの入ったカップ焼きそばだ。ハルトも学生時代はよく食べ慣れた代物だった。
「…………」
ハルトは目がおかしくなったのかと思い、一度こする。そしてもう一度カップ焼きそばを見る。
――食べ慣れた……代物?
黒い……なぜかカップ焼きそばが黒い。いや、その表現は適切ではないか。普通のカップ焼きそばは湯切りするため、麺とわずかばかりの具があるだけのはずだ。なのにこの焼きそばは何か得体の知れない液体に浸っていた。
多分、醤油。少なくとも普通のキッチンにこれだけ黒い液体は他にないはずだ。そうなると表面に油が浮いているのが気になるが、これは多分サラダ油。というか、そう考えなければ怖くて直視することすら出来ない。
ハルトが隣を見れば、グリアとヴァイゼが目を見開いて口を引き攣らせていた。多分自分も今同じような顔をしているに違いないだろう。
――というか……これを食べるのか?
ハルトは悩む。先ほどの会話からすると、自分の料理――これを料理と言ってもいいものかわからないが――を人に食べてもらうのは初めての経験らしい。ここで下手な事を言って彼女の心に傷を付けたくないと思うのが男の人情と言うやつだ。
こうなると一人美味しそうにカップ麺を啜る男が憎い。ニヤニヤとこちらの反応を楽しそうに見ているのが余計に腹が立つ。
さすが悪魔、人間を怒らすのが上手じゃないか、そんな風にハルトが内心苛立ちながら、恐る恐る少女の方を見ると、みんなが手を付けるまで自分も食べないつもりなのだろう。蒼穹の瞳が揺れ、期待と不安が入り混じった表情で三人を見ていた。
ああ、可愛い。彼女の顔を曇らせたない。ならどうするか、決まっている。
「男ハルト! 行きます!」
一気に箸を麺に絡ませて、口の中に啜った。
「「「おお」」」
グリアとヴァイゼ、そしてラクトが感嘆の声を上げ、その様子を見る。
口の中に広がるのはやはり醤油の味。だがその中に仄かな酸っぱさと砂糖のような甘味、喉をむせさすようなコショウも混ざっている。ここまで麺に味が絡むのかと言うほど濃厚な味は今まで食べたことがない。
ハルトは手を止めない。止めることなく、一心不乱に食べ切った。
そう、この味は正しく悪魔達がうごめく地獄の料理。
「お、美味しかった……です……」
「本当!?」
レオナの顔が満面の笑みに変わる。
そう、その顔が見たかったのだ。だからもう満足。
「え、ええ……ご馳走様……でし……たっ」
その言葉を最後に、ハルトは物言わぬ死体のように机の上に突っ伏す。襲い掛かる猛烈な吐き気と必死に戦いながら、世の中には気絶できる方がはるかにマシな時もある、という心理を悟った。
「男じゃな……」
「ああ、男だ……」
「ハルト……お前の事は忘れねえよ」
ちなみにこの後、グリアの勧めによりレオナが一口食べてみて、これは食べ物じゃないと判断。悲しそうに三人分のカップ焼きそばをゴミ袋に捨ててしまう。
結局新しくグリアが焼きそばを作り、三人は美味しく頂いていたのを見て、ハルトは自分の行動は何だったのだと悲しみに包まれる。
「さて、それじゃあ本題に入らせていただきやす」
「…………ぅぉぇ」
そう切り出したのは、真剣な表情で口元にソースを付けたままのヴァイゼだ。ちなみにハルトは未だに吐き気と戦っており、言葉を出す余裕がない。
「うむ……実はお主を呼びつけたのは、この子のことじゃ」
「……そういやまだそっちの嬢ちゃんとは自己紹介がまだでしたね。俺はヴァイゼ・サルヴァン。警察庁対悪魔憑き課のもんだ。んでこっちはハルト・マールブっつって今年入ったばっかの新人。よろしくな」
「あ、はい。レオナ・グレイナスです。よろしくお願いします……それでグリア先生、私の事って?」
「ラクトから状況は聞いた。お主の家を襲い家族を殺したのは悪魔憑きに間違いない」
「っ!?」
ばっとレオナはラクトを見る。その表情はいつものヘラヘラしたものとは異なり、真剣そのものだ。
レオナは恐らくそうじゃないかと思っていたが、出来るだけ思わないようにしていた。もしその事実を認めてしまえば、ラクトやグリアまで嫌いになってしまうかもしれないと思っていたからだ。
たった一日だけだが、家族を亡くし一人ぼっちだった自分を助けてくれていたのはこの二人だ。例え人と違う体をしていても、レオナにとって二人は恩人であり、誰よりも信頼できる人間達だった。
そんな彼等を嫌いになどなりたくない。だからこそ、今まで目を背けていたが、それはグリアによって無理やり見せつけられることになる。
「ちょ、ちょっと待ってくだせえ。俺達の方にはまだそんな情報回ってきてませんぜ!」
「そりゃそうじゃ。第一発見者はこっちの二人じゃし、この子の家は丘の上にあるから他の住民も気付かんかったんじゃろう」
「いやそうじゃなくて、それならもっと早く連絡してくださいよ! ってことは嬢ちゃんの家族は今死体で放置されてるってことでしょ!? それじゃあ仏さんも成仏出来ねえじゃねえですか!」
「そうしたいのは山々なんじゃが、実は少しばかり厄介でのぉ……」
そしてグリアはちらりとレオナを見た。この現実はまだレオナには話していない。いつかは知らねばならぬことでもあり、隠して過ごすには状況が悪すぎる。逆にここで隠せば、いらない惨状を巻き起こす可能性すらあった。だからこそ、自分を受け入れて貰うために、ここで真実を口にする。
「この子、レオナにもな……悪魔が憑いておるんじゃ……」
「……えっ――?」
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