第4話

 ひっきりなしに響き渡るパトカーのサイレンを警戒しながら、レオナは隣を歩く男を見る。

 この男は本当に警備員を殴って脱走したことを覚えているのだろうか。そう思わずにはいられないほど、ラクトは呑気に鼻歌すら歌いながら街並みを眺めている。

 あの警備員達が目を覚ませば今回の件は直ぐに伝わる。そうすればすぐに追手がかかるだろう。

 レオナは現実的に考えて、現代の警察相手に素人の自分が逃げられるとは思っていない。今もすぐそこに警察がいるのではないかとビクビクしていた。

 対して、主犯のラクトはまったく気にした様子を見せていない。これでは自分ばかりが怯えて警察を警戒しているのが、まるで馬鹿みたいではないか。

 そんなことを考えていると、また一台パトカーが自分達とすれ違った。


「いちいち警察とすれ違うたびにビビるなよ。それじゃあ疑ってくださいって言ってるようなもんだぜ。こういう時はな、堂々としてた方が意外とバレないもんだ」

「そんなこと言ったって、実際私達がしたことって犯罪じゃない」


 こんな年齢で犯罪者の仲間入りなんて、そう訴えるようにジト目で言うと、ラクトは苦笑する。


「だから大丈夫だって。少なくとも警察には脱走したのがニードだってのが伝わってるからな」

「それのどこが大丈夫なのよ?」

「良くも悪くもニードは人間じゃないってことだ。俺はあの警備員達を殺さなかった。それはつまり俺がニードとして理性をちゃんと持っている証拠だ。そんで理性を持っているニードなら今回程度の事じゃ犯罪者扱いにはならないんだよ」


 悪魔憑きは、なったその瞬間から獣と変わらない。例え親兄弟ですら関係なく、周囲の人間を皆殺しにしてしまうのだ。一部の例外を除いて、一度暴れだせば殺されるまで止まらないのが悪魔憑きの特徴だった。

 それに対してニードは悪魔憑きと同等の力を持ちながら理性を保っているため、人間達も取り扱いには慎重にならざる得ない。下手に藪をつつけば、蛇どころか悪魔が暴れだすのだから当然だ。

 悪魔憑きは人間じゃない。しかしニードもまた人間ではないのだ。人間じゃないから人間の法律には縛られない部分も多数出てくる。


「まあそういうわけで、さっきから煩いくらいなってるサイレンは俺達とは無関係。だからそんなにビビんなよ」

「むう……別にビビってなんかないわよ。ただちょっと気になってただけ」


 それをビビってるっていうんだ、とラクトは内心笑ってしまうが、口に出せばまた拗ねてしまうのは目に見えているので心の中で留めておく。


「んで、レオナの家はこっからどれくらいなんだ?」

「んー、歩きじゃまだ遠いのよね。どこかでタクシーでも拾って行きましょ」

「……俺、金持ってねえんだけど」

「いいわよそれくらい。っていうかお礼するためにアンタを連れて行くんだからそんな心配するんじゃないの」

「マジか」


 近くを通ったタクシーを手慣れた様子で止め、中に入るレオナの姿にラクトは戦慄する。この国のタクシーはそんなに安いものではないはずだが、今どきの学生は随分と贅沢な生活をしているらしい。

 貧乏ゆえに今までタクシーを使った事のない男は、今まで堂々とした態度をだったのが嘘のようにソワソワしてしまう。


「何よタクシーぐらいで情けないわね。タクシーに乗ったことの?」


 そう言いながら、レオナは自分の頬が緩んでいることに気が付いていた。今まで散々主導権を握られていた彼女からすれば、こうして見返すチャンスを逃すわけにはいかなかった。

 自分よりも年上で、どこか普通の人間以上の雰囲気を持つこの男がたかがタクシー程度で動揺する姿は、少し可愛く見えた。


「タクシーに乗るより自分で走った方が早いから、今まで使わなかったんだ」


 本当はお金がなかっただけだが、情けないのでそういうことにしておく。もちろんレオナも分かっていたが、あえて追及する真似はしなかった。

 しばらくすると市街地に入り、人の数も多くなってきた。窓の外から見える外の世界は一年前とそう変わってはおらず、懐かしさが胸に宿る。


「そういえばさ、アンタはなんであんなところにいたの?」


 ふとレオナが思い出したように口を開く。聞き辛そうにしているところを見ると、ずっとタイミングを計っていたのだろう。

 タクシーは犯罪者対策のため、前の座席と後部座席の間に仕切りがあり、目的地を伝えた後はしっかりと閉められている。二人の会話が誰にも聞かれることはない、今だからこその問いかけだった。

 あんなところ、というのがダストボックスだということはラクトにもすぐに分かった。そして確かに自分は先程こう言ったのだ。


 ニードは簡単には犯罪者扱いされない、と。

 だからこそ、犯罪者達の巣窟になっている場所にいた自分は、それ相応の罪を犯したのではないか。そんな人間の傍に居て大丈夫なのか。そんな不安があるに違いない。


「あ、やっぱ今の質問なし。誰にだって言いたくないことあるわよね」


 正直に言うべきか、そう悩んでいるとレオナが焦ったように笑顔で手を振る。答えあぐねているのを敏感に感じ取ったのだろう。そんな彼女がせめて、ほんの少しでも不安が取り除かれるならばと思い、


「……俺は自分の意志であそこにいたからな」


 誰かに捕まっていたわけではない。言外にそう伝える。

 その意思を汲み取ってくれたのか、レオナはやや不安そうだった顔から一転して、誰もが振り向く最高の笑顔になる。


「そっか……ならよし!」

「信じるのか?」

「当たり前じゃない。恩人の言うこと疑うような教育はされてないつもりよ」


 本当は気にならないはずがない。なにせ今隣にいるのは普通の人間ではないのだ。いくらニードとして社会的に認められている存在であっても、それが犯罪者達の街にいたもであればまた話は別だ。だというのにそれを聞かず、それでも隣に座り続ける彼女の存在にどこかホッとしている自分がいた。

 どうやら自分は思っていた以上に、人との関係に飢えていたらしい。一年以上も気付かなかったことだ。


「……こういうのも、悪くないな」

「ん? なんか言った?」

「なんでもねえよ」

「そう? あ、もうすぐ着くわよ。降りる準備しなさい!」

「準備も何もないけどな」


 ようやく自分の家に帰れたことで心に余裕が出来たのだろう。年相応の笑顔を見せながら急かしてくるレオナを見て、まるで妹がいたらこんな感じなのだろうと一人で勝手に思っていた。

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