第5話
お金を貰ったことで役目を終えたタクシーは、颯爽と長い下り坂を走っていく。気が付かないうちにずいぶんと高い場所まで登ってきていたようだ。
「んーようやく着いたー! 見て、結構いい眺めでしょ?」
腕を空へ向けて大きく体を伸ばした後、レオナは自信満々に言う。
ラクトは言われた通り周囲を見渡すと、夕日に照らされる広い街並みを一望出来た。確かに今までいた汚いゴミ箱からは決して見ることの出来ない、価値ある景色だった。
しかし、振り返ってレオナを眺めながら思う。
拉致されたのが放課後の帰り道ということだから、未だ日が暮れていないことを考えると、実際には三時間程度しか経っていないはずだ。
ずっと緊迫した状況に晒されていた彼女からすると、一日以上経過したようにも感じられただろう。それでもなお、こうして元気に声を出せるのだから大したものだと関心する。
「ちょっと、あんまり女の子をジロジロ見るのはマナー違反。ていうか感想くらい言いなさいよね」
夕日のせいか、頬を赤くしながら両手で体を抱くレオナに言われて、初めて自分が彼女を見つめていたことに気が付いた。
キラキラと金色の髪が夕日に反射して輝き、優しく吹く風によってゆらゆらと揺れる。
「……ああ、綺麗だな」
「なぁっ!?」
唐突にラクトのつぶやいた言葉に、レオナの耳が真っ赤に染まる。
「――この街の景色」
「……………………でしょ」
たっぷり時間をおいてから、レオナも同意する。やや憮然とした言い方になったのは気にしてはいけない。気にしてはいけないのだが、あまりに思った通りの反応をする彼女を見て、笑わないように我慢していると体が震えてしまう。
「……なんてからかい甲斐のある奴」
「聞こえてんのよ! それと体震わすのやめなさい!」
「いやこれ生理現象だから」
「絶対違う! あ、こら笑うな! 私をからかって笑うなぁ」
レオナの攻撃をラクトは大きく口を開けて、隠すことなく笑いながら避ける。こんな反応も含めてここまで思い通りになる相手はほとんどいなかった。
楽しすぎる、と柄にもなく思いながら、何故か一縷の不安がラクトの脳裏を掠めていった。
風景やレオナで遊ぶことばかりに気を取られ、今になってようやく彼女の家を眺めたのだが、明らかに一般家庭とは思えないレベルの豪邸がその存在感を放っていた。
「どんだけ金持ちなんだよ」
「んーまあ確かに家族四人で住むにはちょっと広いかも。でも使用人も一緒に住んでるしこれくらい普通じゃないの?」
普通の家には使用人などいない。そう言外にお前は常識も知らないのかと言ってやると、レオナは少し頬を膨らます。
「それくらい知ってるわよ! でもクラスの中じゃ使用人がいないなんて少ない方だし」
「ちなみにだが、お前が行ってる学校ってどこ?」
「えっ? 聖レステカ学園だけど」
この国一番と言ってもいいレベルの貴族階級が集まる学校だと知って、確かにあそこに通っていればこの程度、普通と考えてもおかしくはないな、と納得する。
「あー納得。つまり正真正銘お嬢様なわけね。りょーかいりょーかい」
「うちはどっちかっていうと成り上がりだけどね。お爺様一代で会社を凄く大きくしたみたい。ちなみに去年引退して今はパパが引き継いでるわ」
お嬢様扱いしたことでレオナが少しムッするかと思ったが、本物のお嬢様を知っているからか苦笑する程度で収まっていた。
「はあー、何にしてもようやく帰れた。もう髪の毛もボサボサだし、早くお風呂にも入らきゃ」
「なんなら一緒に入るか?」
「は、入らないわよ馬鹿!」
レオナは顔を赤らめたまま大きな門に手をかけた。スムーズに開いた門をくぐると、綺麗に手入れされた庭が二人を歓迎する。
ラクトは十メートルほど先にある屋敷に向かって歩きながら左右に目を移す。視界の先には順番に立ち並ぶ木々と、均一に刈り揃えられた芝。他にも白いパラソルの下で寛げるように、テーブルとイスが幾つか置いてある。丁寧に作られた様式は、手入れした人間がどれだけここを愛しているかが一目でわかる光景だった。
「へぇ、いい庭じゃねえか」
「そうでしょ! ふふん、ここはママのお気に入りでね、専属の庭師に毎日手入れさせてるの!」
母親を褒められたからか、レオナはまるで自分のことのように嬉しそうに笑う。上機嫌のまま玄関までたどり着いた彼女は、そのまま中に入り靴を脱いでスリッパに履き替える。
それに倣うようにラクトも靴を脱ぎ、出されたスリッパを履きながらある違和感を感じていた。
「パパー、ママー、ただいまー! ……あれ?」
玄関から家中に聞こえるのではないか、そう思えるほど大きな声でレオナが帰宅を宣言したが、返事は一向に返ってこない。
時刻は七時を過ぎ、外では夕日も地平線の下へと沈んでいた。だというのに、この家には電気が一つも付いておらず、人の気配が全くしない。
しかし、そんなことがありえるのだろうか。一般家庭ならばまだわかる。父親がまだ仕事から帰らず、そして母親もなにか買い物にでも出掛けているのかもしれない。だが、この家にはまだ使用人が何人か在中しているはずなのだ。その全ての人間が外に出ているなど、どう考えてもおかしいだろう。
「おかしいわね……この時間ならユミルエとジャーニのどっちかはいるはずなんだけど」
レオナも違和感を感じながら、その違和感の正体を探るため真っ直ぐリビングを目指す。何か嫌な予感がする、そう感じているのは自分だけなのだろうかと隣の男を見るが、その表情からは読み取る事が出来なかった。
だが確かにラクトもこの屋敷の異常さを感じていた。そして以前にも同じような場面に遭遇したことがある。それは――
「えっ――?」
リビングの扉を開き中に入った瞬間、レオナがまるで予想していなかった光景を目撃する。
まるで強盗が激しく暴れたのか思わんばかりの惨状。十人は囲えるはずのテーブルがひっくり返り、その上に置いてあったのだろう、花瓶が割れて赤と黄色の花が床に散らばっている。食卓で見る予定だったテレビは液晶に罅が入り、天井を明るく照らすはずのシャンデレラがまるでスクラップのようにグチャグチャだ。
だがそんなものよりも遥かに印象的な光景。
「あ……あああっ……嘘……」
どうやったのか、壁一面に存在する四つの影。まるで逆さ十字だ。四つの頭が床に向くように、手足と胸部を血を連想させる赤黒い大きな杭で張り付けにされた男女の死体がそこにはあった。
そのあまりにも無残に晒された人物達を、レオナはよく知っていた。
「……パパ? ……ママ? それにユミルエにジャーニ?」
脳が今の現状を受け止めない。見間違うはずのない彼らを、今は信じたくない。
これは何かの間違いなのだ。見間違いでこれは全く知らない誰かで、自分の本当の家族は皆この惨状を作り出した何かに怯えて逃げて隠れているのだだからこれはそっくりさんでそう思うとこの異常な状況でも可笑しく思えてきて笑えてきてそれで――
「これ以上は見るな」
張り付けにされた家族の元へとフラフラとまるで吸い込まれるように向かっていると、正面にラクトが立って邪魔をする。
「……どいてよ、どいてくれないと見えないじゃない。あれはパパでもママでもないの。そっくりさんなだけで、だけど一応この家の人間としては誰か確認くらいしないと駄目でしょ? だから邪魔するんじゃないの邪魔しないでどいてどいてどいて……ドケェェェ!!」
レオナが狂ったように叫んだ瞬間、まるで彼女の怒りと悲しみに呼応するように凄まじい圧力がラクトを襲う。まともな人間なら怯え逃げ惑うか、その場で耐え切れずに気絶してしまいかねないそれを、彼は視線を一度も逸らすことなく正面から相対する。
空のように青かった瞳は血走り、さらに奥には深い悲しみだけが映されていた。零れる涙は止まることを知らないかのように頬を伝い、ポタポタと床を濡らしてしまう。
そんな彼女の様子を見て、ラクトは思う。
――こいつはまだ戻れる。
そう確信した瞬間、行動に移る。
「悪い。後でいくらでも言うこと聞いてやるから、今だけは眠っとけ」
警察達を相手取ったときとは違い、全力でレオナの腹部を殴った。ブルドーザーすら粉砕する人外の一撃を受けて、耐えきれる人間がいるはずがない。
前しか見えていなかったレオナは、無防備に受けたラクトの一撃によって先ほどの狂乱が嘘のように、あっさりと崩れ落ちた。
ラクトは倒れるレオナを抱き抱えるように支えながら、惨状を確認するように振り返った。
「さてっと……これは、考えられる限り最悪の状況なんじゃねえかな?」
今の現状がどのようにして起きたのかの一部を把握したラクトは、面倒臭そうに溜息を吐く。
張り付けられた四つの死体。明らかに人の犯行とは思えない所業。そして何よりも死体の周辺にあるべきものがない。
――血液という、人間なら誰もが体内に流れているものが、ない。
「はぁ……これ絶対に悪魔憑きの仕業じゃねえか。それに……」
ちらっと抱きしめている少女を見る。これからの事を考えて、より一層憂鬱になった。
「ま、乗りかかった船だし? こいつだって純粋にお礼をするつもりで俺をここまで連れてきたわけだし? 悪気なんて何にもないし、むしろ善意しかないし、面白いしそれに……」
――悪魔憑きを否定しなかったし。
自分達が人間ではないことは百も承知だった。化け物は化け物でしかなく、忌み嫌われるものでしかない。だが彼女はそんな自分を、大した力さえ見せていない時とはいえ、確かに受け入れてくれた。だから多少面倒でもいい。多少眠たくても我慢しよう。
せめて彼女が一人で前を向いて、自分の事を受け入れられるまでは――
「しゃーなしで守ってやるよ」
そう言いながらレオナを背負うと、ラクトは来た道を戻るように外へ出た。
長い長い坂を下りながら、すでに暗くなった空を眺める。思い出すのは昔の仲間たちの存在。人を愛し、彼女の為に生きると誓い、それが原因で決別した友のことを。
「金くらい、貸してくれっかな?」
それが無理ならどこか襲うしかないなと物騒なことを呟きながら、二つ重なった影は夜の闇へと消えていった。
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