第2話

 男――ラクトが目を覚ますと、何故か泣いてる少女に膝枕をされていた。記憶にある限り、自分は確か地面で寝ていたはずだ。体感的にはまだそう時間が経っていないのは間違いない。

 正直意味が分からなかったが、いつも以上に気持ちよく寝れたのは硬い地面ではなく、この柔らかい膝枕のおかげだろうと思う。久しぶりの人肌を感じたからか、自分の心が落ち着いているのがわかった。


「何で泣いてるんだ?」


 突然声をかけたからか、少女は驚愕の表情をした後、勢いよく涙を袖で拭う。


「何よ。起きてたんだったら言いなさいよっ」

「ああ、そりゃ悪かったな。あんまりにも気持ちいい膝枕だったからつい堪能しちまった」

「なぁっ!!」


 少女の顔が真っ赤に染まり、口をパクパクさせながら自分のことを見る。

 ラクトがそんな少女の反応が面白くなり喉の奥を鳴らして笑っていると、からかわれたのが分かったのか、少女は元々意志の強そうな蒼い瞳をさらに吊り上げた。

 面白いやつだ、とラクトは素直に思う。この掃き溜めのような場所に住み始めてから一年以上経つが、久しく見なかった新鮮な反応だった。

 少女の服装も綺麗なものだ。少なくともこの少女がゴミ捨て場に来てからそう時間も経っていないのだろうと判断できる。

 何故こんな少女がゴミ捨て場にいるのか気になったが、それよりも今はもっとこの柔らかい枕を堪能しよう。そう思い、体を捩じらせる。


「うひゃあっ! ちょっと、起きたんだったら体も起こしなさいよ!」

「嫌だね。この枕はもう俺の物だ」

「私のだから! あ、やんっ! 太腿触らないで! どーきーなーさーいー!」


 少女は両手一杯力を込めてラクトの頭を持ち上げようとするが、全力で抵抗されて思うようにいかない。

 少女が足に力を入れて立ち上がればすぐにでもラクトを落とせるのだが、それをしないのは少女の優しさだろう。

 顔を真っ赤にしている少女は気付いていないが、この時ラクトはニヤニヤと笑っていた。とはいえ、いつまでも抵抗を続けると本当に頭を落とされかねないので、自力で体を起こしておく。

 少女を正面から見ると、やはりというかこんな場所に居るべき姿ではないと思った。ダストボックス内は正しくゴミ捨て場。普通入ればすぐに髪の毛がボサボサになり、数日もすれば皆死んだ魚よりも暗い瞳をするようになる。

 それに対して、毎日手入れを欠かしていないのだろう、肩まで伸びたさらさらの金髪。瞳の奥に見え隠れする強い輝き。スカートの下から伸びる白く健康的な太ももには、くっきりと赤い跡が残っている。つい先ほどまで頭を乗せていたからだが、血液の流れが綺麗な証拠だ。


 これだけの美少女だというのに、特に鍛えている様子も見られない。彼女が一日でもダストボックスにいれば、着ているものは全て剥ぎ取られ、男達の慰み物となってしまうに違いない。


「な、なによ……」


 あまりジロジロ見すぎたせいか、少女は立ち上がると両手で体を隠すように後退る。その仕草はあまりにもからかいたくなる。


「…………」

「…………」


 ラクトが一歩前に進み出た。すると少女は一歩後ろに下がる。

 両手を上げてワキワキと指を動かす。すると体を震わせて少女の目に涙が溜まる。

 ラクトが更に少女に近づく。今度は少女も逃げなかった。その代わり――


「この……変態!」


 強烈なビンタがラクトに炸裂。何とも心地のいい音が暗い路地裏に響き渡ったのだった。

   



 二人は軽く自己紹介をした後、暗い路地裏を歩きながら、互いの事を話し合っていた。


 レオナとしても一人でいるより、明らかにここの住人達に怯えられている男の傍にいるのが一番安全だと判断したのだ。たとえ相手が変態であろうとも。


 ラクトの方は特に理由があったわけではない。ただ毎日惰眠を貪っているだけなのだから、膝枕代も兼ねて少し付き合おうと思っただけだ。


「じゃあなんだ。レオナは自分の意志でここに来たわけじゃねえんだ」

「当たり前じゃない。誰が好き好んでこんな犯罪者達の巣窟になんて近付くのよ」

「はは、違いねえ」


 レオナの言葉にラクトは気分を害した様子もなくカラカラと笑う。

 そんな彼を横目で見ながら、レオナは強気な言葉とは裏腹に余裕など全くなかった。遠巻きに見ている荒くれ者達にいつまた襲われるかわかったものではないと周囲を伺いながら緊張しているのだ。

 まだ襲われてから半日と経っていないのだから当然だろう。


「学校からの帰り道にいきなり拉致されて、訳も分からないまま降ろされたのがここよ。拉致した奴らは何も言わないまま私を置いて行くし、変な三人組には襲われるし……ホント最低」

「社会見学だと思えばいいんじゃね?」

「こんな物騒な社会見学があってたまるか! 得られるものが何にもないわ!」

「でもダストボックスの中なんて滅多に見られるもんじゃねえぜ。例えばほらあそことか」


 そう言うラクトの視線の先には男に組み伏せられて艶声を出す娼婦の姿があった。女側の顔を見る限り無理やりというわけではないようだが、それにしても非常識だ。


「なっななななななっ!」


 レオナは顔を真っ赤にして慌てて視線を逸らす。その視線の先には酷くいい笑顔のラクトがいた。


「な、外じゃ中々見られない光景だろ?」

「ドヤ顔で女子高生に見せつけることかぁっ!」

「うおっ、あぶな!」


 ラクトは間一髪で飛んできた右ストレートを避ける。

 レオナは避けられた事を気にせず、更なる追撃と言わんばかりに殴る蹴る。だがそれも余裕を持って避けられてしまう。


「ハア……ハア……もういい! あんた! あんなの見せるくらいなら私を外まで案内しなさいよ!」

「ま、十分楽しませてもらったからな。それくらいお安い御用だ」

「えっ?」


 まさか勢いで言ったことをこんなにあっさり承諾されるとは思わず、レオナはつい口を開けて変な声を上げてしまう。


「魚が陸に上がってみたら急に足が生えてきて走れるようになった時みたいな間抜け面してるぞ?」

「そんな意味不明で訳わかんない例えをされることそのものが不快だわ!」

「なんでだよ、せっかく人魚に例えてやったのに。女の子は皆好きだろ、人魚姫の話」

「アンタの例えだと半魚人よ!」


 レオナの言葉にラクトはおお、と感心した様子を見せた。その後すぐに険しい顔をして考え、顔を上げる。


「皆好きだろ? 半魚人の話」

「そんな話一つも聞いたことないわ!」

「今ふと思ったんだけどよ、半魚人って凄くね? 人間みたいに歩けて魚みたいに泳げるんだぜ。これって普通の人間より二倍以上努力してると俺は思うんだがどうよ」

「そんなん知るかぁぁぁ!」


 かつてないほど綺麗に回し蹴りが決まった瞬間だった。




「それで、本当に外まで案内してくれるの?」

「ちょ……タンマ……まだ、上手く呼吸が、出来ない……」


 ラクトは四つん這いの状態で苦しそうにお腹を押さえている。


「う、嘘なら嘘って早めに言いなさいよ。どうせ期待させるだけさせておいて、また私をからかおうとしてるんでしょ?」


 言葉の内容とは裏腹に、レオナの声は酷く震えていた。その中に混じっているのは怯えと不安。

 そもそもダストボックスとは外界と切り離された犯罪所の街であり、つまり外から見れば牢屋と何も変わらないのだ。中にいるのは犯罪者だけではなく、借金を返しきれなくなって逃げてきた者や、命を狙われた者もいる。

 もっともそうして中で待っているのは飢えた餓鬼共であり、外界のそれ以上の地獄でしかないのだが。

 そんな地獄の中へ入るのはそう難しいものではないが、外へ出るときは国の役人によって入念なチェックがなされるのだ。当然、入った者が簡単に外へと出られるとは到底思えなかった。

 レオナ自身、無理やり拉致されて中に入ったとはいえ、それを証明する手段などない。まず疑われるのは目に見えていた。

 そして実際に犯罪を犯していなくても、何かしらの事件に巻き込まれた者として厄介者扱いされてしまえば、役人によってそのままいなかった事にされる可能性も十分にあるという。

 一度ダストボックスの中に入ってしまえば、たとえ犯罪者でなくとも外に出してもらえず、銃で脅されて追い返されるという話はレオナも聞いたことがあった。だからこそ不安なのだ。本当にこのまま無事に家まで帰れるのか。もしかしたら一生ここから出られないのではないか。


「まあ心配すんなって」


 だがそんな心配をするレオナを安心させるようにラクトは力強く答えた。


「犯罪者じゃない俺達は外で言われてるほど、ここから出るのって難しくないからよ」

「……うん」


 頼りに出来るものが一つもないレオナにとって、その言葉は正に天の助けと言える。例え相手がどれだけ胡散臭い男であっても、信じて頼るしかないのだ。そうでなければどうなるかは、すでに身を持って体験しているのだから。

 それに犯罪者達が巣食う魔窟の中でさえ飄々と、見る者がいれば堂々と歩くその姿はどこか頼もしささえ感じた。だからこそ、レオナは彼を信じて男の背を追っていく。



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