告白

 縁は廃屋地下にあるベッドの上で目を覚ました。

 あの後縁は三島に体のメンテを受け、そのまま眠りに落ちた。

「おはよう。よく寝てたね」

 縁の隣の空いているベッドに腰を下ろしていた冬霞が、手に持っていたスマートフォンから縁に視線を移しながら言った。冬霞はゆったりとしたワンピース姿だった。

「ああ、おはよう……そういえば、今何時?」

 縁は意識がはっきりしてくるにつれて、自分がどれくらい寝ていたのか気になり始めた。

「今は午後10時。随分ぐっすりと寝てたね」

「マジで!?」

 まさかそんなに寝ていたとは思わず、縁は上ずった声を上げた。

「ほら」

 冬霞は縁に向かって自分のスマートフォンの画面を向けた。確かにそこには『22:08]と表示されていた。

「ホントだ……」

 確かに昨晩の矢吹との戦いで、縁の全身はボロボロになっていた。しかし、ここまで長い時間一度も起きることなく眠っているとは、縁も想定外だった。

「体調はどう?」

 縁は体の内側に意識を向けながら、体のあちこちを動かした。特に問題はなさそうだった。

「うん、大丈夫そうかな」

「一応お母さんには連絡してあるけど、さすがに帰ったほうがいいかな」

「そうだね」

 縁は短く答え、ベッドから降りて一度伸びをした。長時間寝ていたためか体のあちこちが固くなっていたようだ。全身の血の巡りがよくなったような感覚が心地よかった。

 ふと縁は昨日の事を思い出した。頭に血が上って、冬霞に向かってイキった発言をしてしまった。きまり悪さから体が硬直する。謝るならば、今なのではないだろうか。縁は冬霞の方を見ずに話しかけた。

「あのさ、冬霞」

「何?」

「いや、あの……」

 謝ったほうがいい、と分かっているのに、すぐに言葉が出なかった。時間が経ってからの謝罪というのは、時が経てば経つほど言葉が出なくなる。

「その……」

「昨日のことなら、気にしてないから」

「えっ」

 縁が口ごもっているうちに冬霞に先回りされ、縁は思わず冬霞の方を振り向いた。

「だけど、気をつけて。それと何かあったら私に相談して。私は、高木くんの『監視役』なんだから」

 穏やかだが、強い意志を感じさせる目で、冬霞は縁を見つめた。

「……ありがと」

 縁は顔が熱くなるのを感じながら、ぶっきらぼうに返した。どうにも照れくさくてたまらなかった。

「あと、矢吹くんの事は気にしなくていいから」

 縁がそのまま廃屋地下を後にしようとしたところで、後ろから聞こえてきた冬霞の声で足を止めた。

 今まで何人もの人間を殺めてきた縁だったが、矢吹を倒してしまったことに縁は罪悪感を覚えていた。今まで縁が手をかけてきた人間は、誰も彼も他人を食い物にしているような、いわば『クズ』ばかりだった。

 しかし、矢吹は違った。すでに誰かを殺めている可能性も当然ゼロではないが、確証はない。ただ操られていただけなのかもしれない上に、わずか数日だけではあったが、矢吹はクラスメイトだった。もしかしたら『無実どころか被害者の相手を殺してしまったかもしれない』という事実が縁の胸に突き刺さっていた。

「……矢吹くんってやっぱり誰かに操られていたのかな?」

 推測ではなく、願望だった。操られていたのなら仕方なかったと言い訳したかった。

 縁は冬霞に肯定してほしさに、祈るように呟いた。

「それは、分からない」

 冬霞が静かに言ったその言葉を聞いた瞬間、縁は心臓が縮んでいくような感覚を抱いた。

「でも、矢吹くんは恐ろしく強かった。あの場で矢吹くんを倒さなければ、高木くんだけじゃなくて私達全員やられていた。だから、あまり自分を責めないで」

 冬霞は年下の男の子に言い聞かせるような優しい口調で縁に語りかけた。

「だけど……」

 冬霞らしからぬ優しい言葉は、わずかだが縁の心を癒やした。ただ、素直にそれを受け入れる気分にはなれなかった。

「高木くん」

 いつの間にか冬霞が縁の横に立ち、縁の顔を見ていた。いつの間にかワンピースの上に上着を羽織っている。

「そんなに後ろ向きなのは、ずっと何も食べてないからだよ。あそこのファミレス、24時間やってるから。さ、行こ」

 冬霞は縁の腕を取った。

「え、ちょっと……わかった! 行くからちょっと待って! ……ちょっっと!」


「あ、もう日付変わってる」

 ファミレスを後にした縁がスマートフォンの画面を確認すると、画面には『00:34』と表示されていた。

 そんな時間ということもあり、町は完全に寝静まっていた。ファミレスから少し歩くともはや明かりは僅かな街灯のみだ。縁は『こんなに静かなのは、ただ住んでいる人がすでに眠りに落ちているだけ』だと分かっていても、まるで人が消えた町を歩いているような気分だった。

「もし今補導されたら、高木くんどうなっちゃうんだろうね?」

 冬霞は腕を後ろで組むと、何かを期待するような表情を浮かべながら縁を追い抜き、流し目で縁を見た。

「それは困るな……」

 もし補導をされてしまったらどうなるのか、縁はすぐに予想がついた。おそらく事実はどうあれ、自分が冬霞を連れ回していたことになってしまうだろう。

「早く帰ろう」

 そう思うと縁は自然と早歩きになっていた。冬霞と家の方向が同じだったことを、これほどありがたく思ったことはなかった。

 それにしても、今日の冬霞は若干変だ。不気味に感じるほど妙に優しい。何だかんだで気を使ってくれているようだ。照れくさくて本人に直接言うのは難しかったが、縁は心の中で冬霞に感謝をした。

 縁達がしばらく静寂の音が聞こえてきそうなほど静かな町を歩いていると、暗闇から浮かび上がるように、何者かが縁たちの前に現れた。

「……こんばんは。こんな時間に何をしてるの?」

 若い女の声だった。

「!?」

 目の前に現れた何者かは、純白のゴスロリファッションに、目元が隠れるほどの大きな帽子を深めにかぶっていた。暗闇の中でその出で立ちは、暗闇の中でぼんやりと明かりが灯っているように見えた。

 田舎町の、しかも深夜に純白のゴスロリファッションで現れた女に、縁と冬霞は無意識のうちに身構えていた。

「こんな時間に歩いている悪い子は、おしおきしないとね」

 そう言いながらゴスロリ女は大きな帽子を脱いだ。彼女の顔が2人の前に晒された瞬間、2人は目を見開いた。

「水坂……さん?」

「そうだよ。この前は矢吹くんの相手してくれてありがとね」

 水坂はまるで教室で雑談をしているような調子で微笑むと、

「今度は私が相手をしてあげる」

 一転、寒気を感じるほどの邪悪な笑みを浮かべたかと思うと、水坂の全身から衝撃波と共に白い煙が吹き出し、水坂の姿は異形の怪物に変貌していた。

 怪物の姿になった水坂の頭からは二本の角が生え、目は見つめられた者が射殺(いころ)されそうなほど鋭く、口元からは剣山のような歯がびっしりと生えていた。肌は不気味さを感じさせるほど白く、全身に不規則な模様が広がっていた。一見衣服を身につけていないように見えるものの、肩や腰回り等にはドレスのような装飾があり、それらは体から直接生えているようだった。そして爪はナイフのように鋭く、その爪で切り裂かれたらただでは済まないだろう。

「水坂さん……? そんなまさか……」

 冬霞は驚きを隠せないといった表情で何歩か後ずさりをした。

 縁の驚きは冬霞を超えていた。驚きのあまり、声を出すことすら出来なかった。信じられなかった。まさか矢吹だけではなく、水坂まで敵だったなんて。冬霞に出会ってから、何度も目に映るものを拒絶したくなることばかりだったが、今回はそれらの比ではなかった。

「さあ、高木くん、戦お?」

 水坂は「放課後遊びに行かない?」と誘うかのごとく、縁の方へ向かって歩いてきた。

 縁はなにかの間違いだと信じたかった。きっと水坂は誰かに操られている。そうに違いない。心の中で断言した。

「み、水坂さん、誰かに操られてるんだよね……?」

 縁は引きつった笑顔を作り、縋るように言った。

 水坂はその問いかけには答えようとせず、目にも留まらぬ早さで縁の目の前に移動すると、鋭い爪で縁を切り裂こうとした。

「高木くん!」

 縁の危機を察し、冬霞が叫んだ。

「くっ!」

 間一髪のところで縁は水坂の攻撃をかわし、距離を取った。首に巻いていたマフラーの端が、鋭利な刃物で切りつけられたかのように切断されていた。

「……残念ながら、私は正気だよ? ほら、早く変身してよ」

 水坂はわずかに頭を横に傾げ目を細めると、口の端を歪めながら再びゆっくりと縁の方へ歩み寄ってきた。

「高木くん……!」

「分かってるよっ!」

 縁は目の前で両腕をクロスさせ、変身した。

「へえ、それが高木くんの変身した姿なんだ」

 水坂はわずかに目を見開くと、

「じゃあ……これからが本番だね!」

 一気に加速を付け、縁に襲いかかった。その速度は矢吹よりはるかに速かった。

「くっ!」

 水坂の下から上への切り裂こうとする爪をギリギリのところで回避し、縁は水坂から距離を取った。

 水坂に裏切られ、縁は無意識のうちに西川の事を思い出していた。自分は西川と仲良くしていると思っていたのに、西川の口から語られたのは、自分のことを気持ち悪く思っていたという、心をズタズタに切り裂く凶器のような言葉だった。そして今、水坂にも裏切られた。仲良くしていると思っていたらこの仕打ち。なぜ自分ばかりこんな目に遭わなければならないのか。縁の心は怒りと悲しみに支配され、冷静でいることができなかった。

「水坂さん! 俺は戦いたくない! 俺たち、付き合ってるじゃないか!」

 まだ何かの間違いだと信じたかった。縁は懇願するように叫んだ。

「はっ?」

 それを聞いた水坂の表情が心底不愉快そうに歪んだ。その表情はまさに神話に登場する悪魔のようで、縁は一瞬体を硬直させた。

「お前、何を言ってるんだ? お前に近づいたのは、ただ単にお前の身元を調べる必要があったからなだけだ」

 氷の刃のような冷たい声だった。

 そして何かを思い出したかのように表情を緩ませると、

「まあ、お前が舞い上がってる様子があまりにも面白すぎて、ちょっとサービスしすぎてしまったかもしれないがな。これだから引きこもりのクソ童貞は……あ、今は引きこもりじゃなかったな」

 皮肉たっぷりに顔を歪ませた。

「そ、そんな……」

 フードコートで何時間も話し込んだのも、駅の前で告白されたのも全て、演技だった。ショックのあまり、縁はその場でへたり込みそうになってしまった。

 さらに追い打ちをかけるように水坂は喋り続ける。

「ついでに教えてやろう。お前、2年前に私の兄貴に無理やり女子生徒の制服着せられただろ? あれ、私のアイディアなんだよ。兄貴の事疎ましく思ってたなんて、真っ赤なウソだ。本当は家で兄貴の話を聞く度に大笑いしていたよ。お前のこと避けてたのも私なりの優しさだったのにさ……まさかお前からやってくるなんて思わなかったよ……しかも、私の嘘をいともたやすく信じちゃうなんて……クク……お人好しにもほどがあるだろ……クククク……」

 水坂は笑いがこらえきれなくなったのか、ゲラゲラと笑い出した。

「高木くん! 水坂さんの言うことを真に受けないで!」

 水坂の言葉で魂を抜かれたように立ち尽くしていた縁だったが、冬霞の声で我に返った。しかしそれでも、水坂の言葉は縁に精神的ダメージを残していた。

「あんな口からでまかせ」と一蹴してしまいたかった。しかしそうしようとすればそうするほど、水坂の言葉は縁の心を蝕んでいく。

「うっ……うう……」

 縁はすでにまともに戦える状態ではなかった。構えを取っても、穴の空いた容器のように戦意が流れ出ていく。

「ううううううううううぁあああああああああああ!!!!」

 縁は半ばやけくそに雄叫びを上げながら、水坂との距離を一気に距離を詰めると、顔面に向かってパンチを放った。大振りの、見え見えのパンチだった。

 水坂はそのパンチを退屈そうにかわすと、縁のみぞおちに向かって手刀を放った。手刀は深々と突き刺さり、縁の体を貫通した。

「ぐ、が……」

 縁の口から血が溢れ、水坂の体を濡らした。

「全く、ちょっと揺さぶっただけでこれだなんて、あまりにも脆すぎる……」

 水坂は心底うんざりしたように吐き捨てたが、その声は縁の耳には届かなかった。

「高木くん!」

 2人から少し離れたところに立っていた冬霞が、二人のもとに駆け寄ってきた。しかし凍てつくような水坂の目に睨みつけられた冬霞は、その場で不自然に動きを止めた。水坂の目は「近寄ってはいけない」と本能に訴えかけてくる恐ろしさがあった。

「さて、どうやってとどめを刺そうかな?」

 水坂が縁の体を貫いたまま呟いた瞬間、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

「チッ」

 水坂は縁の体から深々と刺さった腕を引き抜いた。ぽっかりと空いた傷口からはとめどなく血が流れ、縁はその場に崩れ落ちた。

 水坂は縁を一瞥すると、風のようにその場を去っていった。

「高木くん!」

 冬霞が泣きそうな声を上げながら縁の元に駆け寄った。縁の変身は解かれ人間の姿に戻っていたが、水坂によって開けられた傷からは血が流れ続けていた。

 徐々にサイレンの音が近づいてくる。

「高木くん、死なせないから……」

 冬霞は縁を肩に抱えあげると、素早くその場を後にした。


 縁は目を覚ました瞬間、今自分は地下の廃屋にいるのだとすぐに理解した。

「ここで目覚めるの何度目だろう……」

「高木くん!」

 天井を見上げている縁から見て左側から声が聞こえ、縁は声の聞こえた方向に首を動かした。

 それは冬霞の声だった。

「高木くん……よかった……ほんとに……」

 冬霞は縁に駆け寄ると、その綺麗な顔を歪め、目から涙を溢れさせた。宝石のような目の端からとめどなく涙が流れ続ける。そして冬霞はそれを何度か服の袖で拭った。

「冬霞……?」

 いつもクールな冬霞が感情を溢れさせている光景に、縁は戸惑いを覚えずにはいられなかった。しかしどうするべきか全く思いつかず、縁はただ涙を流す冬霞を眺めていた。

「いや、本当に無事で良かった。しかしまさか水坂あすかが敵だったとは……」

 どこからともなく三島が現れた。いつものように何を考えているのか表情から読み取ることはできなかったが、若干疲れているようだった。

「高木、とりあえずお前の体は無事だ。かなり大掛かりな修理になってしまったが、いい機会になった」

「ありがとうございます……」

 三島の発言に縁はわずかに違和感があったものの、素直にお礼を言った。

「ちなみに、今何時なんですか?」

「15時5分……。だが高木、お前は2日間眠っていた」

「え、本当ですか?」

 三島はポケットからスマートフォンを取り出すと、縁に画面を見せた。確かに日付が2日進んでいた。

 それを見ると、縁も信じるしか無かった。縁の最後の記憶は水坂に体を貫かれた直後だ。その間の記憶は全く無い。まるで数日だけのタイムスリップをしたような気分だった。

 縁は上半身をベッドから起こした。2日間眠り続けていた割には、体も頭も特に違和感はなかった。もしかしたら自分は仮死状態にされていたのかもしれない。そんな考えが一瞬頭によぎったが、怖くて三島に聞くことは出来なかった。

「……俺、負けたんだな」

 水坂に騙され、精神的にも、肉体的にも完膚なきまでに叩きのめされた。負けた。その一言を呟いただけで、胸の奥にある古傷が開いたかのような痛みを縁は感じた。

「きっと、また水坂さんは私達の前に現れる。今回は運がよかったけど、もう負けは許されない」

 冬霞はいつの間にかに泣き止んでいたものの、目が赤くなっていた。

 もう負けは許されない。そう冬霞は言った。つまり、また水坂と戦わなければならない。縁には全く現実味がなかった。水坂は自分たちの命を狙っている。当然野放しにしておくわけにはいかない。そして『アレ』と戦えるのは自分だけだと分かっている。それなのに、再び水坂と戦う自分をイメージすることができなかった。

 しかしそんなことを言える状況ではなく、縁は曖昧に「うん」とだけ答えた。


 縁が家に帰ると、リビングには母親がいた。何も言わないわけにも行かず、縁が「ただいま」と答えると、母親は顔をほころばせ、「おかえり。彼女と過ごす連休は楽しかった?」と尋ねた。

「あ、そうか」

 縁は今日が3連休の3日目であることを思い出した。3連休ならば確かにアリバイを作る事は簡単だ。もし3連休ではなく平日だったら……。

「ま、まあ、楽しかったよ」

「そう。それはよかった」

 縁の返答に母親は満足そうに頷いた。


 自分の部屋に入った縁は、上着を脱ぐとベッドの上に倒れ込んだ。縁は天井をぼんやりと眺めながらここ最近あったことを思い出していた。謎の美少女に薬を飲まされたと思ったら体を改造され、高校生をやりながらクズのような人間を始末する仕事をする羽目になった。そんなことを続けていたら同級生が敵として現れ、同級生の一人は自分をいじめていた男の妹だった。そしてなぜかその妹と付き合うことになったと思ったら、その妹は自分たちの敵で……。

 あまりにも無茶苦茶なことばかりで、縁は自虐的に鼻を鳴らした。信じられないことばかりで、リアルな長い夢を見ていたのではないかと思うほどだった。

 縁はベッドのフレームを握った。フレームはまるで粘土のようにいとも簡単に歪んでしまった。

 夢ではない。縁は歪んだフレームを雑に元の状態に戻すと、いつの間にか眠りに落ちていた。

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