遭遇

 その週の土曜日の午後。縁と冬霞は隣の市に来ていた。縁は両親には隣の市に冬霞と遊びに行く、とのみ伝えていた。相手が冬霞ということもあり両親は特に文句も言わず、縁を送り出してくれた。

 当然2人は遊びに来たわけではない。今回も仕事のためだ。そして隣の市への移動手段も、いつもと同じように三島の運転するワゴン車だ。

 今回縁達がやってきた隣の市も、縁の住む市に負けず劣らずの田舎だ。むしろ田舎度は隣の市のほうが高いと言えるだろう。

 路面状況のいいとは言えない国道を走り続け、縁達は山頂を切り開き作られた、『水の里』へ来ていた。かつてここは葛藤(つづらふじ)と呼ばれた僧侶が干ばつに苦しむ農民のために井戸を掘り、農民たちを救ったと言い伝えられているところだ。そしてその井戸から組み上げられる水は、今や通販限定とはいえ全国から注文が来るほどの人気商品になっていた。

 縁は麓にある駐車場から階段を登り山頂へたどり着くと、そこから周りの景色を見渡した。辺り一面は畑と田んぼばかりで、その間を縫うように道路と用水路があるばかりだった。

 水の里にはここで葛藤が井戸を掘り農民を救うまでの歴史や、この水の里ができるまでの歴史が書かれた大きな看板と、水を販売している売店、そしてその後ろには山頂には似つかわしくない無骨な工場が建てられていた。そして葛藤が掘ったとされる井戸はその工場内にあり、外から井戸を見ることはできなかった。

 縁から少し遅れて山頂へたどり着いた冬霞は、工場を眺めている縁の横へ立った。山頂に吹き付ける風で冬霞の長い黒髪が揺れる。

「ここが今夜高木くんに働いてもらうところ」

 冬霞が工場を眺めながら、風で揺れる髪を手で撫で付けながら言った。

 縁は思わず「え、それ言っちゃっていいの?」言おうとしたが、その前に冬霞が「これくらいなら言ってもいいかなと思って」と付け足した。

 縁は「それでいいのか……」と内心思いながら周りを見渡し、もう一度工場を見つめた。こんなところに何があるのだろう。縁にはさっぱり見当がつかなかった。


 そしてその日の深夜。水の里から1時間ほどの距離にあるビジネスホテルで仮眠を取った縁達は再び水の里へ向かっていた。今回はいつものように黒い作業着のような格好で直接向かうわけには行かず、一旦道の駅のトイレで着替えを済ませてから向かった。

 水の里は営業時間外には門が閉じられているものの、山の切り開かれていないところを通ることで簡単に侵入することができた。

 周りに田畑しか無い山頂は完全に闇だった。そして時たま風の音が聞こえるのみで、無音という音が聞こえそうなほど静まり返っていた。

 縁は手に持ったライトで工場を照らした。闇の中に佇む工場は見た目の無骨さも相まって寒気を感じるほど不気味だった。ここに入るのか……と思うと自然と体が緊張してくる。

「この水の里なんだけど、実はとっくの昔に井戸水は枯れてしまっているみたい」

 隣にいた冬霞が唐突に話し始めた。

「あれ、だけど今日普通に水売ってたよね?」

 縁は昼間の記憶を思い出しながら言った。売店には確かに水が販売されていた。

「そう。だけどあの水はここの井戸から汲み上げたものじゃなくて、他のところから汲み上げた水をそれっぽく加工しているだけ。要は詐欺」

「えっ……」

 事務的な口調で語られる衝撃の事実に縁は目を見開き、頭をわずかに後ろにそらした。

「いやいや、そんなのダメでしょ」

 自然と縁の語気が荒くなる。

「だから今日高木くんにやってもらうのは、工場の内部を破壊してもらうこと。幸い『こんな田舎にわざわざガサ入れする奴なんていない』と高をくくっているのか、警備もザルみたい」

「分かった」

 縁は手に持ったライトを冬霞に渡し、一歩前に踏み出した。そして両手を目の前でクロスさせ、変身した。

 変身した直後、縁は感覚に変化があることに気づいた。周りは闇だったはずなのに、周りに何があり、どれくらい距離があるのかがなんとなく『分かる』のだ。目に見えるものは相変わらず闇だが、言うなれば耳で見ている。そんな感覚だった。

 縁は工場の前にある売店の横をすり抜け、工場の入り口へ向かった。

 入り口は工場の側面にあった。締め切られた鉄扉に向かって縁は掌底を放った。鉄扉は見るからに頑丈そうだったが、まるで段ボールのようにいともたやすくひん曲がった。縁はひん曲がったことでできた隙間に手を入れ、扉を無理やりこじ開け中に入った。

 工場のあちこちには配管が張り巡らされ、線路のようにローラーコンベアが敷かれており、敷地内の傍らには売店で見かけたパッケージのペットボトルが大量に置かれていた。

 縁はこのような施設に入ったことはなく興味津々に工場の中を見渡していたが、自分が何のためにここに来たかを思い出し、躊躇しつつも目に入った鉄でできた配管を殴りつけた。配管は鉄でできていたがこれまた簡単に折れ曲がり、継ぎ目から水が漏れ始めた。それが思いの外気持ちよく、思うがままに配管を破壊した。そしてそれに飽きると回し蹴り、踵落としを使いローラーコンベアを心ゆくまでに破壊した。

 縁はいつの間にか自分が快感を抱いていることに気がついた。血液の温度が上がっているかのように体が熱く、そして軽かった。楽しくてたまらない。何かを滅茶苦茶に壊すのはここまで楽しかったとは。自分の中にある固く閉ざされたドアが開き、その中から何かが少しずつ這い出てくる。そんな感覚だった。

 縁はひとしきり工場内を破壊すると、ちょうど目についた鉄扉を破壊し外に出ようとした。しかしそこは外ではなく、小部屋だった。そしてその部屋の中心には人工的に削り取られた岩のような塊があった。

 縁はその塊に歩み寄った。それは岩の塊ではなく、古びた井戸だった。縁は井戸の縁に手を置き、中を覗き込んだ。暗闇の中で井戸の底を見通すことはできなかったが、すでにこの井戸はとっくの昔にただの穴と化してしまっている。縁の感覚がそう言っていた。


 縁が工場の外へ出ると、冬霞は縁が工場に侵入する前と同じ位置に立っていた。

「工場の中は一通り滅茶苦茶にしたよ」

「ありがとう。お疲れ様。それじゃ、今日は帰りましょうか」

 冬霞が口元に僅かな笑みを浮かべながら言った。

 縁がその言葉を合図に変身を解こうとしたところで、何者かが砂を踏みしめる音が聞こえた。縁と冬霞は反射的に音が聞こえた方向へ振り向いた。

 そこには何者かが立っていた。

「誰だ!」

 縁は何者かへ向かって問いかけるも、それに答えることなく何者かは距離を詰めてくる。

 ゆっくりと歩み寄ってくる何者かの輪郭が、徐々に明らかになっていく。明らかに人間離れしている。異常なほどに四肢が太い。

 そしてついに何者かは、冬霞の手に持ったライトで全身を照らすことができるほどの距離にまで近寄ってきた。縁と冬霞は目の前に現れた怪物の姿に唖然とした。

 その怪物は、全身が岩でできているかのようにゴツゴツとしていた。異様に太い四肢は巨大な岩の塊のようで、デスマスクのような不気味な白いマスクを被っていた。

 縁は構えを取り、冬霞は2人から距離を取った。

 次の瞬間、怪物はその見た目とは不釣り合いな身軽さで縁に向かって突っ込んできた。そして右腕を振り上げ、縁に向かって振り下ろした。

 その一撃を縁は両腕で受け止めた。変身して強化された縁の体でも、全身が痺れるほどの衝撃が走った。

 続いて左腕が振り下ろされる。縁は右に動きながら右腕を振り払い、攻撃をかわした。怪物の腕が空を切る。あまりの風圧に、縁は首筋に寒気を感じた。

 まともに食らったらただでは済まない。縁は怪物から距離を取り、構えを取った。

 あの化け物は何者なのだろう。縁は目の前に急に現れた怪物に動揺を隠せなかった。冬霞に聞こうにも今はとても聞ける状態ではない。

 再び怪物は縁に向かって突進してきた。縁も地面を蹴飛ばし怪物へ向かって突っ込んでいく。怪物の右腕が縁に向かって振り下ろされる。縁は怪物の右腕を怪物とすれ違うようにかわした。そしてすれ違いざまに怪物の背中に向かって回し蹴りを放った。怪物は背中を仰け反らせ、地面に倒れ込む。衝撃で地震のように地面が揺れる。

 手応え十分。縁がそう思ったのも束の間、怪物は何事も無かったかのように立ち上がり、構えを取った。敵は想像以上にタフなようだ。

 来る。縁は再び構えを取る。だが怪物は縁に向かってくる気配がない。次は何を仕掛けてくるんだ。縁が警戒を緩めること無く怪物を睨みつけていると、

「今晩はこんなところだな。またな」

 怪物は低く籠もった声で一言言うと、背後にある林の中へ去っていった。縁は怪物が姿を消した林の近くまで走り寄るも、気配は感じられなかった。どうやら逃げたようだ。

 縁は変身を解いた。変身を解いた瞬間、全身を一気に疲労感が襲った。どうやら長時間の変身は体に負荷がかかるようだ。

「何だったんだあれは……」

 縁が肩で深呼吸をしながら怪物が去っていった林を眺めていると、冬霞が縁の元に走ってきた。

「高木くん、大丈夫?」

「俺は大丈夫。それより、あれは一体?」

 急に現れ自分たちを襲ってきた謎の化け物。あれは何だったのか。冬霞ならば何か知っているのではないか。縁はそれが気になって仕方がなかった。

「とりあえず、下で待っている三島さんのところに戻ろう。そこで話すから」

「分かった」

 今の冬霞なら信用してもいい。縁はそう判断し、冬霞と共に駐車場に車を停めて待っている三島の元へ向かった。


「……なるほど、そんな奴がいたとはな」

 冬霞の報告を受けた三島が車を走らせながら言った。

「なぜ私達があそこにいた事が分かったんでしょう。偶然にしては出来すぎています」

「そんなことより、あの化け物は何なんです?」

 冬霞から「後で話す」と約束していた縁は我慢できず2人の会話に割り込んだ。

「三島さん、機密に触れないところまでは話しても構いませんよね?」

 助手席に座っていた冬霞が三島の横顔を見ながら言うと、「ああ」と三島が短く答えた。

 その返事から一拍置いて、冬霞は話し始めた。

「私達の『組織』には対立する勢力がいて、私達と同じように表舞台には出てこないような高度な技術を持っているの。そして彼らはこんな田舎にまでわざわざ顔を出すことはないと思ってたんだけど……どうやらいたみたい。それが今日私達の前に現れた化け物の正体」

 急に現実味のない話をされ、縁は冬霞の話す内容をすぐに受け入れることができなかった。しかし現に自分は怪物に変身できるという、冗談みたいな体に改造されてしまっている。受け入れることができなくても、納得するしか無い。

「なるほど……ってことは、あの化け物も俺と同じように人間が変身してるってこと?」

「おそらくね」

「というか、どうして対立してるの?」

 似たような組織があり、対立していて、今日襲ってきた化け物もおそらく人間だという事は理解した。しかし、なぜ対立する必要があるのかが縁には分からなかった。

 冬霞は、「分かりやすく言うと、彼らがやりたいことを、私達が邪魔しているから。かな」と抽象的に答えた。

「つまり、コンクリートにヒビを入れたのも、相馬議員を殺したのもその、『彼ら』の邪魔のためってこと?」

「そう」

 縁は冬霞の様子が少しおかしいことに気がついた。態度が普段に増してそっけない。

「冬霞どこか体調が悪いの?」

 ストレートに「そっけなくない?」と聞くわけにも行かず、縁は回りくどい質問で探りを入れることにした。

「ごめんなさい、ちょっと眠くて」

「分かった。ごめん」

 ホテルに着いてから全員仮眠を取ったはずなのに、と縁は思いつつもそれ以上詮索はしないことにした。


 翌朝。3人はビジネスホテル近くにあるファミレスで遅い朝食をとることにした。そのファミレスは、縁の住む町にあるファミレスと同じチェーン店だった。

 店内に入ると、スタッフの1人が「いらっしゃいませー」と言いながら縁たちの前にやってきた。

 そのスタッフは冬霞を一瞬眉間にしわを寄せた表情で見ると、

「あ、お客様、昨日もいらっしゃいましたよね。2日連続ありがとうございます! お客様美人だから記憶に残ってたんですよ」

 営業スマイルではなく自然な表情で笑った。

 まさか昨晩冬霞が夜中眠そうだったのは……。縁は深く考えないようにした。

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