第23話 ドライブ
山梨には案外すぐに入った。
県境を超えて、整備された壁の向こうには木々が顔を見せていた。
ここまで来るまでの道程はスムーズだった。
平日の何もない日ということもあって車の通りは少なく、山梨に入ってからは激減した。
相模湖を通り、山を越え、景色は目まぐるしく近郊が懐かしくなるほどの田舎に来たが、ここまでの移動時間はおおよそ一時間弱であり、何なら電車で都内に行く方が時間がかかる。
車内では基本、俺と君島がくだらない話をして時間を潰していた。
「テスト近いけど勉強してる?」
「学校サボってここに居るのにそれを訊くのか? まあ、ぼちぼちだけどな。教科書は読んでる」
「へぇ、ちゃんと教科書とか読んだりするんだぁ」
「そりゃあ、読むぐらいはな。逆に言うとそれ以外はしない」
「ノートとかは?」
「書かない。あれは書いてもほとんど意味ないって中学の時に気付いた。いや、正確に言うと自分が気になったところだけ書いて、それだけだな。無駄なところを書いても後で読み返したとき、どこが重要なのか分からないだろ?」
「まあ、確かに、そうかな……? 一応、何も考えずに板書を移してるけど……」
「板書って言っても、ほとんど教科書に書いてる内容ばかりだ。だったら教科書読み込んだ方が何倍も効率が良いし、生産的」
「うーん。冷静に考えればそうだけど……。ノートを取るのは固定観念的になっちゃってるところもあるし、難しいね」
君島の考えに頷いた。確かに、勉強をする方法論としてまず教えられるのが、ノートを取ること。読み書き、計算、何にしてもノートを取るのは重要だと言える。しかしそれがいつしか手段ではなく目的に移り変わっていることが往々にして存在する。
肝要なのは知識を覚え、その知識を応用的に使用できる能力であって、その能力が一番成長するのが授業の最中。授業中いかに知識の概要を認識し、その応用方法を思い付くのか。しかして、そんな授業に参加しないのが俺なのだが。
「ノートを取ることが悪い行為じゃない。ただ、黒板に書かれたものを機械的に書いては意味が無いということだ。それでは他の皆と同じノートが出来上がるだけ。いかに個性的なノートを作り、自分らしく授業の内容を取り入れるのか。三者三様、十人十色。オートの内容はそうあるべきだ」
今まで無言だった父が会話に参加してきた。父の言うことは確かに頷けるものだった。
「けれど、それは授業を受ける、と言う前提に基づくが……。葵、お前には該当しない」
何だか良いことを助言してくれて少し感心していたのに、最後に余計な一言を……。隣で君島もソワソワと所在無さげに顔を俯かせていた。
「ああ、すまない。香代さんを責めているんじゃない。僕も葵のサボり癖を特段、注意していないからね。教育の観点から言えば親として失格なのかもしれないが、僕は学校だけが高校生の世界ではないと考えていてね。まあ、多少なりとも学費を出してはいるが、息子の意向を尊重するのが親の役目だ。その分のお金は親としては当然の対価さ。だから、決して君を責めている訳じゃない。さっきの文言はただの事実の繋がりを指摘したに過ぎない。気にしないでくれ」
「あっ、はい、大丈夫です」
父の言葉に君島が恐る恐る頷いた。
なんとも、父のコミュニケーション能力は最高に下手くそだ。無表情から言い放たれる遠慮のない物言いは表面的に見れば冷酷にも取られるが、実際は事実に基づいたことを言っているだけで父に他意はない。その物言いは相手のことを考えて正確な情報の伝達を心掛けているが故の言い方なのだ。
なんだかんだ言って父は他人に優しい。優しいがために他の人の仕事を助け、自分を顧みない。そういった部分に母は惹かれて、しかして逆に心配でもあるらしい。
君島も本当に怖がっているという訳でもなさそうだった。
緊張はしているものの、口の端は少しだけだが微かに上方向に歪んでいる。
君島は微笑んでいた。
俺は彼女に声を潜めて囁いた。
「ごめんな、父さんに悪気はないから」
「えっ、あ、うん。それは大丈夫。何となくだけど優しい人だってこと伝わるよ。うん、やっぱり西条のお父さんなんだなって……」
「そ、そうか? よく分からないが、まあ、誤解がないなら良かったよ」
君島の考えに基づけば、俺も優しい人になる。
意地悪な人と思われるよりも優しい人と認識してもらえるなら、それに越したことはないが、実際、君島にこれと言って優しくした覚えはないしな……。
彼女は俺のどこを見てそれを優しさと捉えたのだろう。
まあ、優しさを感じるのはどこまで行っても受け取り側にある。優しさを享受した側は無意識なのが常だろう。
少しだけ君島のその認識の理由を知りたい好奇心が顔を出しながらも、自制心でそれを何とか仕舞い込み、俺は窓の外を何となく眺めた。
車窓からの眺めは変わり映えの無い田舎風景だと思い込んでいた。会話の前はそうだったので気づかなかったが、いつの間にかその景色には富士山が眺望できていた。
「富士山だ」
俺の呟きに呼応して、君島が俺の方の窓に近づいた。
「ほんとだ、富士山!」
キラキラした瞳に笑顔を付随させて、彼女はなんとも魅力的な表情で車窓の景色を眺めていた。
俺は窓の景色を見ているふりをしながら、彼女の表情を盗み見る。そして、身体が近い彼女の身体からは何だか甘い匂いもして……。今更ながら、俺は彼女を意識していた。
そういえば、君島は可愛いんだった……。
彼女の見た目は俺の目から見て十分可愛く、綺麗でもあった。
そんな君島に見惚れていると――。
「そろそろ着くぞ」
父の声が前方から聞こえ、辺りを見回す。
木々の囲まれたここは、本栖湖キャンプ場。
「よし、着いた」
そして、ここが俺たちの目的地だ――。
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