第2部

第21話 日曜日

 君島と出掛けた翌日、昨日と比べて布団との同化率を高めながら、三度寝ほどして、十一時ごろ、ようやく俺はベッドから降りて、居間に顔を出した。


「もう! 中途半端な時間に起きて。遅く起きるならせめてお昼ご飯の時に起きなさいよ」


 おはようの挨拶も無しに、母から苦言を呈される。

 俺は「ごめんごめん」と欠伸交じりに答えて、テーブルの前に座った。そんな俺に母は「はあ」とため息を吐きながらも俺のために朝食の支度をしてくれる。ありがたや、ありがたや。

 それにしても、休日になると途端に早起きが出来なくなる。まあ、昨日は例外だったが……。

 早起きが出来ない理由は簡単で、昨日の夜、早く寝なかった、それだけ。明日は休日だし、もうちょっと遅く寝ても良いよな、という魔の誘惑。

 けれど、だからと言って午後まで寝ていることもほとんどない。何故だか十一時とか中途半端な時間に起きてしまう。早く起きるなら早く、遅く起きるなら遅く、そう出来ればいいのに、と頭では分かっているのに、何だか俺の人生みたいに中途半端な起床時間になる。

 そんなこんな自身の中途半端さを改めて考えていると、朝食の支度が終わったらしく目の前には、味噌汁と焼き鮭と、炊き上がった白米。ザ・和食。


「いただきます」


 箸を指に挟んで掌を合わせる。


「どうぞ」


 と、台所で洗い物をしている母から返事が返ってきた。その声を合図に俺は朝食に手を付けていく。

 まずは味噌汁。わかめと豆腐のシンプルな具材に、ほんだしと味噌の香ばしい風味。


「ズズズズズ」


 音を立てながら温かい味噌汁を飲んでいった。冷えていた身体が胸を中心に温まっていく。おお、染みる。

 次に焼き鮭。骨は丁寧に抜かれており、大骨はもちろん小骨すら見当たらない。気持ちよく鮭の切り身を箸で一口大に取って、口に運ぶ。焼き鮭の旨味と塩味が同時に口に広がり、これも美味い。そして同時にご飯も頬張る。焼き鮭、ご飯。焼き鮭、ご飯。たまに味噌汁。

 最高のサイクルで食べていき、そうして最後の一口。

 焼き鮭をパクリ。ご飯をパクリ。

 最後に温くなった味噌汁を飲んで、食べたものを胃に流し込んでいく。


「ふぅー」


 息を漏らして、お腹を擦る。

 美味しかった。

 窓からの陽光と、朝ご飯の美味しさで幸福ホルモンが満たされていく。

 ああ、幸せ……だ。


「ごちそうさま」


 手を合わせて、軽く会釈。

 そのまま食器を重ねて台所へ。シンクに入れて食器を水に漬けた。


「まったく、もう」


 未だ寝ぼけた顔の俺に母は呆れた様子で俺を見る。


「ほら、歯、磨いて、顔洗ってきなさい」

「ほーい」


 目を擦りながら母の言葉を背中で聞いて、俺は洗面所に向かった。

 洗面所に向かう途中、階段から父が下りてきた。


「おお、おはよう」

「おはよ」


 父はワイシャツの上に灰色のカーディガンを羽織って、腕を抱いていた。

 昨日の寒さが続いてどうやら今朝になってもその寒さが続いているらしい。

 寒さの影響で布団から出れなかった、というのも理由の一つ。


「もう少し、早く起きた方が効率的だぞ」


 俺の頭をワシャワシャと掻き撫でて、居間に向かっていく。髪がボサボサだ。

 俺はボサボサになった髪を手櫛で整えて洗面所に入った。

 歯ブラシに歯磨き粉を乗せて、歯をゴシゴシ。磨いて磨いて、グチュグチュ、ペッ。

 書くのが面倒くさいので擬音ばかり。

 歯を磨き終えれば、お湯で顔を濡らす。そして洗顔料を手に取って、網で洗顔料を泡にする。フワフワになったら、それを顔に塗って、ぬるま湯で流していく。

 毎日、同じルーティン。これをずっと続ける。続けることこそ、重要。


「よし」


 タオルで優しく顔の水滴を拭き取って、あとは顔に化粧水と乳液を染み渡らせて、ようやく朝のルーティンが終わった。

 顔がすっきりして、爽快感を感じられる。

 やっと朝がやって来る。


「………」


 と、言ってもそろそろお昼。

 着替えて、居間でコーヒーでも飲もう。

 二階に上がって自室で着替えたら、何となくスマフォを確認した。

 LINEのアイコンにメッセージが一つ付いていた。

 気になって確認してみれば君島からのメッセージだった。

 内容は、


『おはよう!』


 というものだった。俺も『おはよー』と返した。送信するとすぐに既読がついて『今日もがんばろー』と文言と一緒に、何かのキャラがガッツポーズしているスタンプが送られてきた。今日も頑張る……、休日の何もない日に何を頑張るのだろうか……。なんて、ことはさすがに言葉にはせず、『はいはい』というメッセージで流した。

 そうしてスマフォを手に持ったまま自室を出て、階段を下りる。居間に行けば父がソファに座って新聞を読んでいた。母はその隣でテレビを見ている。


「あら、コーヒーでも飲む?」


 居間に来た俺に気付いて母が首を傾げる。


「うん」


 小さく頷いて、テーブルの方の椅子に座った。スマフォを閉じて、何とはなしにテレビを眺める。テレビでは春のキャンプ特集をしていた。


「はい」

「ありがと」


 マグカップを手前に置いてくれた母に軽く頭を下げた。

 湯気の立ったインスタントコーヒーを口につける。

 深い苦味が口内に広がり、喉を通して熱を身体全体に行き渡らせる。

 さいっこー。つまりは最高。

 何故にコーヒーって飲みたくなるのだろう。

 良いコーヒーとかではない、安いインスタントなのに、無性に飲みたくなる。

 コーヒーを飲みながらテレビを眺める。

 まだ、キャンプ特集が続いている。

 キャンプと言えば夏のイメージだが最近はゆるいキャン的なアニメ効果で秋キャンプも流行っていたり、世は空前のキャンプブーム。

 そして最近は春キャンプもおすすめ、ということをテレビのキャスターさんが話していた。

 へぇ、いいな……。と、思いはするが、いざ外に出て色々準備するのはなぁ、と結局動かない俺。

 ソロキャンプとか憧れるけどなぁー。

 あっ、でも一年に二、三度のペースで父とキャンプに行ったりはする。なんか知らんが誘ってくるんだよなぁ。俺も嫌ではないので断らないが……。

 と、考えている最中だった。


「ああ、そう言えば、今週の月曜から水曜まで有休を取ることになった」

「あら、そうなの?」


 突然の父の告白に母が反応していた。

 父は仕事一筋の人間だ。証券会社に勤めており、現在は管理職の立場でそこまで仕事量は多くないはずなのに、他の人の仕事も手伝って結局、仕事量は管理職になる前よりも増えている。父はドМなのだろうか。俺なら考えられない。

 まあ、と言うこともあって父は上から言われない限り有休を取らない。なので度々、人事から注意を受けているらしい。


「ああ、そうなんだ。だから今度の月曜日、山梨の方でキャンプにでも行こうかな、と思うんだが……」


 言葉尻が萎んで、そのまま俺の方に視線を移した。俺はその視線に気づいて父を見つめる。


「葵、一緒に来るか?」


 無表情の父。父の感情表現は乏しい。いつも同じ顔で、それでどうやって若い頃、営業とかしていたのか疑問で仕方ないが……、もしかしたらそれが逆に愛されるのかもしれない。以前、母に父のどういったところに惚れたのか訊いたら、「あの仏頂面の顔が良いのよ。でも、内心はすごい寂しがり屋で可愛いのよ」と答えてくれた。

 父が寂しがり屋……。俺には考えられないが、まあ、事実は得てして、そういうものなのかもしれない。

 と言うか、父も母も学校のことは聞かないんだな……。月曜から水曜ということは平日だ。もちろん平日には学校がある……はずなのだが。

 両親ともに俺が学校や授業をサボることを黙認していた。それが呆れた故なのか、それとも寛容さ故なのか分からないが、その事に関しては何も言わない。

 父は良いとして母なんか何か言いそうなものだが……。

 まあ、中学時代のこともあるしな――。まだ、あの過去が影響しているのかもしれない。俺にしてみれば、今はもう、と言うか当時ですら特に気にしていなかった。

 なんて、少し昔のことを思い出してしまった。俺は思考を戻して、父とのキャンプについて考え直す。

 そして、考えて結果、俺は父の誘いに、


「いいよ」


 と、答えた。

 やはり特に断る理由もないので俺は誘いを受けた。

 ああ、でも――。

 学校をサボるのは良い。けど、昔の俺なら気にしなかったが、今は、俺には君島がいた。

 俺はふとスマフォに視線を向けて――。そうだ、と思い付いたままそれを言葉にする。


「あと、友達も誘っていい?」


 その問いに父は首を傾げて、


「ああ、いいぞ。……その友達は昨日の?」

「あっ、ああ……」


 俺は目を中空に逸らして、中途半端に頷く。何と言うか父に君島の話をするのは抵抗がある。なのに、キャンプに誘うって……、しまったな。特に何も考えずに言葉に出してしまった。


「そうか」


 その返事とともに、父がどこか微笑んでいるように見えた。今はもう無表情に戻ってしまったが、一瞬だけ温かい雰囲気がそこにはあった……ような気がした。


「その子が大丈夫なら、僕からも相手の親御さんに連絡するから、そう伝えなさい」


 父の言葉に頷いて、さっそくスマフォで君島にキャンプの誘いを連絡した。

 このメッセージもすぐさま既読がついて、そしてすぐに返信が来た。


『うん、行く行く!』


 声も無いはずの、その文字は何故だか弾んでいるように感じた。 

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