第19話 公園、二回目

 図書館をあとにした俺たちは家の近くの公園に来ていた。

 二人ブランコに揺られながら、春にしては寒い春風を肌で感じる。

 公園には誰もいなかった。

 しんっと静まり返る公園は寂しさを残しながらも、虚しさとは別に安心する心地よさがあった。

 誰もいない、それは得てして孤独から生じる寂寥感を覚えるが、しかし、どこまでも伸び伸びとした気持ち良さもどこかで感じていて……。

 働くようになったら、こんなこともないのかな、とふと思った。

 休日なのに、会社からの連絡に心の隅でビクビクして、本当の安寧を味わう事は叶わず、精神的に摩耗していく日々。

 社会人二年目の従兄がこの前、家に来た時、そんなことを愚痴っていたっけか……。

 やだなぁ、大人になるって……。

 そう遠くない未来を思い浮かべて心地よかった気持ちが憂鬱に変異し始める。

 俺は頭を振って気分を変える。

 今は、このだらしなく、何でもない日常を謳歌しよう。

 今この時にしか味わえない、平凡な日常を。


「よっと」


 ブランコから降りて自販機に向かう。

 君島も俺に続いてブランコを降り、ついてきた。


「なに、飲む?」

「んー……」


 口をすぼめて自販機を見る君島。彼女は悩んだ結果、ホットココアを選んだ。

 俺は財布から小銭を取ろうとして――、彼女の手に阻まれた。


「あっ、いいよ。自分で出す」

「ん? こんぐらい、いいけどな」


 映画館の時と同じく君島は自分の分は自分のお金で買った。どうやらこういった金銭感覚というか、人に奢ってもらうのに抵抗があるのかもしれない。まあ、自分の分は自分で、当り前か。

 俺は自分の分――、微糖の缶コーヒーを選んで買った。

 プルタブを開けて、缶を傾ける。

 熱さに慎重になりながら、少しずつ飲んでいった。

 そう言えば、朝もここではない、大きな公園でコーヒーを飲んだな。その時は俺が奢ったのか……。


「君島は奢ってもらうのが苦手なのか?」


 自分では思い浮かんだ疑問に答えが出せなかったので直接、訊いてみた。

 君島はホットココアの缶を両手で持ちながら、首を傾げる。


「うーん、そういう訳じゃないけど……。まあ、その場のノリかな。気分と言っても良い」

「はあ。と言うことは朝、俺がコーヒー買ったのは?」

「あれは、雰囲気だよ。そう言う空気だったの」

「ふーん。なんじゃそりゃ」


 よく分からん。まあ、君島香代という人間がよく分からない生物であることはもう分り切っていた事だ。ここら辺で考えるのは止めよう。

 そうして俺たちはしばし缶を傾けながら、雑談を交わした。

 明日は日曜だけど何してんの? とか、そろそろ中間試験だっけ? とか、まあ、色々。

 そんな雑談も十分ほどして一息つくと、俺たちはベンチに座り、空を眺めた。


「もう、十五時か」


 そろそろ夕焼け空に移り変わる時間帯。

 今日はこのくらいでお開きにしようか。

 俺は腕を上げて身体を伸ばした。そしてそのまま隣の君島に顔を向ける。


「そろそろ、帰るか」


 俺の提案に君島は「うん」と小さく頷いた。

 しかし、動かずに俯いたままの君島。

 俺はそんな彼女を不思議に思いながらも立ち上がって「よしっ」と振り返る。


「帰ろう」


 俺の言葉に――、しかして彼女は動かなかった。

 首を傾げて、しゃがんで顔を覗く。君島はそれに呼応して顔を背ける。

 おいおい、どうした、また突然。

 やっぱり君島はよう分からんぜよ。

 顔を背けた君島にもう一度首を傾げた。

 困ったな……。どうしたものか。

 目じりを下げて、彼女を方を見つめる。

 君島はそっぽを向いたまま、動かない。

 困り果てた俺は、しゃがんだまま彼女を待った。

 まあ、君島の謎行動はこれに始まったことではない。彼女のペースで待つとしよう。

 嘆息を小さく漏らして、彼女の動向に従った。

 そうして君島を待ち続けていると、ようやく彼女から呟きが聞こえた。


「あのさ」


 掠れた声は、すぐさま風に吹きとばれそうだった。聞き逃さないために顔を近づけると、それに驚いた君島が頬を赤く染めて後ずさった。

 待て待て。そんな嫌がられると俺でも悲しむぞ。

 眉を下げてため息を吐く。

 俺から一定の距離を保った君島は、頬を朱に染めたまま、肩で息をしていた。

 どうした? 気分が悪そうだ。


「大丈夫か?」


 と訊くと、「大丈夫」と返ってきた。そして頭を振って「そうじゃなくて……」と話を戻す。


「私さ……」


 君島は俯いて、身体をモジモジと揺らす。

 どこかソワソワした空気が充満しているような気がした。

 なんだろう、これ。


「どうした?」


 俺の言葉に俯かせていた顔をガバッっと上げて、俺と君島は互いを見つめた。

 そして、熱い吐息から漏れ出た言葉――。

 君島は、俺に向かって――。


「私、西条と、もっと仲良くなりたい!」


 君島が叫んだ。

 寒風吹きつけるこの公園に、彼女の叫びが遠く空に向かって消えていく。

 静かなこの場所には妙に耳にこびり付く言葉。


「仲良く? ああ、そうか……」


 何と言うか、小学生の頃を思い出す。

 仲良くなりたい、なんて面と向って言われたのは久しぶりだ。無邪気で何も考えていなかった頃、それが簡単な友達の作り方だった。今は、何故だか自然に、けれど本質は不自然に友達のような奴らが形成されていく。

 どこかで空気を見る努力をする必要性が生じて、いつしかそれが表面的に見れば、言葉を介さず、人との繋がりを作ることが可能になって、しかし、その繋がりは鎖のように自分を縛り付け……。けれど、いざという時は簡単に絶たれる、脆くて強固な、歪な繋がり。

 でも――。

 君島は違った。

 どこまでも、彼女は純粋で、俺の理想を体現してくれる。

 俺はそんな君島が……。


 ――好きだった。


「ああ、仲良くなろう。これからもっと仲良く……」


 微笑みながら彼女の叫びに返答した。

 たったこれだけでいい。

 言葉にするだけで、その繋がりはどんな鎖よりも強固で、どんな糸よりも優しく絡んでくれる。

 ああ――、俺はこれを望んでいた。

 君島は俺の顔を見て、嬉しそうに、はにかんだ。


「うん!」


 それにしても仲良く、か……。

 俺は一瞬だけ思い浮かんだ可能性を心の片隅に押し込んだ。

 もしかしたら、と、その可能性を考えてしまった自分。


 ――もし、君島に告白されていたら俺はどうしたのだろう。


 そんなの、ありえない、ありえないはずなのに……。

 そんな可能性が頭をよぎった俺は……。

 ため息を吐いて首を振る。

 今は、その気持ちに蓋をする。

 俺が今、見ているのは目の前の君島なのだから――。

 仮定ではなく、妄想ではなく、想像でもなく、現実の彼女に俺は微笑んだ。

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