第18話 図書館、二回目

 君島が提案した行先は図書館だった。

 行き慣れた図書館。見慣れた図書館。

 いつもの図書館――。


「ここで、いいのか?」


 隣の君島に顔を向ければ、「うん、ここで良い」と言葉が返ってくる。


「そうか」


 俺は彼女の返事に頷き返して、前に進んだ。君島も俺の後に続いた。

 自動ドアを抜けて、図書館入口の改札が出迎える。

 利用カード……。俺は財布の中から図書館の利用カードを取り出して、手に取ったカードを改札にかざそうとして――。

 君島を見る。

 君島は潤んだ瞳でこちらを見つめていた。


「利用カード、持ってないのか?」


 君島はうんうん、と大きく頭を上下させて、俺の手を取った。


「どうすればいいの?」


 その言葉に俺は苦笑して、カウンターを指で示した。改札の奥と手前で繋がっている受付の一箇所には『利用カード発行手続き』と書かれた場所があった。

 俺たちはそこに向かって、手続き書類を受け取り、記入し、学生証を提示して……。

 そして、案外すぐに利用カードを作ることが出来た。


「よっしゃ!」


 君島はこぶしを握り、腕を振り上げた。そこまで喜ぶような事ではない。

 俺はため息とともに「行くぞ」と君島を急かして改札を抜けた。君島も後に続いてカードをかざし、そしてようやく図書館の中に入ったのだった。


「ここが図書館かぁー」


 君島は吹き抜け、三階建ての空間を見上げて、そんな感想を漏らす。どうやら君島にとっては図書館は初めてらしい。新鮮味を感じた瞳で図書館の中を見渡していた。

 そんな君島の様子をしばらく眺めていると、突然、肩を叩かれた。驚いて、後ろを振り向けば――、


「なんやの、土曜日に珍しいなぁ」


 そこには栞さんがいた。笑顔で俺の肩を叩き、彼女のブラウン色の髪が軽く揺れる。


「うん? あれ? 奥の可愛い娘は葵くんの……カノジョ?」


 栞さんは後ろの君島に気付き、首を傾げた。そして、その問い掛け……えっ?

 カノジョ? 彼女? かのじょ?

 つまり、恋人か……?

 うーん。

 君島と恋人……。それはどうにも想像できない関係性だった。

 俺と君島はそう言うのじゃない。もっと曖昧で蒙昧で胡乱な、すぐさまかき消えてしまいそうな関係で、けれど大切な関係。


「違いますよ。友達です」


 俺は素直に返答した。園城には言い渋った事実も、栞さんにはするりと言葉が零れた。栞さんが学校の論理の外にいるからだろうか。それとも俺にとって栞さんは特別な人なのかもしれない。まあ、人としてな。


「へぇ、葵くんに友達いたんか。そりゃ、意外」


 栞さんは瞳を大きく開き、驚きを表す。


「俺にも友達くらいいますよ」


 いると言っても君島ぐらいだが……。


「まあ、お姉さんは安心したわ。ちゃんと葵くんにも話し合える人がいてくれたんやな」


 微笑みまじりに俺を見つめる栞さん。その表情が慈愛に満ちており、どこまで行っても彼女は清潔で、純粋で、そして優しい人だということを再確認した。

 彼女のように優しい人間になりたい。中学時代、そう思っていたっけか……。

 そして後ろの君島も栞さんに気付いたらしく、振り返って頭を下げた。


「こ、こんにちは……」


 栞さんは愛おしそうに緊張した様子の君島を見つめて、


「こんにちは。柳葉栞って言います。よろしくね」


 優しい笑顔で小首を傾げた。


「あっ、はい。よろしくお願いします」


 君島は尚も緊張したように震えた声で言葉を返す。今までの君島を見る限り、どうやら彼女は人見知りらしい。初対面の人間には緊張する。

 ――うん? いや、だとしたら俺とはどうなんだ? と、疑問が浮かび始めて――。丁度そのタイミングで君島が栞さんに、未だ緊張した面持ちで声を出した。


「あの、『ジョゼと虎と魚たち』、今さっき、西条と映画、観てきました。とても面白かったです。けど、原作も良かったです。どっちも内容も面白さも違くて、けど、どっちも辛くて、苦しくて、でも――、優しい物語でした」


 俺は君島の言葉にハッとする。


 ――優しい物語。


 そうか。君島はそういう風に解釈したのか。

 俺は顔を朱に染めて、けれど栞さんの顔を真っすぐ見つめる君島の姿を優しく目を細めて眺めた。

 何だか、すーっと、いつの間にかいなくなっているように、音もなく彼女が遠くに感じた。


「そっか。葵くんにおすすめした本、読んでくれたんやね。嬉しいなあ」


 栞さんも俺と同じく優しく目を細めて、君島を見つめた。本当に嬉しそうに微笑みを浮かべて。


「あんたは、なんていう名前なんやろか?」


 栞さんが君島に問いかけた。そう言えば、君島は自分の名前を言ってなかったか。


「き、君島……、君島香代って言います」


 声はまだ震えていた。

 栞さんはその緊張の姿に「ふふっ」と小さく笑って、口に手を添える。


「可愛いなぁ」


 愛おしげに君島を見つめて、そのまま俺の方に顔の向きを変えれば、ニヤニヤと口を歪めていた。


「なんですか?」


 呆れた気持ちで訊く。栞さんは口を歪めたまま、先程の優しい微笑みとは違う、どこか嫌な笑みを浮かべたまま俺に近づく。そして口に手を添えたまま、声を潜めてきた。


「なんや、葵くんも、すみに置けんなぁ」


 肘をぐいぐい俺に押し付ける。少し痛いので止めてほしい。

 俺はため息を吐いて「はいはい」と背中を押して栞さんを押しのける。


 

 そんなこんなで無事終わった君島と栞さんの初めての邂逅。

 その後、俺と君島は栞さんの案内のもと、図書館を周った。

 俺にとっては見慣れた景色も、君島にとっては新鮮なものばかりのようで目をキラキラさせて、辺りを見回していた。

 そんな君島の笑顔を横目で見ながら、俺は微笑を浮かべる。

 そして、そんな図書館ツアーも終わり、俺たちは図書館を後にする。


「ほな、葵くんも、香代ちゃんも、また一緒に来いやぁ」


 手を振って見送る栞さんに俺たちも手を振り返して、入り口の自動ドアを抜けた。

 外に出ると俺たちの身体に風が吹きつけ、先程よりも少しだけ寒くなっているように感じた。

 腕を抱きながら「寒い、寒い」と言い合う俺たち。


「これじゃあ、桜、散っちゃうね」


 君島が苦笑しながら、そんなことを言った。


「確かにな。もう春も、すぐに終わる」


 頷いて、君島に苦笑し返す。

 そしてそのまま、何となく君島を見た。

 脱色した茶髪が風になびき、中途半端な髪色なのに、その髪がどこか綺麗に見えた。


「小説の感想を言うためにここに来たのか?」


 俺の問いに君島がこちらに顔を向ける。そしてすぐに「うん」と頷いた。


「言いたかったんだぁー。ごめんね、付き合わせて」

「いいよ、こんぐらい」


 君島の理由に胸がすっきりした。何と言うか、その理由はとても俺好みだった。

 感想を言うために図書館に。そんなシンプルな理由がとても良かった。


「あっ、あと、それと――」


 思い出したように君島が声を出した。そしてそのまま俺に意地悪そうに笑みを浮かべて、


「西条がお世話になってる司書のお姉さんも、実際にこの目で見たかったしね」


 歯を見せて笑う君島。


「ああいう人が好みなの、西条は。年上好き?」


 そして、どうでもいい質問も続ける。俺は微笑んでため息を吐く。


「ああ、そうだな。俺は年上なのに背が小さい、栞さんみたいな人が好きかもな」


 そう言うと、君島は唇を尖らせて、


「ふーん。そっか、西条は年上ロリが好き、と。はぁー、そうですかー」


 と、重い息を吐きながら、投げやりに言葉を紡ぐ。

 俺はそんな君島に「まったく」と呟いて苦笑した。

 そんな冗談を言い合って笑いながら、俺たちは隣同士で前を進む。

 風で舞う桜を風景に、硬く物静かなコンクリートの道を歩いた。




 二人が外に出たのを確認して、私は小さく吐息を漏らした。


「なんや、可愛い娘やったなぁ……」


 緊張した香代ちゃんは、どこまでも愛おしく、抱擁したくなるほどに可愛らしい女の子だった。

 見た目は少し気だるげで一匹狼のようにも思ったけど、根はとても優しい娘なのだろう。


「………」

 

 そんなところが――、どこか葵くんに似ていた。

 だから、まさしくお似合いの二人だった。

 そして、そんな二人を見て、何故だか肩を落としている自分がいる。


「ほんま、ええなぁ……。ほんま……ええなぁ」

 

 同じ文言を繰り返す。その羨望は自分ではどうしようもないから、言葉にするしかない。

 私は――、

 同じ歩幅で、同じ速度で、葵くんと一緒に隣で歩ける香代ちゃんが――。


 ――とても羨ましかった。

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