第15話 映画館
映画館に到着した。
朝一番に入った映画館は土曜日だが、人はほとんどおらず、少人数が点々と上映時間を待っていた。
自動ドアを抜けてすぐ、券売機の列に迎えられ、その中の一台の前へ俺たちは向かった。
画面をタッチし、お目当ての『ジョゼと虎と魚たち』の作品を選び、十分後に上映が開始される時間帯を指で触れる。
「それじゃあ、はい」
君島は財布から千円札を取り出し、俺に差し出す。
「これぐらいなら、俺が払うぞ?」
その提案に君島は首を振って、
「それこそ、これぐらいなら自分の分は自分で払うよ」
と言って、苦笑した。
「そうか」
俺は彼女の言い分に特に反論もせずに頷いた。たしかに、そうだな、と思ったのだ。
二人分のチケットを買って時間が来るまでそれぞれ手洗いを済ませ、それでもまだ時間があったので二人でグッズ売り場を冷やかした。
「あ、そうだ。なんか食べる?」
俺は売店の方に指を向けて訊いた。君島は「うーん」と瞼を閉じて悩んでいる。
「西条はどうする?」
「俺?」
「うん」
そう訊かれて、売店のカウンター、その頭上の画面に表示されているメニューを眺めながら少し考える。
「俺はいいかな。映画、観ながらあんま食べたり飲んだりしないんだよ」
「そうなんだ」
君島は横目で俺を見ながら相槌を打った。
「俺はそうだけど、君島は気にしないで頼んでいいぞ。ポップコーンとか、チュロスとか色々あるらしいぞ」
「うーん」
君島は尚も悩んだ表情で唇を突き出している。
「食べたいなら、食べればいいじゃん」
俺が笑いながら君島に言うと、
「女子は食べたいから食べる、ってそんな簡単じゃないの!」
と、たしなまれた。どうやら女子は色々複雑のようだ。
「あのさ、西条と分けながらじゃダメ?」
君島が小首を傾けて、俺の瞳を真っすぐ見つめてきた。
「まあ、いいけど。小さいサイズ頼むのは――」
俺が言い終わるのを遮って君島が首を振った。
「ダメ。西条と半分こ。はい、それでいいよね?」
彼女の瞳は有無を言わせない迫力を有していた。俺に選択権は無さそうだ。
「ああ、分かった。それでいいよ」
ため息を吐いてカウンターに向かう。
店員にポップコーンのレギュラーサイズとチュロスを一本、そしてそれぞれ飲み物を頼んだ。
やって来たポップコーンたちを持ってカウンターを後にする。そして、ちょうどそのタイミングで『ジョゼと虎と魚たち』の上映五分前を知らせるアナウンスが流れた。
俺たちは入場口に急ぎ、スタッフにチケットを見せ、エスカレーターで上の階に上がった。
この映画館は一階に売店や券売機、受付などがあり、二階より上の階にスクリーンが備えられているらしい。
俺たちが向かうのはスクリーン⑥、三階に位置している。
エスカレーターに乗っている間、ふと、君島の服装に目が行った。
そう言えば、家を出てからここまで彼女の服装を気に留めていなかったように思える。何だかんだ映画館までの道程、結局、心のどこかで緊張していたので、彼女の服装にまで注意が向かなかったのだろう。
改めて、君島の服装を見て、彼女の穿いているスカートに既視感を覚えた。
あれ、どこかで見たような――。
「………」
君島のスカートに視線を注いでいると、さすがに、そんな俺を訝しがって君島が首を傾げてきた。
「どうしたの、西条?」
俺は眉間に皺を寄せたまま、
「いや、まあ……」
と、誤魔化した。しかし君島は首を傾げたまま俺の様子を不思議そうに眺めている。
そうして、彼女のスカートに視線を向けたまま考えて――、二階に到着し、三階へのエスカレーターに乗るタイミングで、ようやく得心した。
「ああ、あの時のロングスカートか」
君島の――、ワインレッド色のロングスカートはいつぞやの日、駅ビルの店で買ったものだ。
そこで、改めて彼女の全体像を眺めた。
黒のニットが君島の身体にフィットし、上半身を引き締めている。胸の膨らみすら強調的に見え、どこかエロく感じるのは俺が卑しい目で君島を見ているということなのだろうか。いや、そんなはずないと思うんだけどなぁ……。
そしてボトムスは先ほど言ったロングスカート。
黒のトップスにワインレッドのスカートが大人っぽい印象を与え、いつもの君島とはまた違った魅力を感じた。
「えぇー、今さら?」
君島が不満そうに目を細めて俺を見た。
「いや、ごめん、ごめん」
俺は反射的に頭を下げた。けれど……いや、特に謝る必要なかったよな。俺が君島の服装を見ていないからって、何が駄目という訳でもない。
でも、じゃあ俺は何で謝ったのだろう……?
何と言うか君島に会ってからは君島本人だけにとどまらず、自分にさえ疑問を持つことが増えたように思える。どうしたんだ、俺?
君島は尖らせていた口を元に戻すと「そう言えば――」と言葉を続けた。
「西条のワイシャツ、同じ色だね」
君島が笑顔で俺の上着を指差した。
自分が着ているシャツに視線を向ければ、たしかに彼女のスカートと同じ色のワインレッド。
今日の服装はワインレッドのワイシャツに黒のパンツ。そこまで色を使わずにシンプルな服装を心掛けたが、君島は俺の服を見て「ヤクザっぽい!」と笑った。そんなに怖いか? けれど君島は「でも――」と言って微かに笑みを浮かべた。
「なんだか、シミラールックみたいだね」
俺の知らない単語だった。
「シミラールック? なにそれ?」
「知らない? 恋人と服装の雰囲気を一緒にしたり、部分的にペアルックするんだよ」
「ふーん、へぇー」
そんな言葉があるのか、と頷いていると、君島の顔がどうにも赤いように思った。
シミラールックのくだりから、頬が赤らみ始めていたように感じたが……。
「おい、大丈夫か?」
「えっ?」
俺は君島に頬が赤いことを告げると、彼女は慌てて頬に両手を当てた。
「ホントだ。熱い」
何と言うか、君島が頬を朱に染めている場面をよく見かける。おそらく体質なのだろうが……。
「飲むか?」
俺は手に持っていた彼女の飲み物を軽く上げて、彼女に問いかける。
君島は「大丈夫」と笑って首を振った。
「そうか、なら、いいけど……」
君島は「ふぅー」と息を吐いて深呼吸をしていた。本当に大丈夫か?
そんな君島を心配に思いつつ、三階に辿り着き、スクリーン⑥に向かう。
中に入ると、まだ場内は明るくライトで照らされていた。
チケットを確かめながら、自分たちの席を探す。
「ああ、ここだ」
先頭に立っていた俺が後ろの君島に振り返って場所を教える。
奥から俺が座って、君島が手前の席に座った。
場内の客入りは朝、一番最初の上映ということもあって、それぞれ離れた位置でぽつぽつと席に座って、そこまで人はいない。
横目で確認すれば、客層は性別問わずに、また年齢もバラバラで家族で来ている人もいれば、お一人様もいる。けれど目立ったのはカップルで来ている人たちだった。まあ、確かに映画の内容を考えればカップルで来ても不思議ではない。
そう言えば、俺たちは他の人からはどう見られているのだろう――?
一見して、やはりカップルなのだろうか。
俺と君島がカップル、か……。
いや、やめよう。
俺は瞼を閉じて、思考を止めた。
「楽しみ」
君島がスクリーンを眺めながら呟いた。
「そうか」
と、俺は相槌を打った。
場内がだんだんと暗くなり、闇を作っていく。そうして真っ暗になるとスクリーンでは映画の予告が始まった。
音響も大きくなり、ああ、始まるんだな、という実感がわき始めてくる。
十分ほどの予告が終わり、そして遂に本編が始まった。
俺と君島は常闇のなか、光り輝くスクリーンを見つめる――。
上映が終わり、スクリーンが灰色になると、場内は明るさを取り戻し、眩いライトに照らされた。
一息ついて、脱力する俺。
いやぁ、二回目なのにやっぱり面白かった。
一回目では気づかなかった作画なども見つけて、充足感に満ちた映画鑑賞だった。
俺が一人、満足感に浸っていると、その横で君島が止めどない涙を手の甲で拭っていた。
途中から君島は泣くのを抑えられずに、声を抑えながらも肩を震わして涙を流していた。
そんな君島が、なんだか面白くて、つい笑みを零してしまう。
「ハンカチ持ってるか?」
俺の問いかけに君島は鼻をピクピクさせながら「うん」と頷いた。
小さなバッグからハンカチを取り出して、目元に優しくハンカチを押し付ける。
「そんなに感動したか?」
涙を拭く彼女に訊くと、君島は、
「すごい良かった。感動した」
と、また泣きそうに、震えた声で答えた。
「そうか、なら、よかった」
俺は身支度をしながら小さく笑った。君島も涙を拭き終えて、身支度を始めた。
「西条、ありがとう」
バッグを肩に掛けながら、君島が微笑んだ。そして、言葉を続ける。
「あのさ、また一緒に映画、観ようね」
彼女はその言葉を残して席を立った。
俺はそんな彼女の背中を見つめながら、
「ああ」
と、返答した。
また、二人で来る――。その時はどんな映画を観ようか。
そんないつかの、けれど近いような未来を思い浮かべて、俺も席を立った。
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