第14話 さんぽ、二回目
歩きたい道を歩く。それはまさしく行き当たりばったりの自由な道行き。
そんな散歩をしている奴がいるならそいつは、まさしく本物なのだろう。
しかし、実際、そんなことをしている奴がいるとも思えない。憧れはするけど。
俺も行き当たりばったりの感覚のようでいて、散歩中の道程は知っている道や、ある程度、見当がつく道を選んでいる。この歳になって迷子になるのも笑えないからな。
だから、俺は散歩をしても結局は基本、知っている道しか歩かない。
俺っていう人間は性根の部分で臆病者なのだろう。
そう、俺とはそういう人間なのだ。
さて、ひょんなことから君島に散歩のお誘いをした俺だが、改めて考えると、
――散歩をする、とは何なのだろうか?
哲学だ。プラトンもアリストテレスもビックリの哲学だ。
分からない。どういうことだ。
誘ったのは俺だけれど、いざ散歩ってなると何をして良いのか分からない。
誘った側、つまりはホストである俺がエスコートするのが当然として、いや散歩のエスコートってなんだよ。
思考がまとまらない。答えは導かれない。うーん、どうしようか……?
しかし、ここで、――歩道の途中で立ち止まり続けている訳にもいかないだろう。
俺は考えの整理もつかずに一応、映画館の方角に向けて歩くことにした。
計画もクソもない。
つまりは無計画な訳だが、まあ、考えてみれば俺とはそういう奴なのだ。何も考えずに、その場の流れに身を任せる。だから物事に緊張もしないが、真剣にもなれない。
それは俺にとって、確かに悪い部分、直すべき点だと思っている。
けれど、今この瞬間においては、自分がこんな性格で良かったと感じる。
肩の力を抜いて、脱力する。
なるようになる、よな。
楽観的になろう。俺がどうこうしたところで、何になるのか。
下手に緊張して、君島を不快にする可能性もあるのだから、いつもの俺で、――いつもの君島との接し方でいこう。
君島に気付かれないように小さくため息を吐いて、自然な態度に声を出す。
「遠回りするか」
俺の呟きに君島が微笑みながら頷いた。
「いいよ」
なんだか楽しそうな君島。そんな彼女を見て、不思議でたまらない俺。
自然に、いつも通りに、と自分に言い聞かせる俺に、君島ははあっけらかんといつもの態度で……。
何と言うか、緊張しているのは俺だけなのか?
それに、いつも通りと言うか、いつも以上に楽しそうな君島の様子に、なんだろう……? そんなに俺との散歩が楽しいのか? それとも、これから観る映画が楽しみとか?
分からない。まったく分からない。
――君島と言う存在は全然、理解できない。
この謎は彼女と出会ってから未だに拭いされていない。もしかしたら一生かけても解き明かせないミステリーなのかもしれない。
だが――。俺は頭を振って、意識を目の前に向けた。
俺は探偵でも、刑事でもない。
ミステリー小説の主人公、いや、それ以外のどんな物語の主人公にも俺はなれない。俺では役者不足もいいところだ。
気負わずに行こう。
謎は謎のまま。真実なんて一円の価値にもならないのだから――。
今、目の前の、ちょっとした心地よさをゆっくりと味わうのだ。
そうして俺はリラックスした状態で君島の隣を歩いた。
映画館の方角からは大きくズレて脇道に逸れる。
たしかこの先に、大きな公園があったはずだ。
土曜日の朝の目覚めは静かなもので住宅街は、スズメの鳴き声くらいしか聞こえない。この町の住民はスズメしかいない、と錯覚するほどしんっと静かだった。
けれど、この静寂は寂しいものではない。
少し冷たい空気に暖かな陽光、それに照らされた俺と君島の周りの空気は、なんだか優しい気持ちにさせてくれる。
この朝の感覚は特別だ。早起きが良いとされる理由がよく分かる。
朝は幸せを送り届けてくれる。
そこに因果も、論理もなく、誰にでも平等に人がもっとも欲する幸福を、ごく簡単に届けてくれるのだ。
「なんか、良いな」
俺が朝の空気に気持ち良さを感じていると、君島も大きく伸びをして、
「気持ちいいよねぇー」
と呟いた。
劇的なことは何もない。しかし、だからこそ俺はこんな空間が、そして時間が、長く続けばいいと思った。
一日の大半が朝なら良いのにな……。
そんな朝の空気をそれぞれ味わっていると、いつの間にか先ほど言っていた大きな公園に差し掛かっていた。
先日、君島を見つけた公園とは比べものにならないほど全体像が把握できな公園は、外から見て木々に囲まれており、一見して森のように緑に覆われていた。
そして緑の中にぽつぽつと桜色が散見できる。
一昨日の季節外れの猛暑日を契機に蕾だった桜が一斉に咲き始めたのだ。
儚い色のソメイヨシノだ。
「ちょっと周ってみるか」
俺が公園を指し示し提案すると君島は「いいよ」と頷いてくれた。
俺たちは横断歩道を渡り、公園に入っていった。
公園はウォーキングコースやジョギングコースなどそれぞれの用途に道が設定されており、もちろん俺たちはウォーキングコースを選んで、その道を歩いた。
早朝ということもあり、未だに人はまばらで、すれ違ってもお年寄りにしか会わなかった。
「なんだか、不思議だね。私たちしかいないみたい」
君島がソメイヨシノを眺めながらそんなことを呟いた。
「俺たちだけじゃないぞ。さっきも人とすれ違ったろ」
「そう言うことじゃないよ。なんていうか私たちと同じぐらいの歳の人がいないって言うこと。それって不思議じゃない?」
「不思議……か?」
「うん、不思議。いつもは学校とかで嫌ってほど同い年とかと会うじゃん。なんか世界って、それが全てでさ、それだけだと思っちゃう時があるんだよね。実際はもっと世界は広いし、色んな人がいるっていうのは理解しているつもりだけど、でも、現実の目の前では同い年で、同じ制服を着た、同じ人間しかいない。なんだかなー、って思うけど、それが現実。変な現実」
「変な現実か……」
確かに彼女の言い分はよく分かった。同い年で、同じ制服を着た、同じような人たちが集まる、その現実は冷静に考えてみればヘンテコだ。もしかしたら恐怖すら覚えるべき現実なのかもしれない。誰もかれもが同じ人間にさせられている、その世界の、社会の摂理は、どこかおかしいはずなのに、誰もそれを「変だ」とは言わない。誰も言わないから、言わないのだ。そして、目を背けることに慣れれば、いつしかそれは日常と化して、常識となって、同じ人間にさせられても疑問も浮かばなくなる。
「やっぱ変だよな、この現実」
おれも君島と同じくソメイヨシノを見上げて、彼女の言い分に賛同した。
変だよ、この世界は。
十数分、歩いて折よく桜の木の下にベンチを発見した。俺は近くの自販機からホットの缶コーヒーを二つ買って、先にベンチに座らせていた君島に片方の缶コーヒーを投げ渡した。
「おっ、ありがと」
君島は受け取った瞬間、少しだけ目を見開いたが、それもすぐにかき消して笑顔で感謝の言葉を口にする。思った以上に缶が熱かったのだろう。と言うかこの時期にまだホットコーヒーが売られているとは……。本当に季節があべこべになってきているように感じる。
俺は君島の隣に座って、缶コーヒーのプルタブを開けた。
君島のは微糖で、俺のは無糖。
一口目、舌がコーヒーの熱さに驚き、すぐに舌を引っ込める。徐々に熱さに慣れさせて、少しずつ缶を傾ける角度を大きくしていく。
「熱いね」
と、君島。
「ああ、熱い」
と、俺。
桜が散っていく。地面に落ちていく。地面に落ちて桜色を土色に変えていく。
桜は散るために咲くのだろうか、と考えたことがある。
だってすぐに散るじゃないか。
こいつらは何のために咲いたんだ? 何のために生きてんだ? と、中学生の思春期が絶好調の時に投げやりに考えていた。
あの頃は本当に――。
「綺麗だね」
君島が桜を見上げて微笑みながら、この光景の感想を呟いた。
俺はそれに苦笑して、
「そうかな?」
と、彼女の言葉を反駁した。
桜が綺麗なんてのは常套句だ。けど、桜が綺麗だとは、俺はどうしても思えなかった。
儚さを美しさと捉えるのが日本の美の基本なのだろう。
一瞬の生が美しい、と、そう思わされるのだ――。
すぐに死ぬことが美しいなんて、そんな考えは、大っ嫌いだ……。
「西条は友達、出来ないでしょ? 普通、こういう時は綺麗だね、とか言って合わせればいいんだよ」
「自分の意見を曲げないと友達が出来ないなら、俺はそんな友達はごめんだな」
「まあ、たしかに」
君島が俺の答えに苦笑する。そして続けて、こんな質問をしてきた。
「西条って友達いるの?」
その問いに、また俺をからかっているのか、とため息を吐きそうになりながら彼女の顔を見れば、君島の瞳は真っすぐに俺の顔を捉えて、その顔は真剣そのものだった。
一瞬、瞼をピクっと反応させて、けれど俺は取り繕って平静な振りをする。
その態度が理解できない。やはり、君島は分からない。
友達の有無、その問いに何があるのだろうか。
彼女にとってそれは、どんな問なのだろうか。
いいや――。
俺は頭を振って、自分の性格を思い出す。
そうじゃない。俺はそんなのどうでもいいだろ?
身を任せればいい。
人の言葉の裏なんて覗いたところで良いことなんてないのだから……。
俺はソメイヨシノを眺めながら、彼女の問いに答えた。
「そうだな……。友達か……。そう言えば、友達はお前ぐらいしかいないな」
俺の答えに君島が目を見開いた。驚いた様子の君島に俺は首を傾げる。
「あのさ、教室で話してた人は友達じゃないの?」
「教室……? 何のことを言ってるんだ?」
君島の言っていることが分からず疑問を呈すると、
「私が教室覗いたとき、あの時、話してた人!」
君島は身を乗り出して興奮したように声を出した。
あの時、君島が教室を覗いていた……?
ああ、あの時か! そうだ、あの日の朝。その日を境に君島と連絡がつかなくなって、彼女と会えなくなった。
思い出した。
「あの日の朝か……。あの時、話していた奴は――、ああ、あいつは中学が一緒だった奴で、そのよしみで今もたまに話すんだよ。けど、そうだな……、俺は特にあいつを友達とは思ってないな。そこまで親しくないし」
「そうかな? あの日は楽しそうに会話してたように見えたけど」
君島が口を尖らせながら訊いてきた。おお、またこの顔だ。
「そうか? 話の内容もよく覚えてないし、そんなに楽しい会話だったら覚えてるはずなんだけど……」
「ふーん」
君島はそう言いながらソメイヨシノをまた見上げる。俺はそんな彼女の横顔を盗み見て、そして彼女が少しだけ笑っているように見えた。
――嬉しそうに微笑んでいる。
「何だったんだ、今の質問?」
俺の問いかけに君島は、
「何でもないよー」
と言って顔を背けるが、やはり一瞬、彼女の嬉しそうな顔が確認できた。
俺がそんな君島の様子に首を傾げていると、その当人、君島はベンチから立ち上がって、
「よし、そろそろ行こう!」
と、俺の手を引っ張った。
俺は「まあ、いっか」と、疑問を霧散させ、彼女の引力に従った。
俺の手を引っ張る彼女はどこか爽やかに、すっきりしたように笑っていた。
どうしてだろうか――。そんな疑問もやはり意味はないだろう。
桜を見て、気分でもよくなったのだろう、と俺はそんな解釈で疑問を片付け、そして君島と一緒に公園をあとにした。
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