第13話 おでかけ

 朝、目が覚めてベッドから身を起こす。掛け布団が体温の熱を吸って、生温かく、この温もりのせいで二度寝したくなってしまう。

 頭を振ってどうにか二度寝の誘惑を拭いさり、ベッドから抜け出す。

 カーテンを開けて、冷たい空気と共に気持ちの良い陽光が部屋中に照らされる。窓の前で身体を伸ばして頭の覚醒を促した。


「う、うぅーん」


 ぼやけていた脳を明瞭にすると洗面所で歯を磨く。ショコショコショコ、歯と歯の間にも注意を注いで、念入りに歯磨きをする。

 うがいをして、歯磨きを終わらせれば、ジェルを塗って髭を剃る。と言っても自分の髭は薄いものばかりでそこまで手間取らない。肌を傷つけない微妙な力加減で髭剃りを動かして、あとは洗顔だ。洗顔料を泡立てて、その泡を柔らかく顔に押し付けて、ぬるま湯で泡を落としていく。


「よし!」


 爽やかになった顔を鏡で見て笑顔を作った。

 白い歯に、柔らかい肌。

 その流れに乗ってワックスで髪形を整える。

 掌にワックスをつけて両手に浸透させる。後頭部から両手で髪を掴んでいき、髪を決めていった。


「こんなもんか」


 あとは、部屋に戻って外出用の服装を見繕う。着替えたら念押しで香水を首と手首にプシュッと付けて、やっと準備完了だ。


「……って、さすがに気合入れすぎか?」


 鏡の前で身体をくねくね色々な角度から眺めながら、これから君島と映画館を観るんだな、とようやく実感がわき始めてきた。

 鏡に布をかぶせて机の上に置いていたスマフォを手に取った。君島とのやり取りが画面に映し出されて、ちょうどそのタイミングで君島からメッセージがやって来る。


『早く起きたからさ、ちょっと早めに待ち合わせしない?』


 俺はそのメッセージを見て、笑みを浮かべた。

 良かった、どうやら緊張して朝早くに起きてしまったのは俺だけではなさそうだ。君島がいつもこの時間帯に起床するなら別だが。まあ、実際は分からないが、君島の印象だけで考えれば、それはあり得ないだろう。いや、さすがに偏見だろうか?

 そんな、どうでもいい思考に頭を回しながら、『いいよ、俺はもう準備大丈夫だけど』と返信した。すぐに、


『じゃあ、今から西条の家に行くね』


 と、メッセージが返ってくる。わざわざ家に来てくれるのか……。

 君島の行動力に驚きつつ、それならもう少し時間があるな、と思って君島が来るまで図書館から借りている本を読み進めることにした。

 選んだ本は西加奈子の『さくら』。犬の物語らしいが、さて、どうだろうか……?



 四十ページほど読み進めて、家のチャイムが鳴った。階段を駆け足で下って、玄関に出ようとした父を呼び止める。


「大丈夫、俺が出る」


 父はとぼけた顔で「そうか」と言うと、居間に戻っていった。

 少しだけ乱れた前髪を整えて、靴を履き、扉を開ける。


「よっ」


 開けてすぐに君島の姿を確認して、俺は軽く手を上げた。


「よっ」


 君島も俺の真似をして手を上げた。

 俺は手に持っていたショルダーバッグを肩にかけて扉の外に出た。


「ちょっと聞こえたけど、お父さん?」


 君島と並んでアーチを潜ると、彼女はそんなことを訊いてきた。


「ああ、聞こえてたんだ」


 彼女は頷いて、何故だか微笑んだ。


「何、笑ってんの?」


 俺も微笑んで問いかけると、君島は「んーん」と首を振った。何なのだろうか……?


「それにしても、予定より早くなっちゃったね。まだ映画館、空いてないよ?」


 腕時計に視線を移して、現在時刻、――七時三十分を確認する。

 たしか、一番最初の上映時間は九時だったか……?

 ――一時間三十分。

 映画館は駅前にあるので距離はそこまでではない。ゆっくり歩いても三十分ほどで到着する。

 なら――。


「散歩をしよう」


 俺は君島の横顔に笑顔を見せて、提案した。


「散歩?」

「そう、散歩。そう言えば、いつぞやは結局、散歩できなかったろ? だから……」


 俺が言い終わる前に君島は、


「うん、散歩しよう!」


 と、元気な声で頷いた。

 俺はその声に「よし」と呟いて、軽く頷き返す。


「そんなに散歩したかったの?」


 俺の問いに君島は口を尖らせて、


「違うよ! でも、違くないかも……」


 と、よく分からない返答。

 俺は肩を竦めて、「まあ、いいけど……」と微笑んだ。


 ――そうして、俺たちはまた散歩をすることに決めたのだった。

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