第12話 自宅
蔦や葉っぱが絡まるアーチ状の入口を通り抜けて、点々と寄り集まって玄関にまで続く石畳を歩き、扉を開いた。
俺の自宅は外装から察して和風の建築様式で、屋根は瓦、玄関は引き戸、外装は一見して木目調。ここら辺では有名なお屋敷として名が知られており、誰が噂したか『西条邸』と近所からは呼ばれているらしい。
玄関から家に上がって、来客用のスリッパを用意する。振り返れば、後ろにいた君島はオドオドと視線を左右、上下に目を回しており落ち着きがない。まあ、他人の家に上がるのはどうしたって緊張するものだ。ましてや、こんな古風な屋敷に通された日にはどう対応して良いのか分からない。俺だって初めてこの家に来たときは驚いたものだ。
しかし、ここにずっと居る訳にもいかない。
「君島、靴脱いで、このスリッパに履き替えて」
俺が急かすように告げると、君島は慌てて靴を脱いで、スリッパに履き替えた。
「よし」
家に上がった君島を確認して、俺は奥に進んだ。
「二階が俺の部屋なんだけど……。飲み物持ってくるから先に行ってもらって良いか?」
先程、公園で缶ジュースを飲んだばかりだが、今日の暑さはすぐさま喉を乾かした。先と同じく炭酸ジュースで喉を刺激して、ぐびぐびと一気飲みしたいところだが、生憎、現在自宅の冷蔵庫には麦茶しか貯蔵がない。まあ、麦茶も美味しいからな。ないものは仕方ない。
君島は「分かった」と頷いて階段を上がっていった。
俺はそれを確認して、ダイニングにある冷蔵庫から麦茶のパックが茶色の液体に浮かんだ容器を手に取って、二つのコップにそれぞれ注いだ。
注ぎ終わった麦茶をお盆に乗せて、軽いお菓子を棚から拝借し、俺の部屋に向かう。
階段を上がって、廊下に差し掛かり、三つの扉がお出ましする。君島は廊下の手前で待っていた。そう言えば、どの扉が俺の部屋かは伝えていなかったな。
「ごめん、一番手前の扉が俺の部屋なんだよ。手、塞がってるから、開けてくれる?」
そう言って君島に顔を向けると「うん」と呟いて、君島が扉を開けてくれた。
俺の部屋は何とも味気ない六畳間だった。
ベッドと机に、本棚。それ以外は特に目立ったものはない。
窓からそよ風が吹いてカーテンがはためいていた。どうやら窓を開けたまま家を出ていたようだ。危ない、危ない。持っていたお盆を机に置いて、窓を閉めた。途端、先程まで吹いていた風がぴしゃりと止み、部屋の空気が静まり返った。
押し入れから折り畳みのテーブルを取り出して、組み立てて床に置く。机に置いていたお盆をテーブルに移動させて、コップを一つ、君島の方へ差し出した。
「喉、乾いたろ? どうぞ」
君島は、
「ありがとう」
と言って、コップに唇をつけた。そうして俺も、もう片方のコップを持って口に近づけた。
ぐび、ぐび、ぐび。一気に飲み干していく。
「ふぅー」
一息ついて空になったコップを置いた。少し、ぬるかったかな。氷を入れておくべきだった。
俺は何とはなしに空になったコップを見つめて、ぼーっとする。
と、そこで思い出した――。
「やば、紙袋、玄関に置いたままだった」
麦茶を持ってくるのに意識を持ってかれて、図書館からわざわざ苦労して持ってきた紙袋の存在を忘れていた。俺は立ち上がって部屋から出ようとした。そして、扉に手を掛けようとした瞬間、服の端を君島に摘ままれ、制止する。
「どうした?」
問いかけると、彼女は人差し指を部屋の隅に向けて「持ってきたよ」と言った。
彼女が指し示した場所に視線を移せば、確かに紙袋が置いてあった。
「ああ、悪い。持ってきてくれてたのか。ありがとう」
そうか、気づかなかった。会釈して感謝の言葉を言うと、君島は「んーん」と首を振って、苦笑した。
俺は再度、床に腰を下ろして、テーブルの前に戻る。
「………」
「………」
窓を閉めたからだろうか、部屋が一段と静かに感じられる。いや、まあ、俺たちが何も話さないのが、この静寂の一番の理由だろうが……。
「暑いよな」
と言って、俺は机の上に置いていたエアコンのリモコンを取って、冷房の電源を入れた。
まもなくしてエアコンが作動し、「ブゥゥーン」という音を出しながら冷たい風を送り始めた。
「あ、ごめん。ありがとう」
君島は顔を俯かせたまま呟いた。
「………」
「………」
「ブゥゥーン」
そしてまたしても沈黙。今度はエアコンが音を立てているものの、それが逆に先程よりも会話がない状態が如実になったように思える。
どうしたものか……。
つい、勢いで自宅に招き入れたが、冷静に考えると異性を家に入れるって、ちょっとヤバいんじゃないか?
それに、君島との話題も内容も特に何も思いつかずに、見切り発車のまま今に至ってしまった訳だが、さて、俺はこれからどうするべきなんだ?
君島を発見して、今しかない、と思って彼女の手首を掴んでしまったが、その行動自体も俺は俺自身に疑問だらけで、 いよいよ俺って何をしたいんだろうな……。
けれど、このままでいいはずもない。
連れて来てしまったのだから仕方ない。
もう、ここには君島がいるんだ。それが事実で、現実だ。受け入れよう。
では、俺は……。
何か、何か話題はないか? 話さないと――。会話を発生させないと――。
そうして、俺が必死に頭を悩ませていると……。
「それって――」
君島が紙袋に人差し指を向けて首を傾げてきた。
「それって、何が入ってるの?」
君島の質問に俺は紙袋を引き寄せて、中から本を数冊、取り出した。
「図書館で本、借りてきたんだよ」
テーブルに本を並べた。テキトーに取り出した本はカミュの『シーシュポスの神話』と田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』だった。
「ジョゼと虎と魚たち?」
「うん」
君島はジョゼの本を手に寄せて「ちょっと中、見ていい?」と訊いてきたので頷いてやるとパラパラと本をめくり始めた。
「面白そう……」
君島は笑みをこぼして呟いた。どうやら気になっているようだ。
「良かったら貸すぞ。返すのは二週間後だからそれまでに返してもらえばいいし」
「えっ? でも、西条は良いの?」
「いいよ、また借りればいいし」
「そっか……」
俯き加減に顔を下に傾けながらも、彼女の微笑は確認できた。嬉しそうで何より。
「これって西条が読みたいと思った小説なんだよね?」
「あっ、えっと、まあ……」
君島が微笑を浮かべたまま問いかけてきた。
俺はどう言ったらいいのか、と思案しながらも、まあ、栞さんの事は隠すような事でもないか、という結論に至って、素直に本を選んだ経緯を話すことにした。
「その本っていうか、紙袋に入った本、全部さ、知り合いの司書さんにおすすめされた本なんだよ」
「ん? へぇー、そうなんだ……。知り合いの司書さん? それって男の人?」
「えっ?」
君島の問いに一瞬、驚く。
男かどうか、問題なのだろうか。
よく分からないが一応この質問にも素直に答えることにした。
「女性の人だけど……、それがどうしたんだ?」
君島は俺の返答を聞くと、頬を膨らませて口を尖らせた。いつぞや見た顔だ。フグのように顔が膨れている。これにはたしか毒があるんだ。
「女性だと、何か問題があるのか?」
「んーん。全然、何も問題じゃないけど」
顔をついっと横に逸らして尚も口を尖らせている。何故だか分からないが彼女のお怒りに触れた様だ。しかしその原因が分からないので対処のしようもない。さてはて、困ったな。
しかし、君島は慌てる俺を見て、背けていた顔を戻して、膨れていた頬も萎ませた。
「ごめん、大人げなかった」
「いや、まあ、ああ」
どうしてか彼女は矛を収めてくれたようだった。理由は分からないが、まあ、良いだろう。
「いいよ。何か気に障る事があったんだろ? 俺もそう言うのあるから」
「違う。これは私の意固地のせいだから」
君島が意固地、か。俺からは大勢の人から離れて、独りでいる、その姿は独りよがりとか意固地とか、そういうのではなくて、誰よりも他人のためを思って敢えて独りになっているように思ってしまうが……。けれど、これは俺が勝手に思っている君島の印象であって、実際はどうか分からない。当り前だ。
でも――。やはり俺は彼女が意固地だとは思えない。だから――。
「お前は意固地じゃないだろ」
君島の発言を否定した。君島は俺の顔を不思議そうに見つめて、首を傾げた。
「やっぱ、西条は面白いね。うん、やっぱり、良いな……」
君島の呟きに俺は微かに笑みを見せて、聞き流した。
やっぱり、良い――、か……。その言葉に嬉しいな、と感じる自分がいた。
「あのさ、この『ジョゼと虎と魚たち』ってたしか映画してるよね。西条はもう観た?」
おずおずとそんなことを訊いてきた君島。俺は一瞬、目を見開いて、けれどすぐに答える。
「ああ、一回だけ観たよ」
俺が正直に答えると、君島は「そっか」と呟いて落ち込むように顔を俯かせた。
俺はそんな彼女を見て――。
さすがに鈍感な俺でも、今の君島の気持ちは察することが出来た。
「一緒に観に行くか、ジョゼ?」
君島はその言葉に嬉しそうに口角を上げて、瞳を大きくキラキラと輝かせていた。
「でも、良いの? 観たんでしょ?」
俺は首を振って、
「もう一回、観に行きたいくらい良い映画だったんだよ」
と、言って彼女に笑顔を見せた。君島は「そうなんだ」と目を細めて微笑んだ。
「それじゃあ、いつ行こっか」
「そうだな、明後日の土曜日とか、どうだ?」
「うん、いいね! じゃあ、決まり」
君島は笑顔で自分のスマフォを操作していた。スケジュールに映画の予定を入力しているのだろう。
流れで君島と映画を観ることになった。
そして、いつの間にか静かだった部屋は俺と君島の話し声で賑やかになっていた。
重苦しい沈黙が嘘だったように、彼女と楽しく、あの踊り場で話すように声が弾んだ。
――やはり、君島といるのはどこか心地いい。
俺は君島との会話を楽しみながら、ふと、そんな感想を抱いていた。
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