第11話 公園

「ほななー。また、来るんやでぇー、葵くん!」


 入口の外で栞さんが手を振って俺を見送ってくれた。俺も栞さんに手を振って、図書館をあとにする。

 あれからも栞さんは俺に色々と本をおすすめして、その数は計十二冊にまで昇った。結局、栞さんから紙袋を貰って借りた本を持ち帰ることになったのだが、これが結構な大荷物。読み終わったら、一冊ずつ返しに来よう。

 栞さんから勧められた本はジョゼと『一年ののち』以外で言うと、カフカの『城』、カミュの『シーシュポスの神話』、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』、アゴタ・クリストフの『悪童日記』、川端康成の『古都』、三島由紀夫の『金閣寺』、町屋良平の『青が破れる』、中村文則の『銃』、西加奈子の『さくら』、長谷敏司の『あなたのための物語』。

 海外文学から日本の近代から現代の小説。ジャンルも様々で、実に栞さんの性格が表れた作品群だった。

 栞さんは何でも読む、好き嫌いの無い読書家で、本当に全ての物語を愛する人なのだ。

 俺はそんな栞さんがおすすめしてくれる本を毎回楽しみにしている。正直に言えば、俺には難しくて理解できな作品も中にはあるが、最近ではそういった理解できない作品に出会うことも重要なことだと思うようになった。分からないからこその興奮と探求、そういった感覚を教えてくれたのも栞さんのお陰だ。

 重い、重い紙袋を持ち直して俺は帰路についた。

 図書館から自宅までは徒歩で十五分ほど。行きは荷物がなかったので楽だった道のりも、帰りは手に持った紙袋のせいでとても辛く感じる。そんなに坂道や階段などの上り下りがある訳じゃない、平坦な道程なはずなのに想像以上に大変な帰路になってしまった。

 そうしてグダグダと少しずつ歩を進めていると途中、学校の側に差し掛かった。

 校舎の方からはちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 ふと、紙袋を持っていない左手首――腕時計に視線を向ければ十二時を長針と短針が差していた。そうか、もうお昼の時間なのか……。

 そう言えば、とお腹を擦れば少し空腹を覚えている。朝食は食っていないので、起きてから何も口にしていない。

 自宅の冷蔵庫には何かあったかな? と冷蔵庫の中身を思い出すが、なかなかはっきりとは食材を思い浮かべることはできなかった。まあ、何かしらあるだろう、と楽観視して、というか今から重たい紙袋を手に持ったままスーパーに行く気力は毛頭なかった。

 俺は誰もいない校庭を流し見ながら学校の側から離れた。

 お昼になったこともあり、太陽は真上から燦々と地上を照らし、ここ最近の肌寒い日が嘘のように俺の身体を熱していく。重い荷物を持っているときに限ってこういう日なのは何なんだろうな。

 肩を落としながら先を急ぐ。と言っても一歩を踏み出すスピードは遅々としたものだけれど、内心は早く帰りたいと願う。

 そうして、ようやく自宅の近くまでやって来て、近所の公園にまで辿り着いた。

 ゴールはもう少しだが、さすがに疲れた。俺は折よく差し掛かった公園のベンチに紙袋を置いて、公園の入り口近くに設置されている自販機から炭酸飲料を買ってすぐさまカラカラに乾いた喉を潤した。

 一気に缶の中身をグビグビと飲み干して、飲み終わった空き缶を自販機の隣のごみ箱に放り投げる。


「ふぅー」


 一息ついたところでベンチに座った。

 太陽の輝きは時間が経つにつれ照り付けが増しているように思える。

 いつになったら春になるのやら、と思っていたのに、春を飛ばして夏がやって来た感じだ。何だかここ数年はそういう年ばかりな気がする。季節の変わり目が徐々に変わって、いつしか春や秋と言った間の季節が消えて、夏や冬と言った極端な季節ばかりが続いていくのではないだろうか。それも突然、変化するのではなく自分たちが気付かないうちに変わってしまっている、そんな風に。

 そんなことをベンチに寄り掛かりながら考えていると、公園に新しいお客さんがやって来た。

 中途半端な栗色の髪、髪は肩にかかる程度のミディアムヘアで、先程、会ったばかりの栞さんの影を照らし合わせてしまう。服装はブラウンのTシャツにデニム生地のワイドパンツ。歳は俺とそう変わらないように思えるが、こんな時間に学生が公園にいるとは思えないしな。って、俺も人のこと言えないか……。

 彼女は公園のブランコに腰を下ろして、軽く揺られていた。俺はそんな彼女の姿をベンチから遠巻きに何となく眺めていた。


「君島に似てるかもな」


 そう言えば、君島は今どうしているのだろうか? 久しぶりに朝から教室に顔を見せた日から君島を見ていない。あの日、君島は廊下から教室を覗いていたように見えた。俺に何か用でもあったのだろうか。それとも俺とは別の誰かを見に来たのだろうか……。

 冷静に考えれば後者の考えの方が頷ける。そもそも彼女は俺のクラスを知らないはずだ。俺も彼女もそういったことを口にはしなかった。敢えて学校でのことも、プライベートの事も話し合わなかった。そういう関係性が俺と君島だった。そしてそんな関係が俺は心地よかった。


 ――自由で心地よかったのだ。


 そうだ。当り前だ。

 君島にも俺以外の知り合いがいるのは当然じゃないか。

 そんなこと分かり切っていたはずなのに……。

 俺はどこかでそれを寂しいと感じていた。

 君島は俺とどこか似ているところがあると勝手に仲間意識を持っていて、この言語化できない揺蕩うような関係性が長く続けば、と何となく思っていた。

 けれど――。


「このまま君島とは離れるのかな」


 同じ学校に通うのだから君島を見かけることはあるかもしれない。でも、見かけても話しかけずに、素通りして、そういった関係性になってしまうのではないだろうか。

 時間の経過は思った以上に人と人との繋がりを希薄にする。

 このまま、このまま終わるのか……?

 照りつける太陽は俺の寒々しい心とは相反して、輝きを増していく。

 鬱々とした頭を振って、先程のブランコに乗る女性に視線を戻した。

 彼女は尚もブランコに揺られ続けていた。

 やはり、どこか君島に似ているように思う。

 いや、というか――。


「君島、本人じゃないか?」


 目を瞬かせて、目を擦ってもう一度ブランコの方へ視線を向ける。

 目を凝らせば凝らすほど、彼女の姿は君島に重なった。

 俺はそれを確認すると、紙袋もベンチに置いたまま無意識に立ち上がってブランコに向かい、一歩を踏み出していた。

 そして、その歩みはいつしか駆けるように地面を蹴って、走っていた。

 近づいてくる俺に気付いたのか、ブランコに乗っている彼女は驚いたように身体を硬直させて、こちらに視線を向ける。

 走る速度は徐々に速まって、彼女との距離が近づいていく。

 その距離が狭まっていくほどに、俺の疑念は確信へと変わっていった。


 あいつは、君島だ!


 そう思ったのと同時に彼女はブランコから立ち上がって、その場から離れようとした。

 しかし、俺は逃がさないように手を伸ばして彼女の手首を掴む。

 掴んだ瞬間、彼女は振り返り、ハッとした顔で俺を見つめた。

 俺はというと急に走ったせいで呼吸が乱れて肩を上下させていた。


 そいつは確かに君島香代だった――。


「なんで、逃げるんだよ」


 第一声、俺は苦笑しながらもそんな言葉を投げかけた。

 君島は目を逸らしながら、


「いや、何となく……」


 と答える。何となくって……、逃げられるとは思っていなかったので結構、傷ついたぞ。

 俺は彼女の返答にため息を吐いて、手首を離した。


「ごめん、いきなり手首掴んで」

「え? あ、まあ、こっちも逃げようとしたし、ごめん」


 俺が頭を下げると、彼女も頭を下げてきた。

 そして頭を上げてお互いの顔を見つめ直すと……。


「………」

「………」


 沈黙が生まれた。

 君島だ、と思った瞬間に動いたので何も考えていなかった。呼び止めたはいいが、どうしようか。


「えっと……」


 俺が言葉に窮していると、君島は「ごめんね」と再度、謝辞の言葉を発した。


「何が?」


 俺が訊くと君島は「連絡、来てたのに返さなかったじゃん。それ、ごめん」と答えた。

 俺は「ああ」と言って、スマフォを確認した。そんなメッセージも送ったな。しかし、俺にとってはそんなに謝るような事でもなかった。何か事情があって送れなかったか、もしくは気分が乗らなかったのだろうと思っていた。俺だって返すの面倒くさいな、と思えば知り合いでも全然返信しないことはざらだ。だから俺は何も怒ってはいなかった。

 でも、そうだな――。


「悪いって思うならさ、ちょっと付き合ってくれないか?」

「えっ?」


 君島は目を見開いてこちらに顔を向けるが、俺はその驚きに答えずに彼女について来るよう伝えた。

 ベンチに戻って紙袋を手に持つ。


「よし、行くか」


 振り返って君島に告げると、俺は先を進んだ。

 君島は首を傾げながらも、俺のあとをついて来てくれた。

 そうして俺たちは公園を出て、未だ太陽が照り付けるコンクリートの道を歩く。


 向かうは俺の自宅だ――。

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