第6話 踊り場
駅前から学校に戻るまでの道中、俺たちは隣で一緒に歩きながらも会話一つせずに沈黙を保ち続けていた。
ちょくちょく隣の君島の顔を窺っていたが、どうにも挙動がおかしい。
何か考え事をしているらしいことは分かるのだが、ある時は頬を赤くして、次の瞬間には唇を突き出したり、首を傾げて眉根を寄せていたりもしていた。
分からない。
思えば、彼女に対してはずっと理解不能の結論に至っている。
そうだ、未だに彼女が何者なのか分かっていない。正確に言うと君島のクラスは分からないし、そもそも同じ学年なのかも知らない。
それにどうしてここまで俺に近づいてくるのか。いや、まあ、勿論それは物理的な距離の問題ではなく、彼女の距離の詰め方の早さについてなのだが、君島は他人にもこんな接し方をしているのか。
分からない、やっぱり俺には君島が理解できなかった。
良い奴というか面白い奴であることは彼女の人となりを見れば分かるが……。
彼女の行動目的は何を原因に動いているのか。因果や論理、それらがはっきりすれば俺も、もう少しこの胸のモヤモヤを晴らして彼女と話すことが出来るのだろうが、直接聞くなんて選択肢は最初からないしなぁ……。
だから人間関係は面倒くさい。
こういった交友が自分は苦手なのだろう。いや、苦手だと思い込んでいるのかもしれない。相手の心理を勘ぐって、想像して、頭の中の霧を濃くしていく。その作業の連続が人と人との交流なのだろう。しかし、だとしたらこんなにも疲労を伴うものはない。疲れるくらいなら独りの方が圧倒的に楽だ。
君島の想いなんて無視すれば、自分の疑問を直接言葉にすることだって可能だ。しかし俺もそれなりには常識人ということだろう。言われて嫌なことを自分がするのは本末転倒だしな。そもそも藪を突いたら蛇ということもある。踏み込んではいけない一線だ。
揺蕩うように流れに身を任せる。
それが俺の十何年そこらの短い人生で身に着けた人間関係の処世術。
結局のところ思考の放棄とも捉えられるが……。
だから俺は今回も自分の処世術に沿って君島には何も訊かなかった。
これが今のところは正解だろうと、そう思い込んで――。
学校に着くと、抜け出した時と同様に俺たちはこそこそと校門を通り抜け、校舎に侵入した。けれど時間は昼休みということもあって中庭などの校舎の外にも人はまばらに歩いており、校舎に入ればそれなりの人だかりも散見できた。なので、そんな人の流れに自然に紛れ込んでしまえば、俺たちが今学校の外から来たなんてことは分からないだろう。
俺たちはそんな人の流れに乗って、上履きに履き替え、廊下を歩き、そうして階段に足を掛けようとしたところで俺たちは互いの顔を見て押し黙った。
おそらくここで別れるのだろうと、直感的に思った。
君島は俺の顔を見つめて口をパクパクとしていた。何かを言おうとしている事はすぐに察せたが、何を言おうとしているのかはさすがに予想できない。
俺はそんな彼女の言葉を待っていた。
何か言いたいのであれば、それを聞く。気づかないふりをするなんて、俺はそこまで薄情じゃない。
しかし、君島は一向に声を出さなかった。
俺は我慢できずに彼女に問いかける。
「何か、俺に話したい事があるのか?」
君島はぎこちなく頷くが、けれどその先の言葉は続かない。俯いて、口をムニムニしているばかり……。
俺はどうしたものかと悩んでいたが、そうこうしている間に昼休みの終わりを告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
何とはなしにチャイムのなる方へ、天井に備え付けられているスピーカーに視線を移して、そして俺はそのまま視線を動かさずに口を開く。
「踊り場にでも行くか」
俺は提案した。
君島は確実に何か言いたげだった。しかしそれを言う気配は一向に来ない。
そこで俺が思い至ったのが場所の問題だ。この場には現在、昼休みが終わって教室に向かう生徒がちょくちょく通り過ぎていた。
他に人がいるから言えないのかもな……。
俺はそう思って彼女に、踊り場に行こう、と提案したのだ。
そうして提案を受けた側、つまりは君島の方へ視線を移せば、彼女は嬉しそうに頭を下げて頷いた。
「そうか」
俺のその言葉を合図に俺と君島は階段を上がった。
そしてまた俺たちは学校の最果ての踊り場に向かう――。
踊り場で隣り合わせに床に座る俺と君島。
この状態のまま十分は経過しただろうか。
場所を変えて踊り場に来たが、状況は何も変わらなかった。
何を言いたいのか分からない君島に、それを汲み取ってやれない自分。
どうしたいんだろうな、君島は。
彼女に視線を向けて観察してみるが、その視界に映るのは茶髪の毛先をくるくる弄っている君島の姿、ただそれだけ。何か手掛かりがあるという訳でもない。
ああ、このままかな、と半ば諦めかけていると突然、君島が俺の肩をちょんちょんと突いてきた。
俺はそれに反応して隣に視線を向けると君島はモジモジしながら、そしてようやく口を開いた。
「あのさ、連絡先、交換しない?」
久しぶりのように感じる君島の声に少しだけ感動を覚えながらも、その声から発せられた言葉に「えっ」と疑問を含んだ驚きの声を出そうとして、すんでのところで口を塞いだ。
そのまま「どうして?」とも訊きそうだった。実際、聞きたかったし。けれど、たぶんその質問は駄目なんだろうなあ、ということは今までの人間関係の経験から見て直感していた。
その理由を知りたい、と思ってしまうのはおそらく相手からしてみれば迷惑なことなのだろう。誰しも本当の自分を知られるのは嫌に決まっている。俺だってその例に漏れず、嫌だ。だから自分ではない自分という皮を被って愛想笑いなどでその場をしのぐことが多々ある。
だから「なんで?」という言葉ほど自己中心的で相手を思いやっていない言葉はないだろう。
「そっか」
俺はそんな内心をおくびにも出さずに頷いてポケットからスマフォを取り出した。
「いいよ」
スマフォを操作してLINEのアプリを起動させる。
「ありがとう!」
君島は大きな声で感謝の言葉を言って自分のスマフォを俺に近づけた。
俺たちは互いのスマフォをフリフリして連絡先を交換する。
君島は友達の追加をし終えると、微笑みながらスマフォを胸に抱いて、大事そうに包み込んでいた。そんなに嬉しかったか?
そして俺たちは連絡先を交換したこともあって、事前に示し合わせて授業をサボりこの踊り場で会うようになった。
大概は君島から「今日はサボろう!」なんて意気揚々と提案してきて、俺がそれに従う形だった。
踊り場に行くと君島が笑顔で出迎えて鞄の中から携帯ゲーム機や小さなオセロ盤に将棋盤、囲碁盤などを取り出して、様々なボードゲームを二人で遊んだ。
そんな日が、まあ何週間か続いて、君島とサボる日常にも慣れてきたとある月曜日。まーた始まった一週間。
優等生なので一応学校には来る俺。朝だって教室には顔を出す……こともある。
その日はそれなりに調子が良かったので朝から教室に入ると、うる覚えになりつつある自分の席に座った。どうやらサボり続けて自分の席が撤去されたということはなかった。よかったよ、マジで。
俺は席に着くなり鞄を机に置いたまま、中身を取り出すこともなく、頬杖をしながらぼーっと窓の外の景色を眺めていた。
と、そうしていると、後ろから「おっ!」と声がして、そのすぐ後に誰かから両肩を叩かれ「めずらしいね、こんな朝早くに」と声を掛けられた。
振り返ればそいつはクラスメイトの園城苑子(そのしろ そのこ)。朝の陽光に照らさせる艶やかな黒髪に溌溂な声と元気な笑顔がよく似合っている、中学から一緒の腐れ縁である。
「今日は調子が良かったんだ」
俺は素直に教室に来た理由を言った。園城はそんな俺の返答を聞くと微かに笑って「なに、それ!」とツッコんだ。朝から元気な奴だ。
こいつはいつも笑顔で楽しそうにしている。だから自然と人の輪の中心にいることが多く、何かと授業をサボりがちな俺とは接点がないはずなんだが、何故だか園城は結構俺に話しかけてくれる。高校入学当初は中学が同じということもあり、まだ慣れない環境では少しでも知っている奴と話したかった、と理解できるのだが、今現在に関しては高校生活にも慣れて俺と話す理由も見当たらない。いや、もしかしたら園城は入学当初に話しかけていたこともあって律儀に今でも話しかけてくれているのだろうか。一度話したのだから、途中で投げ出してはいけない、とよく分からん使命感みたいなもので俺に話しかけてくれる?
だとしたら、俺はそれを望んでいないし、彼女にも悪い。
無理に俺と話さなくてもいいぞ、とも言いたいが、わざわざそんなことを言うのも、それはそれでどうなんだ? お前は何様だ、という感じだ。
なので今日も今日とて俺は「まあ、いっか」と現状を受け流して、園城の話を何となく聞いた。
園城の話は昨日のテレビ番組の内容やテストが近いね、勉強してる? とか当たり障りのない話題ばかり。おそらく生徒間ではこういった内容が好かれるのだろう。奇をてらわず、毒にならない話を話す。まあ、毒にはならないが薬にもならない。つまりは何の役にも立たない、どうでもいい話。
そんな会話に、やはり俺はどこか空虚感を感じてしまう。
でも――。
そういえば、君島とはどんな会話をしていただろうか。
俺は君島との会話に空虚な感覚を感じていたのか、彼女との数週間の思い出を記憶から呼び出して――。
「………」
いや、まあ、どうだろうな。
答えは出なかった。
「どうしたの?」
園城が黙ったままの俺を不思議に思って顔を窺ってきた。
「いや、なんでもない」
俺は園城に首を振った。
何故か園城には君島との関係を話したくなかった。彼女との関係は誰にも言いたくない。陳腐なものにしたくないのかもしれない。いわば君島といる時間はこの平坦な日常から抜け出した別世界での出来事のような……。
だからこの平坦な日常では君島のことを安易に持ち出したくなかった。
「ふーん」
園城はあまり納得いっていない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
その園城の対応に内心、安堵のため息を吐いた。
そして、そのまま視線を後ろの園城から前方に戻そうとして、その途中、教室の扉のところで視線が止まる。
――そこには君島がいた。
何でここに? と思うと同時に、用でもあるのか、と思って立ち上がりかけると君島はそのタイミングで立ち去ってしまった。
何だ……?
園城は俺の様子で君島に気付いていたらしく「知ってる娘?」と訊いてきた。
俺は君島の話題をしたくなく「いや……」と呟いて押し黙った。
間もなくして、チャイムが鳴って園城は自分の席に戻った。
久しぶりの朝のホームルーム。担任は教室に入るや否や俺の方に視線を向けて、少しだけ目を見開いたが、けれど反応はそれだけで、何もなかったように名簿を読み上げた。
ホームルームが終わり俺は一限の授業をサボった。
先程の君島の様子が気にかかり、その事について訊いてみようと思ったのだ。
いつもの踊り場に行く。しかし踊り場には君島の姿は無かった。
スマフォを取り出して君島に「今日はサボるかー?」という文言を送信する。しかし、待てど暮らせど返信は来ない。
――そしてその日、遂に君島は踊り場には現れなかった。
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