第4話 買いもの

「よっと」


 君島はエスカレーターから降りる瞬間に両腕を広げて着地した。どこかで見た光景だが、思い出すのは止めよう。

 現在いるのは駅に隣接する駅ビルで、中にはレストランなどの飲食店に書店や家具店、化粧品店にCDショップなどなど、様々な店がある。

 そして俺たちが今到着したフロアはおしゃれな文具や小物を売っている店にメンズ、レディースのアパレルショップがそれぞれに隣接していた。

 俺は君島から半歩後ろの位置を保ちながら、彼女のあとをついている。

 そうして向かった先は女性服を中心に取り揃えているアパレルショップ。店名は筆記体で書かれており、これは何と読むのだろうか?

 店名も分からない店に俺たちは入ろうとして……。


「いや、待て。俺もついていかないといけないのか?」


 すんでのところで俺は立ち止り彼女に問いかけた。

 君島はさも当然だ、と言った顔で頷く。


「こういう店に男が入るのってのは少し抵抗があるんだが……」


 いや、少しどころではなく、かなり抵抗がある。場違い感というか、お前はここに居てはいけない存在だ、と無言で責められているような錯覚に陥る。まあ、それが俺の考えすぎ、被害妄想だということぐらいは分かっているつもりだが、しかしだからといって無意識から生じる羞恥心はどうしようもない。

 俺は君島に店の外で待っている旨を告げた。けれど君島は俺の提案を聞くや否や、手首を掴んできて、俺はそのまま店の中へ引っ張られていく。


「一緒に見てよ。西条と来た意味ないじゃん」

「そうか? 俺と一緒に見ても何も変わらないと思うけどな。隣に人型の置物があるのと変わらないぞ?」

「いいよ、置物でも。少しは対話が可能な置物なんだから」


 君島は笑顔でそんなことを言う。俺は小さくため息を吐くと、彼女から抵抗する気力も失って、そのまま引っ張られた。

 置物ってのは撤回しないんだな……。

 さて、入店してしまったレディースのアパレルショップ。

 店の中で展開されているものは俺にはあまりに新鮮すぎる光景。


「西条、緊張してる?」


 君島は意地悪そうな顔でニヤニヤと口元を歪めていた。


「だから抵抗したんだろ」


 俺はというと眉間に皺を作って口元をへの字に曲げていた。


「ふふっ、面白いなあ。西条はさ、ほとんど無表情だったから、なんだかそういう顔が見れてお姉さんは嬉しいよ」

「お前はいつから俺の近所のお姉さんになったんだよ」

「そういう枠を目指していきたい今日この頃なんだよ」

「そういう枠って……」


 何を言っているんだか。やはりこいつはおかしな奴らしい。

 君島の戯言を聞き流しながら、俺はもう、どうでもいいや、と君島の後をついていく。

 店内は白やベージュといった柔らかい色を基調とした空間で、店に置いている服もそういった色調のものが多い。

 だらしなく着崩した君島の恰好から鑑みると、何と言うか意外な店チョイスかもしれない。まあ、脱色した中途半端な茶髪の色とはベストマッチだが。


「ん? なに?」


 君島は俺の視線を感じて首を傾げてきた。どうやら無意識に彼女のほうに視線を向けていたらしい。


「いいや、何も」


 そんな感想はもちろん口に出さずに、彼女から視線を逸らす。


「うーん。なんだか失礼なことを思われたような……」

「………」


 勘の良いガキは嫌いだよ。


「う、うーんと。それで服を買いに来たのか?」


 俺は話題を変えて話を逸らした。君島は「怪しいなあ」なんて呟きながらも俺の質問に答えた。


「えっと……、どうしようかなぁー。ちょっと見に来ただけだったけど、西条が良いと思った服なら買おうかなぁー」


 片目を瞑って俺にウィンクを投げてくる君島。


「そうかい。お前が良いなら、いいんじゃないか?」


 俺はそんな彼女にため息を吐きながら苦笑した。


「もー。なんだかなー。もうちょっと照れてよ」

「なんでだよ」


 昨日、今日の間柄なのに何を照れなきゃならんのか。

 俺は「ほれほれ」と手を前に振って先を促す。君島はまだ納得いっていない様子で頬を膨らませながらも、前へ進んだ。

 店内を進んで君島がまず手に取ったのはネイビー色のワイドパンツ。デニム生地で活動的な印象でありながら、ゆったりとしたシルエットで女性的な印象もある。これからの春にはピッタリなパンツではないだろうか。


「いいんじゃないか、それ。お前に似合うかもな」

「そう?」


 俺は素直に頷いた。君島は満更でもないニヤケ顔で「じゃあ、後で試着しよう」と言って手に取ったまま先を進んだ。

 そして次に見つけたのがワインレッド色のロングスカート。上品さを残しつつも、ゆったりなシルエットで良い具合に緩さがある。


「これはどうかな?」


 君島は窺うように上目遣いでこちらに視線をよこしてきた。

 俺は頷いて返答する。


「似合うかもなあ。そういうのも新鮮かも」

「うーん、ほんと?」

「ほんと、ほんと」


 言葉の数だけ頷いて、彼女の問いに肯定する。


「ほんとかなぁー」


 と言いつつも、ロングスカートも手に持って先を進む。そうして店員さんに「試着室、いいですか?」と訊いて、そのまま試着室に向かった。

 君島が試着室に入ると、俺はその前で一人待つことになる。この待っている時間が手持ち無沙汰でソワソワする。仕方なく、何とはなしにスマフォを弄っていると、間もなくして試着室のカーテンが動き、そして勢いよく開いた。


「どうかな……?」


 カーテンが開き、君島の姿が露わになる。

 君島は若干、頬を朱に染めて俯きながら身体をくねくねしていた。

 その姿は上半身はブレザーを脱いでワイシャツ姿で、下は先程のワイドパンツ。さすがに上のワイシャツが不揃いだけれど、思った以上にワイドパンツは似合っていた。

 デニム生地のそれは雰囲気を引き締めて、ぼんやりとしていた君島の雰囲気が良い意味でシャンっとした感じだ。これはこれでいつもの彼女とギャップがあって似合っている。


「いいな。うん、似合ってる」


 その言葉を聞いて君島は嬉しそうに「じゃあ、次ね」と言ってカーテンを閉めた。

 何だろうか、これは。と今になって疑問に思い始めてきた。いや、最初から疑問は浮上していたのだろうが、まあ、いっかと投げ出していたのだ。

 けれど駅前でぶらぶらするんだろうな、と何となく思っていたのが、まさか君島のファッションショーに付き合わされるなんてな……。

 そんな感慨に耽って、彼女の着替えを待っていると、突然隣から声を掛けられた。

「彼女さんですか?」

 声がする方へ視線を向ければ先程、君島が試着室の使用許可を訊いていた店員がいた。

 綺麗な黒髪にそこから覗く両耳には星形のイヤリングが揺れている。服装は店内の雰囲気に沿った柔らかい感じ。白のワイシャツの上に袖が緩いベージュのニット。下はデニムのパンツで引き締まっていた。


「えっと……、まあ」


 俺は言葉を詰まらせながらも一応頷くことにした。ここで変に否定しても、今この状況を説明できないしな。平日のこの時間帯に男女で服を見ているのに友達同士ってのも説得力がない……。

 いや、待てそもそも――。


「あれ? そう言えば君、制服姿だね。彼女さんも制服姿だったような……?」


 ああ、やばい。そうだよなあ。気づくよなあ。


「あ、それは、その……」


 またしても、今度は緊張感にドキドキしながら言葉に詰まっていると、店員さんが勝手に得心したように「ああ~」と頷いてきた。


「学校サボってきたの?」


 勝手な得心ではなかった。まんま真実だった。


「えっと……、その通りです」


 俺はもう無理だな、と観念して素直に答えた。


「あ、でも学校には一度行きました。そのあとサボったんです」


 何と言うかパニクっていたのだろう。言わなくても良いことを言ってしまった。


「あははっ。そんな馬鹿正直に答えなくてもいいよ!」


 店員さんは笑いながら俺の肩をバシバシと叩いてきた。

 何だか距離感の近い人だな。

 そうして、店員さんとそんなやり取りをしていると、前方の試着室のカーテンがおずおずと開き始める。少しずつ開き始めるカーテンから君島の顔がひょっこりとこちらを窺うように現れた。


「なにしてんだよ」


 君島の謎の行動にツッコミを入れると、彼女は口を尖らせて不満を言葉にする。


「だって、なんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきてさぁー」


 頬も膨らませて、フグのようだった。下手に扱ったら毒に刺されるんだろうなー。


「いや、楽しそうって……、そうだったかな?」


 隣の店員さんに顔を向ければ「あらあら」なんて言って口元を手で隠している。


「嫉妬ですか、彼女さん。可愛いですね」


 店員さんの意地悪そうな笑顔が君島に向けられる。


「え? 彼女さん……? え⁉」


 君島は驚きを露わにして、大きな声を出した。ああ、その経緯は聞こえていなかったのか。


「あら、彼女さんですよね?」


 店員さんが首を傾げている。俺は慌てながら彼女に向けて、合わせてくれ、と口パクでお願いすると君島は頷いて「えっと、そうです。合ってます」と少し照れ臭そうに答えてくれた。ありがとう、君島。

 店員さんは「そうですよね!」と言って、「それにしても、よくお似合いですよ」なんて、すぐさま話を切り替えた。さすがプロだ。


「どうですか彼氏さん。はいはい、感想」


 そう急かされながら、俺は君島と同じような顔で照れ臭そうに感想を口にする。


「似合ってるよ。うん、すごく」


 なんだ、これは。この超絶恥ずかしい状況は!

 けれど、似合っているという感想は事実だ。先のワイドパンツとは違ってワインレッドのロングスカートは上のワイシャツとの相性も良く全体的に上品さと清潔感があって、雰囲気が大人っぽい。これもまたいつもの君島とはギャプがあって新鮮だ。


「それだけですかぁ~。もっとあるでしょ彼氏さん」


 肘をぐいぐい俺の身体に押し付けてくる店員さん。やめてください。俺はその肘攻撃を避けながら、君島に顔を向けて「えっと……、綺麗だよ」と言ってやった。

 その言葉を聞いて君島は唇をムニムニしながら、すごい勢いでカーテンを閉めた。


「お、おい、どうしたんだよ!」


 心配になって声を掛けるが返答はない。何か変なことを言ってしまったのだろうか。やはり俺なんかが「綺麗だよ」なんてキモかったか……。

 店員さんは「いいなあ。可愛いなあ」と呟きながら、離れていった。何の事だろうか。

 そして試着を終えた俺たち、というか君島。君島はワイドパンツとロングスカートを手に持ったままレジに向かっていった。


「買うのか?」


 と訊くと、君島は、


「うん」


 と俺から顔を背けて頷いた。

 レジでは先程の店員さんがニヤニヤしながらこちらをチラチラと見てきた。

 俺は今日何回目かのため息を吐いて、君島の会計を待った。

 そうして会計が終わると「ありがとうございました。また来てね、二人とも」と言ってきた店員さんの言葉に軽く頷きながら、ようやく俺たちは店内から出た。

 店から出ると俺は腕を上に向けて身体を伸ばした。


「やっと終わったな」

「そんなに時間たってないよ」


 腕時計を見れば確かに二十分ほどしか長針は進んでいなかった。


「まだ時間あるよね」


 君島は服の入った紙袋を揺らしながら俺の顔を窺っている。


「あるよ。まだどっか行くか?」


 彼女の言葉に返答すると君島は少しだけ口の端を上げて――。


「じゃあ、カフェに行こうよ」


 と、目を逸らしながら呟くように誘いの文句を言った。

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