第2話 トランプ

 翌日、学校には来たものの、教室の前で突然、無性にサボりたくなってしまい、仕方がないので今日は朝から例の踊り場に行くことにした。

 階段を駆け上がり、さて踊り場に到着、と最後の段を大きくジャンプして両手を広げ着地すると、そこには君島が座っていた。

 君島は着地に成功した俺をまじまじと見つめて「よっ」と片手を上げてきた。

 俺は耳が熱くなっていくことを自覚しながら君島から顔を背けて、そのまま片手を上げ返す。


「なんでいるんだよ」


 恥ずかしさを無理矢理押し殺しながら小さく不満を呟いた。だっているとは思わないじゃないか。というか本当になんでいるんだよ。


「いや、だって昨日さ、話そうねって約束したじゃん」

「約束……?」


 そんな約束したか? と頭を巡らせて、ああ確かにそんな約束を……ってお前が勝手に帰ったんじゃないか。あれって次の日って事だったのか?


「したな。ああ、したな」


 俺は一応その約束に対して頷くことにした。

 そうすると君島は嬉しそうに「うんうん、約束したでしょ?」と言って隣の床をぺたぺたと叩いた。どうやらそこに座れ、ということらしい。

 俺は小さくため息を吐きながら鞄を横において彼女の隣に座った。お尻がひんやりとする。


「よしよし。それじゃあ、これをしよう」


 君島は横に置いてあった鞄の中から長方形の小さな箱を取り出して俺の目の前に掲げてきた。

 それはどうみてもトランプのように見えた。


「おい、話をする約束じゃなかったか? トランプって……」


 いきなり旋回し始めた。飛行機ならすぐに墜落するだろう。


「いいじゃん。面白いかなって思って。トランプとか案外久しぶりだし」


 と言いながら君島は箱からトランプを取り出しておもむろにシャッフルしだした。ほんと、唐突な奴だ。


「で、トランプで何をするんだ?」

「ババ抜き」

「ババ抜き……? はあ?」


 二人でババ抜きをするのか? なんだその虚しそうな遊びは。


「断言できるが、絶対に面白くないぞ」

「面白くない?」

「ああ、面白くない」


 君島は俺の意見を聞くと唇と尖らせて「うぅー、うぅー」と呻きだす。なんか、きもいな。


「やってみないと分からんよ、お兄さん」

「そうかなあ、やってみなくても分かると思うけどな」


 君島は左右に首を振って「いやいや」と俺の言葉を否定した。


「面白いからババ抜き。小学校の時とか一時期ブームでクラスの皆で誰が一番強いかとか、ちょっとした大会みたいなのしてさー」


 君島は朗々と昔話を語りだしたが、いや皆とやれば、そりゃあ、それなりに面白いだろうよ。けど今ここで問題にしているのは二人だけでのババ抜き。つまりは一対一の対戦形式。将棋や囲碁ならまだしも、ババ抜きにそこまでの奥深さがあるとは思えない。

 というか、ババ抜きは誰がババを所持しているのかハラハラするのが一番の醍醐味だと思うんだが、二人のババ抜きでは、その醍醐味は一切として味わえない。だってババの所在は自分か相手か。自分が持っていれば自分。持っていなければ相手が。

 これのどこが面白いんだろうか。

 しかし、まあ、君島がそこまで言うのであれば、もしかしたら本当に面白いのかもしれない。

 俺の知らないババ抜きの魅力があるのかもしれない。

 悪態ばかりついても意味ないしな……。

 ということで君島とババ抜きをしてみたのだが――。



 やはり、面白くない。

 大量に配られた手札はペアのカードを捨てていってすぐさま二、三枚になる。あの大量のカードに意味はあったのだろうか。

 そしてババ抜き開始。俺の手札は二枚。ジョーカーとスペードの8。最初は俺が君島の手札から1枚引いて……。

 俺は君島の手札からスペードの8を引いた。

 スペードの8のペアが出来たので、二枚を捨てる。そして……。

 君島の手札がなくなって、俺の手元にはジョーカーが残っている。


「………」

「………」


 二人、口を閉じて踊り場には沈黙の帳が下りた。

 君島はおずおずと小さな声で「やった、勝った!」と呟いた。

 そうだな。君島の勝ちだ。

 いや、ということではなくて――。


「ゲームになってないだろ!」


 なんだよ、この先攻か後攻で勝敗がつくクソゲーは!

 俺はため息を吐いて頭を抱えた。


「ほら、言ったろ? 面白くないって。勝っても負けても何の感動もない」

「た、確かに……」


 君島はオロオロと視線を彷徨わせている。俺はそんな君島に呆れながらも、心の片隅では、少しだけ楽しいな、と感じていた。

 ゲーム自体は面白くなかった、というかそれ以前のものだったが、なんだか君島のバカさ加減を見ていると、どこか楽しんでいる自分がいた。

 この感情は何だろうか……。


「………」


 今はその感情の名前に心当たりは無かった。たぶん、そこまで大層なものじゃないと思うけど。


「違う遊びをしよう」


 俺はトランプをかき集めて、トントンと重ねて整え、シャッフルしながら君島の顔を見た。


「違う遊びねぇ」


 君島は顎に指を添えて「そうだなあ」と悩んでいる。

 俺はそんな君島をよそにシャッフルし終えたトランプをマークや数字が見えないように裏向きでバラバラに広げていった。


「神経衰弱?」


 と君島が首を傾げてきた。俺は頷いて「これなら多少は暇潰しになるだろ」と言った。

 そうして始まった神経衰弱。

 さあ、神経質に頑張りましょうか。


「ねぇねぇ」


 君島がトランプをめくりながら声を掛けてきた。視線は床に敷かれたトランプに向けられている。


「西条はなんで授業サボってんの?」


 君島がもう一枚をめくった。ペアにはならなかった。


「なんで、かぁ……」


 理由を訊かれてもな……。特にこれと言った明確な理由がある訳じゃない。

 ただ単に授業を受けたくなかった。受ける気力がなかった。受けたいと思わなかった。

 思い浮かんだ理由を言葉にしてみるものの、どれもが漠然としている曖昧なものばかり。

 けれど、果たしてそんな曖昧な理由でサボる、という行動に移すか?

 直接聞いてまわった訳ではないが授業を受けたくない、なんて全生徒が思っていることだろう。しかし実際にそれを理由で授業をサボる奴はいない。授業をサボれば後々になって苦労するんだろうなぁ、とか、何だか知らないが授業をサボるのはいけないこと、という罪悪感があったり、そういう不思議な不安によって皆は授業をサボらない。

 でも、俺は授業をサボっている。

 どうしてだろうか……?

 俺だって不安はある。罪悪感がないといえば嘘になる。だから人並みには俺も普通の感情を持っていると思うのだが……。

 と、その時、思い出したのは今朝の教室の扉の前でのこと。

 そう言えば俺はあの時――。


「そうだな……」


 君島は窺うように上目遣いで俺を見つめていた。

 俺は裏返しのトランプを何となく眺めながら、呟くように声を出した。


「――今日は違うな、と思ったのかもな」


君島は俺の言葉に一瞬、呆然としながらもすぐに我に帰って問いかけてくる。


「今日は違う?」


 君島は眉間に皺を寄せて唇をすぼめていた。


「そう、今日は違う。なんか分からんけど、今日は違うんだよ。だからサボった」


 正直、授業を受けたくなかった、とかの理由よりも漠然度が増したとも思うが、俺にはこの理由が一番しっくりきた。

 そうだ、俺は今朝、扉に手をかけた瞬間に「なんか、今日は違うんだよな」と思ったのだ。

 だから俺は授業をサボった。


「ふーん。今日は違う、かあ」


 そう言いながら君島は俺の顔をまじまじと見つめる。


「面白いね、西条は」


 君島は目を細めて微笑むと「ほら、西条の番だよ」と急かしたきた。

 ああ、そう言えばそうだった。真剣衰弱か。

 俺はテキトーに二枚のトランプをめくった。

 そうして現れたのが――。

 ハートのクイーンとハートのジャック。

 なかなか揃わない。

 そうして真剣衰弱をテキトーに遊んでいると一限の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 それを合図に俺たちはトランプをまとめて箱にしまった。

 そしてトランプの箱を君島に手渡すと、俺は自分の鞄の手提げの片方を肩にかけて立ち上がる。

 君島がそんな俺を見上げて口を開いた。


「どこ行くの?」


 その質問に俺は屋上の扉をぼんやり眺めながら「散歩にでも行こうかな、と思って」と答えた。


「突然だね。でも、そっか」


 そう言うと、君島もスクールバッグを肩にかけて立ち上がり、お尻を軽くはたくと俺の隣に並んできた。


「じゃあ、私も散歩に行こうかな」

「え?」


 俺が目を瞬いていると彼女は先に階段を下りて、ついてこない俺に対して「はやくはやく」と小招きしてくる。

 そんな小招きに応じて俺も階段を駆け下りて君島に追いつくと「ついてくんの?」と訊いた。

 君島は「だめ?」と首を傾げる。


「いや、ダメじゃないけど……。まあ、いっか」


 ダメと言われればダメではない。多少、嫌ではあるが……。

 俺は仕方ない、と割り切って歩を進めた。


 ということで、急遽、君島と散歩することになった。

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