第1話 出会い
頬を突かれているようだった。
ついさっき夢から覚めて頭は完全に覚醒したのだが――。
誰かが俺の頬を指で突いているのにすぐ気づき、俺は咄嗟に寝たふりを続けている。
「むぅー、寝ている。こんなところで寒くないのかな?」
どうやら頬を突いている犯人は声から察するに女性のようだった。
しかし、何故俺の頬を突いているのだろうか、という疑問が浮かぶのは当然として、そもそも今は何時ごろだろうか? チャイムが響けがその音で起きるぐらいには俺は睡眠をコントロールしているつもりだったのだが、聞き逃したか? それとも、まだ二限の授業中で彼女も俺と同様に授業をサボっている?
疑問は次々に生まれて、しかしてその疑問たちに対する答えはどうにも浮かぶ気配は無かった。
彼女の目的は? 彼女の正体は? そもそもどうして彼女はここに居るのか?
疑問が頭の中を支配していく間も、俺の頬は彼女の指によって突かれ続ける。
これは何のプレイだよ……。
と、まあ、こんな状態がいつまで続くのかも分からない。かれこれ五分ほど寝たふりを続けている訳だが、このプレイが終わる気配は感じられなかった。
――だから、これは仕方ない。
俺は意を決して瞼を開けようと覚悟を決めて、いざ、閉じていた瞼を少しずつ開けていくと、ぼんやりとした視界の中で女生徒のぼやけた輪郭が目の前に現れた。
「あ、起きた」
ぼやけていた視界は徐々にはっきりとしていき、遂に頬を突いていた犯人の姿を捉えることが出来た。
脱色した中途半端な茶髪に、少し垂れ目がちの大きな瞳。着崩している制服は何だかだらしなく、首元のリボンは生気を失ったようにだらんと垂れていた。スカートは膝より上でしゃがんでいるので太ももの肌色がまるまる確認できる。
可愛い女子が俺の目の前にはいた。
「えっと……、どもども。こんにちは。いや寝起きだからおはようかな?」
「ああ、おはよう」
「え? あ、ああ。お、おはようございます」
彼女は律儀に頭を下げて挨拶を返してきた。俺はそんな姿が遠慮なく頬を突っついていた先程とは違って、なんだか笑えてくる。
「うーんと、そうだな……。まず、今は何時だろうか?」
目を開けて彼女の姿を確認したは良いものの正直その後に関してはノープランだった。
いきなり名前とか聞いていいのだろうか。
少しだけ考えて……、まあ分からん。
ここは当たり障りなく時間を尋ねるのが自然かと思ったが、改めて考えれば起きてすぐに見ず知らずの奴が目の前にいるのに、そいつを無視して時間を訊くのは、なんだか頭のネジが数本は外れている奴の行動じゃないだろうか? 知らんけど。
「えっと、時間、時間」
彼女は左手首の内側に視線を移して「十一時だね」と答えた。どうやらまだ二限の授業の真っ最中らしい。だとすると、目の前の彼女も俺と同じく授業をサボっている、という訳か。
俺はさも今起きたばかりだと言った感じで頭髪をわしゃわしゃと掻いて、ゆっくり彼女の目を見て、ようやっとその彼女に関して探ることにした。
「それで、君が誰だか訊いていいですか?」
どうしてだか敬語で質問してしまった。彼女はその言葉遣いがツボに入ったのか笑い声を抑えるように唇をムニムニしながら口を閉じていた。
「あ、えっと、はい。いいですよ」
彼女も俺に倣って敬語で返答してきた。
「私は君島。君島香代。どうぞよろしくお願いします」
彼女――君島は再度礼儀正しくお辞儀をした。姿勢はいつの間にか正座だ。床に脛が接していてなんだか冷たそうだな、と思ったが口には出さなかった。
俺は君島の自己紹介を踏襲する形で自分も名乗ることにした。
「俺は西条。西条葵。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
俺も頭を下げた。正座じゃないが。
「それで、君島は授業中だけどここに居て良いのか?」
「あ、まあ、うん。授業はサボったから大丈夫」
「ああ、そっか」
俺はそのあっけらかんとした返答が逆に清々しくて、つい微笑んでしまう。
君島はそんな俺を見て、彼女も小さく微笑んだ。
「西条もサボり?」
首を傾げて茶髪の毛先が少し揺れた。俺はそんな彼女に頷いて質問に肯定する。
「それじゃあ、サボり仲間かあー」
「サボり仲間……、そうか」
「うん、サボり仲間。サボりの同志。サボり同盟」
「君島とは色んな関係名称があるようだな」
「そうそう、まあ、そんな感じ」
適当だな、こいつ。
と、君島の返事に呆れていると、彼女は少しだけ口の端を上げて俺を顔を見つめた。
「西条さ、ちょっと話さない? 暇だしさ」
「暇なのか」
「うんうん、ひまひま」
君島は頷きながら俺の隣に腰を落ち着けた。足を伸ばしてスカートの皺を引っ張っている。
「そうだな、どうしようかな……」
俺は首を掻きながら中空を見つめる。
まあ、俺も彼女と同様にこれから何か予定があるという訳でもない。というか授業をサボって予定も何もある訳がない。けれど、この君島という奴と一緒にいるのもどうなのだろうか。
得体が知れない、というのが第一印象で、今もその印象は変わっていない。
内心の片隅では可愛い女子と隣り合わせで座っている状況にガッツポーズを取らなくもないが、これは新手の詐欺やら美人局やら、なんて可能性の方を考えてしまうのは男子高校生としては間違っているのだろうか。
そうだな、彼女の動機が分からない。いや、もしかしたら彼女にはさしたる理由もないのかもしれない。俺が考えすぎなのかも。
そう、つまりは言葉の通りの暇潰し。
そうか、俺の考えすぎ。詰まる所、妄想のしすぎ。そう考えれば男子高校生としては俺も健全じゃないか。
と、色々考えてみたが、正直途中からどうでもよくなっていた。
考えるのに飽きてきたというのもあるが、最悪、何か被害を受けるようなことになった場合はその時はその時だ。何かあったらすぐに逃げよう。と、結果なにも考えていないに等しい考えに至った。
まあ、少し君島に興味を抱いているという理由も多少ある。
これも一興という気持ちで俺は君島の誘いに頷いた。
「よし、話すか」
君島は俺の返答に「ふふっ」と小さく笑って目を細めた。
「なんだよ」
君島の反応が理解できず、率直に問いかけると、
「なんか、話すぞ、って宣言して話をするのが何だかおかしくてさ」
と、言ってきた。
「まあ、確かに変かもな」
その意見には俺も同じだったので頷いた。
「そうだよ、変だよ」
君島は今度は口を開けて大きく笑った。声を出して「ふふっ、はははは」とくすぐったそうに笑っている。なんだか艶めかしい。これが女子高生か、JKか。
「そんなに笑えるかぁ?」
俺は君島の大笑いに首を傾げて問いかける。
君島は「うんうん」と首を上下させて頷いた。
「話そうってなって、そもそも話すことなんてないし、絶対に気まずい雰囲気になるよ。自然といつの間にか話すから会話って楽しいんだから」
「確かにな……。君島と話す話題なんて思いつかないし」
「そうそう。話すことなんてないよねぇ」
「………」
「………」
確かに考えてみれば会ったばかりの正体不明の女子と何を話せというのだろうか。今日はお日柄も良く、なんて天気の話をしても仕方ない。というかそんな話なら早々に退散させていただく。
いや、そもそも――。
「お前から話そうって言ってきたんだろ。責任はお前にある」
「ああ、そう言えばそうだ」
君島は欠伸交じりに目を擦りながらそう答えた。
掴めない奴だ。雲のように存在自体が揺蕩っている。まだ君島に関する情報を全然知らないというのもあるだろうが、それにしたって彼女のふわふわ感は顕著ではないだろうか。
「それで、結局話すのか? 話す話題はないけど」
俺も君島に倣って欠伸交じりに問いかける。
君島はうんうん、と頷いて「話そうよ。話すことがなくても」と言うと、急に立ち上がった。
どうしたのか、と怪訝な眼差しを君島に向けると、君島は「それじゃ」と手を振って階段を駆け下りて、消えてしまった。
俺はその突然の行動に何も言えずに、一人踊り場に取り残されてしまった。
同時にチャイムが鳴り響いて三限の授業の終わりを告げられる。
ああ、そうか、もう昼休みか、とそこでようやく我に返った。しかし、いやそれにしたって唐突の行動には驚かされたし、そもそも話すんじゃないのかよ。
やはりどうにも掴めない奴だ。でも――。
俺は先程の君島という奴の顔を思い出して「ふふっ」と笑みをこぼした。
よく分からない奴。
――けれど、嫌な奴ではなさそうだった。
少しだけ彼女への第一印象が和らいだと言えば、まあ、そうかもしれない。
何だか変な奴がいるんだなあ、と思いながら階段を下りる。
また君島に会えるだろうか。
そんな想いを踊り場に残して、俺は昼飯を調達するために売店に向かった。
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