第18話 哲学的のぞき
「ちょっとレイくん、何してるの?」
トイレから聞き慣れた声がし、僕は落胆する。
なんだ、ユキか。新種の幽霊の方が良かったのに。ユキは、さっきまで震えた目を吊り上げて、なんだか不機嫌そうだった。
「まさかレイくん……本当に覗きをするなんて。その一線は越えちゃだめよ。男子はHな方が健全だと思うけど、特殊すぎるのはちょっと……」
「はぁ? 僕は変な音がしたから調べに来ただけだぞ」
すると、トイレの中から水が流れる音が聞こえる。しかも、結構な量の水が断続的に流れる音だ。
間違いない、ユキ以外にも何かいる。僕は正体を確かめるべく、意を決して一歩を踏みだ……そうとしたらユキに掴まれていた。
「ストップストップ。今ももかちゃんが入ってるだけよ」
「なんだ。幽霊とは関係ないのか」
ももかか。そう言えばいなかったよな。全く、トイレならトイレって言ってくれればいいのに。
「まったく……女子トイレに耳を傾けるなんてどういう神経してるの?」
「手前側だから男子トイレだと思ったんだ」
「どこから見て手前側なのよ」
「どこって教室から……あ、そうか」
僕が来たのは教室とは反対だった。ということは僕がさっき見ていたのは紛れもなく女子トイレだった。
これも哲学的問題の一種である。手前側という言葉の定義を間違えると、思いもよらぬ結論が出てしまうのだ。
「お待たせー……って、わぁ!? なんでここにいるの?」
そんなことを考えてると、ももかがトイレから出てくる……と、ずささぁっと後ずさり、またトイレに入っていく。
「一人だと危ないかと思って」
とっさに思いついた言い訳を使うと、ももかは暫く目を泳がせた後「だ、大丈夫だよ。わたし、慣れてるから」と答えた。
ま、そうだよな。怖がりなら夜の学校に行くはずがないし。
……しばらく無言が続く。
どうしてだろう。僕は何か言ってはいけないことを言ってしまったのか。それとも、トイレの音を聞いたのがまずかったのかな。聞かれるのを恥ずかしがる人もいるみたいだし。
まあ、とりあえず無言のままは気まずいので、何か話をしよう。
「ねぇ、この学校ってどうして幽霊が出てくるの?」
「学校に恨みや禍根を持った人がいるからだよ。人の思いが強すぎると、モノに移ることがあるの。その思いが邪心だったりすると、悪さをするんだよ」
「そうなんだ。で、御札を使うとその霊が成仏するってこと?」
「ん~、成仏っていうのはないかな。けど、鎮魂っていうのはあるの。強すぎる思いを少し抑える感じかな。
例えば、雨が強すぎると災害になるけど、適量なら植物の養分になるでしょ。そういう感じかな」
なるほど。てっきりユキみたいな霊がたくさんいるのかと思ってたけど、そうじゃないみたい。
「でも、これは神道の考えだから。幽霊はでっちあげだって人もいるし、成仏も鎮魂も同じって人もいるよ。
れいくんは、れいくんなりに考えればいいんじゃないかな?」
「え? 勝手に考えてもいいの?」
「いいよ。目指す幸せの形が違うから、たくさんの考えがあるんだよ」
たくさんの考えと言われて、僕は困ってしまう。
ということは、ユキみたいな霊に対する考えも様々あるということだ。
そうなると、そのうちどれが正しいのか見極めないと、僕は永久に霊に取り憑かれたままになってしまうのかもしれない。
「ねぇねぇ、れいくんが霊感強いのって、生まれつきなの?」
考え事をしていると、ももかが次の話題を振ってくる。
霊感強いのはももかの勘違いだが、否定しても信じてはくれないだろう。かと言って嘘もつきたくない。それを考えると気が重くなる。
人付き合いをすると、必ず何か嘘を言わなくてはならない。
何かを守るために、別の何かで覆い、またそれを別の何かで覆う。
そして、いつの間にか手段と目的が入れ替わり、最終的に僕は嘘をつくだけの人間になってしまうような気がした。
「いや、さっきのは偶々。普段は感じることはないよ」
「偶々でもすごいよ。わたし、あんなにはっきりと当てたことないもん」
「僕も似たようなもんだよ」
「そんなことないよ。れい君にはこう……霊感ありそうな雰囲気もあるもん」
話がややこしくなってきたな。どうあっても僕に霊感があるようにしたいらしい。
ユキといいももかといい、どうして主張をひっこめるという発想が出てこないんだろうか。
……哲学的問題が生じた。
霊感とは霊的存在を認知する能力だが、霊的存在は霊感がある人間にしか認知できない。つまり同語反復だ。
例えば、温度計が測っているのは本当に温度なのか証明することはできない。なぜなら、温度計で測ったもののことを温度と呼んでいるからだ。
また、不死の存在に死を与える能力をもっていても、不死の存在がいない限り確かめようがない。
これらを一般化すると、原因は結果に独立していなければならないということが言える。
霊感が存在しないことは論理的に明らかなのだが、ももかにはきっと納得してもらえないだろう。そこが難しく、やるせないところだ。
もし世の中が論理的に動いていたら、僕も少しは生きやすくなるだろうと思う。
手帳を片手にプランを練るももかを見ながら、僕はそんな悩みの中を彷徨っていた。
◇
「そろそろ帰らないと……」
一通り学校を廻ったところで、ももかが言った。もう生活音もまばらになっている。時刻を確認しようとしたが、怖いのでやめた。
「今日は楽しかったよ。……また、誘ってもいいかな?」
「え、えと……」
どうしよう。確かに今日は楽しいとこもあったけど、やっぱり他人と一緒だと緊張しちゃうし……それなら一人で家にいたほうが……。
僕がそんな風に考えていると、ユキが僕の頭をつかんで、無理矢理前へ傾けた。
「いいの?! ありがと~~」
ももかは頭の傾きを了承と受け取ったらしい。僕の生活から拒否権が消えた。
「うちの部のこと、あんまり良く思ってない人もいるの。だから、味方になってくれる人がいるとすごく心強いよ」
「そうなんだ。どんな人が良く思ってないの?」
「先生とか、生徒会の人たちには、あんまりね。他にも、ひそひそ噂してる人もいるし。特に先週あたりから風当たりが強くて……」
まぁ、そうだよな。僕は、自分に関係のないことなら別にどうだっていいと思うけど、そうじゃない人もいる。
彼らは気に入らないもの、醜いもの、常識から外れたものを見つけると、陰湿な手段で攻撃してくる。まるで全ての元凶がそこにあるかのように。
なぜ彼らがそんな行動をとるのか、僕には理解できないけど、そんな脅威は確実に存在している。
「でもわたし、部活やめるつもりはないの。悩んでる人がこの学校からいなくなるまで。そしてわたしは、みんなの悩みをなくすような……リーブ21みたいな存在になるの」
心意気は立派なのに、目標は微妙だった。
けど、ももかの姿勢は僕にはショックだった。僕は屋上へ逃げだすくらい噂話が嫌いなのに、ももかは受け止めようとしている。同じ歳でもこうも違うのかと、自分の怠惰を恨めしく思う。
ももかが噂から逃げないのは、部活が好きだからだろうか。僕にも心から好きなものがあれば良いのかな。
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