13、サッカー観戦
だから、なんであたしがこんな目に・・・。
「あら、浮かない顔ですね。どうかしましたか?」
隣でコーヒーを啜っていた男がにやりと笑う。
この野郎、白々しいにも程がある。
言いたい文句は一つや二つでは済まないが、今回は事態が事態だ。流石に忘れることはできないので、全て頭の隅に追いやる。
「・・・それであの男子、何か吐きました?」
璃子の問いに男─
「吐くには吐きましたよ。あのお嬢の自白剤、かなり効果ありますね。販売したらどうです?」
「あのですね・・・一薬局如きが自白剤なんて売れるわけないですから。摘発されて怪しい素材全部持っていかれて終わります」
「あら。でも警察には顔が効くんですよねぇ?」
横目で睨むと、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「・・・別に顔が効くわけじゃないです」
たしかにもし万が一そんなことになったら尽力してくれるだろうが、頼るべきではない。むしろ頼りたくない。
「ふーん・・・使えるものは使えばいいのに。相変わらず人間って面倒ですね」
「人間でもそういう人はいますよ。それにあなたも今は人間です」
「ああ、たしかにそうでしたねぇ」
頷いて、もう一度コーヒーに口をつける。
ただ何処にでもあるチェーン店のコーヒーを飲んでいるだけなのだが、その姿は様になっていて通りがかりの人々の目を奪う。
どうしてこうも無駄に美形に化けるのかと思ったが、九尾な狐といえば古代より美女に化けて時の為政者を誑かし、国の一つや二つ滅ぼしてきた存在だ。それを考えれば、まだ控えめな方かもしれない。
「それにしてもゲーム展開が良くないですね。シュートの数に対する決定率が低い。あっちのチームはレフトが弱いからもっとそこをついて行くべきじゃないですかね」
「・・・あはは、ソウデスネ」
同意を求められたがもはや乾いた笑いしか出てこない。
昼間の人間界に一人で行くのは不安だと言うからわざわざ貴重な休日を使って同行してきたのに、外来語まで完璧に使いこなしている様子だとちょくちょく遊びに来ているに違いない。
もはやサッカーに於いてはすでに自分よりも遥かに詳しい。これで観戦が初めてですと言われても俄には信じられない。
「それで、何がわかったんですか?」
「何も」
「・・・・え、何も?」
さっき自白剤がよく効くとか話してなかったっけこの人。
璃子が目を白黒させていると、紅炎がふぅと小さく息を吐く。
「ええ、たしかに話しましたよ。でもね、彼肝心なところは何にも覚えていないんですよ」
「覚えていない?」
「はい。どちらかと言えば、一部を虫に食われたような穴だらけの記憶でした。まるで誰かにバレたとしても自分には累が及ばないように計算されたかのような」
「それってもしかしなくても無駄骨ですよ」
顔を引きつらせる璃子。
夜中に起きるのはいくら仮眠を取ったからと言ってもやはり辛い。しかももう冬に入った夜はとにかく冷える。寒さに耐え、眠気に耐え、それでもって胸糞悪い場面も見せられ、そこまでしてやっと捕まえたのに。
いくら自分から言い出したこととはいえやってられない。
「まあまあ。でも、収穫はちゃんとありましたよ」
抱えていた頭をあげる。
「気付きませんか?僕の知ってる限り、記憶を消すなんて所業は犬っころには出来やしませんよ」
「・・・と言うと?」
何が言いたいのかさっぱり分からずに小首を傾けると、紅炎が呆れたように小さくため息を漏らした。
「つまり、他の何ものかが関わっている可能性が高いって話です」
「ああ、なるほど・・・でも、それって珍しいことじゃないですよね?」
桃源堂の上客には他の妖たちを率いるものもいるし、
しかし、紅炎が先程よりも大きくため息をつく。
「何言ってんです。珍しいですよ。僕たちは基本的に群れない自分本位な存在です。特に犬神なんて本物の神からは程遠いですが、神って言葉がつくくらい力はあります。むかつきますがね、それが協力している、もしくは従っているとすれば・・・」
更に力を持った何ものかが裏で糸を引いている可能性がある。
はっとして顔を上げると紅炎と目があった。
口に出さずとも、璃子の考えはお見通しのようでやっとわかったかと言わんばかりにニヒルな笑みを浮かべた。
「まあ、ただ今回の男。彼を利用しようとしたのは
「・・・あの、それずっと疑問に思ってたんですが、どうして彼はあんな効果の薄そうな方法を取っていたんでしょうか?」
自分だったら、いくら胸糞悪くともどうせやるなら効果が高い方を選ぶ。この相互監視社会で犬を生き埋めにして飢えさせる時点で失敗する可能性は高いが、人里離れた山奥まで行けば不可能ではない。
手間がかかると言われればそれまでだが、それにしてもいまいち腑に落ちないままなのだ。
紅炎は一瞬その切れ長の目を丸くしたかと思うと、すぐに目を細める。
「・・・お嬢って僕たちのことよく知ってるようであまり知はないんですね」
呆れた物言いに、勉強不足を指摘されたようでカチンとくる。つまり、図星というわけだ。
「失礼な。ちゃんと知ってますよ、素材になるもの限定ですけどね」
犬神なんてレア中のレアだし、なにより素材にならない存在だ。一応教本には載っていたが、秒で飛ばした。
一瞬きょとんとした紅炎だったが、すぐにニッ口を歪ませる。
「・・・知ってます?犬神の歯って、結構いい防衛剤になるんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
思わず目を輝かせる。
「ええ。ほんの少し混ぜてやるだけで人間でいうウイルスの侵入を防ぐ役割をしてくれます。理由は知りませんが、きっとウイルスだって呪われたくないんでしょう」
ウイルスにそんな知能があったら大問題だが、もしそれが本当ならば放っておくわけにはいかない。
なにしろ季節は冬。
すでに風邪に効く、風邪を予防する薬を買い求めて連日マダムたちが押し寄せてきている。
「うまく売り出したら、こちら側の経営も安定するんじゃないです?やっぱり金は必要でしょう」
にやりと口に弧を描く紅炎。
悔しいが、言ってることは間違っていない。
「それで、なんであんな方法を取らせていたんですか?」
話を逸らせたせいか少し不満そうに口を尖らせたが、すぐにいつもののらりくらりとした表情になる。
「答えは簡単ですよ。犬神は誰彼構わず力を貸すわけではありません。古来より代々犬神を使役してきた血筋にしか従わないわけです。もちろん憑けようと思えば憑けますが、大抵その力に耐えられずお陀仏になりますねぇ」
「でもそんなことさせて犬神になんのメリットが?」
「そうですねぇ・・・犬神の原動力って何か知ってます?」
「原動力?」
首を真横に倒す。
「その様子だとご存知ないですね。いいですか、あいつらは怨念が餌です。個人個人の小さな怨念でもそれが集まれば、自ずと強大なものになる」
「えっ・・・じゃあ、今回の一連の事件の本来の目的は犬神への餌付けってことですか?」
「ええ。僕の予想が正しければそうですね。ただ、今回は威力は弱いと言っても加害者たちは普通の人間ですから跳ね返りが来るんです。現にあの男、殺した犬の怨念でしばらく熱でうなされてましたからね。あの調子なら相手も呪ってたら本人の命も危なかったと思いますよ」
何の罪もない生物に手を出している時点でもはや自業自得としか言いようがないが、それでも同じような体験をした身としては米粒くらいの同情心は持ち合わせている。
あれは中々きつかった。特に普段風邪をひかないため、慣れていなかったせいもあるだろう。
最後に熱を出したのは、たしか祖父に内緒で勝手に調合室を漁った時だ。あの時も相当きつかった記憶があるが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。どんな痛みや苦しみだったかまでは思い出せない。
「犯人の体調云々は置いておいたとしても、このままの状況が続けば危険ってことですね」
「まあ、そうですね。放っておけば成長してしまいますからね。僕としては丸々と肥太った方が質の良い素材が手に入るんでお勧めしますけどね」
からりと笑う紅炎を璃子は遠慮なくジト目で睨む。
たしかに一薬屋としては魅力的だが、このまましばらく見て見ぬふりをするのは道徳心が許さないし、何より実際に手を下すのは壮馬になる。彼への負担が少ないことが最優先だ。
「なんなら、お手伝いしましょうか?」
「・・・今度の見返りはなんですか?」
先日情報料と称して爪を持っていかれた─とは言っても、伸びて切り落とした部分だっだが。
「そうですねぇ・・・今回は骨が折れそうなので、お嬢の眼球を」
声を上げるより先に、眼球スレスレに指を突きつけられる。ぱっと見、普通の人間の手だが、その実は鋭利な刃物と同等、むしろそれ以上の爪が隠れている。犬にしろ、狐にしろ、獣にとって爪は凶器だ。
「流石にそれは頷けませんよ」
小さく否定すると、意外と言わんばかりに目を見開く。
「あら、二つあるからいいと思ったんですが」
何だそのとんでも理論。
「二つあったら一つあげてもいいってことじゃないと思いますよ。腎臓然り、耳然り、生殖器然り。二つある臓器は生きていく上で必要不可欠だから代替品として二つあるんですから」
「では代替品を準備するとしても?」
「代替品って・・・嫌ですよ。どうせ勝手に喋るおじさんだったりするんでしょ」
そんなことになれば某マンガよろしく片側を髪で隠して暮らさなければならないではないか。
「そうですか・・・せっかくいい提案だと思ったんですけどねぇ」
至極残念そうに肩を落とす紅炎。
「・・・だいたい、眼球なんてもらってどうするんです?」
部屋に飾っておくなんて言われた日には恐怖でしかない。
「え?それはもちろん売りますよ」
「うっ・・・」
声を荒らげそうになって、咳払いをする。
「全身ならともかく部位で売れるんですか?」
「えっ、今更何言ってんですか。五臓六腑、髪や爪に至るまで人間は余す所なく使えますよ」
きっぱりと言い切られ、なんだか胸の辺りがゾワゾワする。いや、たしかに自分だって動物や妖たちを同じようにしてきたのだが、こうも面と向かってお前は素材だと言われていい気はしない。
「それにお嬢にとっても悪い話じゃないと思いますよ。ほら、二つじゃなくて一つだったら、大好きな坊ちゃんとお揃いですし」
「別にそんなところはお揃いじゃなくていいんですけど」
「でも坊ちゃんは喜ぶかも?」
「喜ぶわけないでしょう」
どちらかと言えば嫌な顔をされるだろうと安易に想像がつく。
「ふむ、たしかに・・・では、お役目から外れられるかもしれませんよ」
言葉を数回咀嚼して齟齬がないことを確認したのちに顔を上げると、紅炎が普段通りの意地悪い笑みを浮かべていた。
取引が長いだけに、下手に家庭の事情を知っているところはなんとも質が悪い。
「別に、今更嫌がったりなんてしませんよ」
すこしぶっきらぼうな言い方になってしまったが、嘘ではなかった。
もうとっくの昔に覚悟は決まっている。
璃子の言葉に、紅炎はつまらなそうにふーんと相槌を打つ。
「まあ、たしかに今更って感じですね。あと十年早ければ交渉の余地があったでしょうに。本当、時の流れって一瞬ですね。あんなに小さかったお嬢がこんなに大きくなるなんて」
「その言い方、まるで親戚のおじさんですね」
おじさんというには些か歳をとりすぎているが、見た目年齢でいえばセーフだろう。
・・・あれ、おかしいな。
絶対何か突っ込んでくると思っていたのに紅炎の反応がない。もしかして年齢を気にするタイプだったのか。
恐る恐る隣を見ると、俯き空いている腕で自分を抱きしめ小刻みに震えている。
まさか、怒っている?
急に不安になり、呼びかけようとしたまさにその時、紅炎が急に顔を上げる。
「なんですか、その楽しそうな設定は!僕とお嬢が親戚!あはっ面白いですね!あ、僕は父方ってことでお願いします!そしたら坊ちゃんとも親戚ですしね!」
普段からは想像できないほど目を輝かせ、生き生きとしている紅炎。
出会ってから約十年。こんなに嬉しそうな顔を見たのは初めてかもしれない。
もしかして家族が欲しかったのだろうか、と一瞬頭をよぎったが考えたが、この狐に限ってそんなことはない。
もはやどこから突っ込めばいいのかわからない璃子は考えることを放棄し、ただ「はいはい」と相槌を打った。
ピーっと高らかに笛の音が鳴り響く。
試合終了を告げる合図に、青のユニフォームを来た相手選手たちがその場で小さく肩を落とした。
「ちょうど終わりましたね」
そこへコーヒーのおかわりを貰いに出かけていた紅炎が戻ってきた。なんでも当日のレシートがあれば格安でもう一杯購入できるらしい。
「はい、これ」
紅炎が左手に持っていたカップを差し出す。
「なんですか?」
「紅茶ですよ。お嬢、コーヒーあんまり好きじゃないでしょう。ここ、最近紅茶も出し始めたんですよ。まあ最近と言っても本国の方では結構前からやってるんですけどね」
「へぇ・・・」
その情報量は完全に璃子を上回っていた。
受け取ったカップに口をつける。暖かい紅茶が野外で冷えた体の真ん中を通り、内側からぽかぽかと温めてくれるのがわかる。
味の美味しさだけで言えば、同じ商店街にある茶葉店のものよりは劣るのだろうが、この状況も相まって非常に美味しく感じる。
想像以上に体が冷えていたのか、その温かさにほんのりとしていると、赤のユニフォームの軍団がベンチに戻る。次のチームに明け渡すため、荷物を持って動き出す。
しかし、その最後尾付近でキョロキョロと何かを探すような仕草をしている選手が一人。
来ることは伝えていなかったのだが・・・と思いつつも手を振ってみる。反応がなければそれはそれでいいと思っていたのだが、すぐにこちらの動きに反応を示した。
背伸びするように手を振り返す姿は、まるで飼い主を見つけた大型犬だ。あまりにも必死な姿が面白くて小さく笑うと、隣の紅炎がギョッとしたように目を見開く。
「お嬢って、笑うんですね」
「あたしのことなんだと思ってます?普通に笑いますよ。見たことありますよね?」
これだけ長い付き合いで笑顔のひとつも見せないほど無愛想な接客はしていない。
「それはもちろんありますけど・・・」
紅炎は歯切れ悪く口を閉ざす。
続きが気になるが、つっいたところで吐くタイプではない。まあ、自分の笑顔の話題などたいした興味はないので早々に終わってくれて好都合だ。
また視線をベンチに戻すと、何故か
「なんだか忙しそうな僕ちゃんですね」
「まあ、たしかにそうですね」
紅炎の言い方があまりにも的確だったのでふふっと笑ってしまう。するとまた桃矢の顔が一段と曇った。
このままこちらに来そうな勢いだったが、呆れ顔の
「・・・さて、じゃあ僕たちもそろそろ行きますか。だいたい目星はつきましたしね」
紅炎が立ち上がり、尻を叩く。
「えっ、わかったんですか?」
璃子が目を見開くと、紅炎が口の片端だけをにっと引き上げた。
「ええ。お嬢達が戯れあってくれたおかげでね」
紅炎の言葉は全然腑には落ちないが、どんな形であれ解決に一歩前進したならばそれで良しとしよう。
先行く紅炎の後を追うべく、璃子は残っていた紅茶を勢いよく流し込んだ。
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