14、嫉妬

 トントンと肩を叩かれた壮馬そうまが勢いよく振り向いた。贅肉のない頬に人差し指が触れる。久々の成功に思わずにやけてしまう。

 

 「お疲れ様」


 一瞬、虚をつかれたような顔をした壮馬だったがすぐに目を細める。


 「・・・お前ら、こんなところで何やってんだ」

 「何って」


 少し離れたところにいる紅炎こうえんを見る。

 璃子りこに電話がかかってきたのは昨日の晩、いや正しくは今日の明朝だ。寝ぼけた頭で聞いていたので、確かではないがすでに壮馬にも話は通してあるとかなんとか言っていた気がするのだが・・・この様子だとどうやら何も知らないようだ。


 目があった紅炎が頭の上で小さくバツを作る。


 「・・・紅炎さんがサッカー見たいって言ったから連れてきたの」


 ものすごく苦しい言い訳だったが、壮馬は「そうか」と相槌を打つだけでそれ以上は踏み込んでこなかった。

 きっと文句も含めて色々言いたいことはあるだろうが、縄張りである夜を飛び出してまで来ている時点で何か深い理由があると勝手に解釈してくれているのだろう。

 流石は察しの良さでは親戚で一、二を誇る壮馬だ。


 「なんでもいいけど、あいつめんどくさいことになってんぞ」

 「あいつって・・・」


 そういえば姿を見ないなと思っていると、急に背中にずしりと重みを感じた。振り返らずとも、そんなことしてくるのは一人しかいない。


 「お疲れ様、桃矢ももや


 言いながら首に回された手をなんとか剥がそうと腕に力を込めるが微動だにしない。

 こういう時、自分の非力さを少しばかり恨む。だからといって時間を割いてトレーニングをする気には全くならないのだが。

 しばらく待っても動かないので壮馬に視線で助けを求めるが、「自業自得だ」と口パクで返される。


 一体あたしが何をしたというのだ。


 全く心当たりがないため対処しようがない。きっとこのまま満足するまで待つというのがベストなのだろうが、なんだか周りがザワザワしてきている気がする。いや、実際気じゃなくて般若のような顔でこちらを睨みつけている女子たちを目の端でとらえてしまった。

 見てしまったものを見なかったことにはできない。そしてまだ命は惜しい。

 

 そうだ、壮馬に倣って鳩尾に肘をぶち込めば解決するのでは・・・。


 物は試しだ。何事も行動しなければ変わらない。

 璃子が自由に動かせる右腕を大きく前に振る。

 

 「雪村ゆきむらくん、璃子ちゃん困ってるんじゃない?」


 その声にはっと動きを止める。

 声のした方を見やると、そこにはやや呆れ顔の美優みゆが立っていた。

 すると、それまで首にゴリゴリと容赦なく頭を押し付けていた桃矢がやっと顔を上げる。いくら柔らかい毛だとはいえ、くすぐったかったのでそれから解放されただけでも万々歳だ。

 ついでになんとか抜け出してやろうと身じろぐと、渋々といった様子で解放される。

 ほんの少しの間だったはずなのに、数日ぶりに外に出たような開放感だ。それもこれも全部周りの視線のせい。突き詰めれば、秀ですぎた桃矢の容姿と才能のせいだ。噂では他校に渡ってファンクラブが形成されているらしい。

 しかし、喜びの余韻に浸る暇なく今度は手を掴まれる。それとほぼ同時に悲鳴のような声と歯軋りが後ろから聞こえたが、もうこれくらいは目を瞑って欲しい。そしてその怒りを自分に向けないでほしい。完全に不可抗力である。


 「雪村くん、監督が呼んでたよ」

 

 監督という単語にぴくりと反応を見せた桃矢は、渋々手を離す。


 「・・・行ってくる」

 「はいはい。いってらっしゃい」


 圧勝だったのに、どこかしょんぼりとしているところみると何かミスでもしだのだろうか。肩を落とした姿はなんだか頼りない。


 「美優ちゃん、ありがとう」


 礼を言うと、美優がにこりと笑う。

 どちらかと言えば騒がしい人間に囲まれているせいか、その反応はとても新鮮で好印象だ。


 「ううん。ごめんね、なんか迷惑かけちゃったみたいで」


 そう言って塊の方にちらりと視線を送る。


 「そんな美優ちゃんが謝ることじゃないよ。それに、ある程度は慣れてるから」

 

 幼稚園の時から桃矢をめぐる女子のバトルは日常茶飯事だ。そしてそれに不幸にと巻き添えを食らっていた。だから慣れていうのは嘘ではない。ただ、高校に入ってから明らかにその数と攻撃性は増した気はするが、奴の無駄なスペックの高さ故だろう。


 「そっか・・・そうだよね。璃子ちゃんほどの子だったら当たり前だよね。ごめんね、お節介しちゃって・・・あっ、ゴミがついてる」


 不意に美優が手を伸ばしてくる。

 しかし、その手が璃子に触れることはない。代わりに大きな手が肩を掴んでいた。


 「ご歓談のところすみません。ちょっと急いでますのでお借りしますね」


 すぐ真上から聞こえるのは、いつもののらりくらりとした掴みどころのない話し方。しかし、どことなく焦った様子が伝わってくる。

 美優の手が先ほどまで璃子がいた場所で宙に浮いている。


 「ほら、早く次の試合を観に行きますよ」

 「えっ・・・あっ、紅炎さん!?」


 有無を言わずにその場から連れ出される璃子。

 しかも試合を観にいくと言ったにも関わらず進んでいる方向は正反対だ。


 「ちょっと・・・ちょっ、ねぇ、一体なんなんですか!」


 思いっきり手を振り払うと、紅炎はやっと足を止める。

 紅炎が気まぐれなのは今に始まった事ではないが、一応これでも礼儀作法はしっかりしている。人との会話を中断させてまで連れ出すなんて余程の緊急事態か嫌がらせのどちらかだ。そして璃子はまさに後者だと予想している。


 毛を逆立てる猫のような璃子。

 その姿を見て、小さくため息を漏らす紅炎。


 「・・・本当、なんでそんなに鈍いんですかね」

 「え?なんです?」

 「いいですか。僕たちが何故この場所に来たのか覚えてますか?」

 「なんでってそれは・・・」


 態々休日を潰して壮馬の応援に来たわけでもなけれは、サッカー観戦に来たわけでもない。きちんとした目的があってきているはずなのだが・・・。

 

 「・・・わかりません」


 紅炎がふぅと息を吐く。


 「もしかして電話で聞いたかもとは思ったんですが、その・・・」

 「いえ、もう結構です。そうでしたね。普段あの時間に店番しているから勘違いしそうになりますけど、基本夜は苦手なんですもんね。すみません僕の落ち度です」

 「・・・申し訳ないです」

 「謝らないでください。傷口が抉られるんで」


 なんでそっちに傷口と思ったが、さらにそれを問う行為は塩を塗りたくるのと同義である。本人の言う通り、きっと触れないのが一番の解決策だ。


 「あの・・・それでさっきのは何だったんですか?」


 璃子の質問に、今度は紅炎が少し黙る。その様子は珍しく言葉を選んでいるように思えた。

 

 「あの娘はお嬢の大切なひとですか?」 

 「えっ・・・うーん、そうですね。大切・・・いや、最近出会ったばっかりなので単なる知り合いですね」


 いい子だとは思う。

 ただ、大切かどうかと聞かれれば答えはノーだ。まだ出会って間もないし、なにより彼女の為人を璃子はまだ知らない。表面だけを薄く撫でる程度で大切な関係など気付けるとは思っていない。

 璃子の返答に、紅炎が少し安心したようにほうっと息を吐く。その様子に小首を傾げる。


 「美優ちゃんがどうかしたんですか?」

 「ええ。どうしたもこうしたも、あの娘が今回の元凶でしょう」

 「・・・・・・はい?」


 今、なんと。

 

 「あの娘が犬神に大きく関係してるって言ってるんですよ」

 

 衝撃の発言に、もはや璃子は返事するできなかった。




 昨日壮馬が捕まえた横溝の記憶はかなり断片的だとはいえ、ところどころに学校指定とは異なる赤のジャージ、白黒のボールなどサッカー部に関するものがあった。

 そこで犬神憑きとまではいかずとも、近しい人物がいればそこから大本を辿れる・・・と考えていたらしいのだが。

 

 と、ここまで話を聞いて疑問が一つ。


 「記憶、覗けたんですか?」

 「はい」


 間髪入らず紅炎が頷く。

 実は記憶を覗くことは不可能ではない。

 そういった芸当ができる妖魔もいると耳にしたこともあるし、妖器もあるという。しかし、もしそんなものを持っているなら態々自白剤をもっていかなくてもよかっただろう。なにせ、あれに使う素材は結構お高いのだ。

 璃子が言わんとすることを理解したのか、紅炎が苦笑する。


 「自白剤だけでなんとかなると思ったんでけどねぇ」

 「・・・力不足ですみませんね」

 「いえいえ。本人が認識できていない記憶を吐かせる薬なんて僕の知っている限りないですから」


 本当かよ、と心の中で毒付きつつも、「そうですか」と相槌を打つ。


 「それで話を戻しますが、あれどうします?」

 「どうって・・・退治するんじゃないんですか?」 


 素材になると知る前からそういう話だったと思うのだが、何か不都合でもあるのだろうか。


「いや、まあ結論をいうとそうなんですけど・・・あれ、雌なんですよ」

 「雌って・・・美優ちゃんは歴とした(女子)ですよ」

 「いいえ、そうじゃなくて。あの娘についている犬神が雌なんです」

 「そっち?」


 犬神に性別なんてあるんだ。

 正直妖とか、神とかあっち側の住人は両性の印象が強く意識していなかったが、もしかして紅炎のポリシーで女には手を出せないとかそんな紳士的な話だろうか。


 「雌だとなにか不都合があるんですか?」


 紅炎がめんどくさそうに頭を掻く。


 「ええ。雌はとにかく大食いで意地汚く、嫉妬深いんです。下手すると嫉妬で呪い殺されます。さっき気が付きませんでしたか?」

 

 首を左右に振る。

 正直全く心当たりはない。


 「・・・そうですか。じゃあはっきり言いますけど、僕があと一歩遅ければお嬢は呪われてましたよ」

 「呪うって・・・まさか美優ちゃんがですか?」

 

 驚く璃子を紅炎が鼻で笑う。


 「それ以外に誰がいるんですか。まあ、でも僕が気付いたのもその殺気のおかげなんですけどね」

 「・・・・」


 殺気を向けられたこともショックだが、殺気に気付かなかったこともショックである。

 いくら壮馬とすみわけをしているとはいえ、薬屋をやっていく上で必要なスキルの一つだ。客に殺気を向けられて気付かずに殺されたなんて笑える話ではない。

 しかし、一体何故璃子が嫉妬なんてされなければならないのか。残念なことに、思い当たる節は一人しかいない。


 「まずは呪いの元凶を探さないといけないですね」

 「元凶?」

 「ええ。食っている量と成長具合から推測するに、きっとあの娘に憑いている期間としてはそんなに長くないはずです。あれを潰すにはそのきっかけを知っていた方が何かと有利なんですよ。憑き物系は共依存みたいな状態ですからね。妖が無理なら人側を揺さぶれば済む話です」 

 

 言いながら下種な笑みを浮かべる紅炎。

 

 「・・・紅炎さんって敵には回したくないですよね」

 「あら、最高の褒め言葉ですね、それ」

 

 誰も褒めてないんだけどなぁ。


 璃子は思わず出そうになった本音を飲み込んだ。

 賢き者ほど口数は少ない。下手に刺激して火の粉をかぶるなんて御免である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る