9、呪い


 一応 壮馬そうまに連絡することも検討した璃子りこだったが、あの家もあの家で色々と面倒くさい。

 散々悩んだ挙げ句─いや、もう今晩のメニューを聞いた時点でほぼ答えは決まっていた。


 「すみません、こんな急に押しかけてしまって」

 「気にしなくていいのよ。それにしても久しぶりね」


 桃矢の母、陽子ようこが顔を綻ばせる。

 その見た目は隣の桃矢の生き写し、いやこの場合 桃矢ももやが陽子の生き写しと言うべきだろう。

 大きな瞳に、年齢を感じさせない血色の良い肌。手入れが行き届いた髪は亜麻色で、毛先が緩やかにカールを描いている。

 美魔女なんて言葉が一時期流行ったが、メディア媒体で見たどの美魔女よりも陽子は美しい。もしかすると本当に魔女なのかもしれないと錯覚するほどに。

 

 こんな風に年を取れたらさぞ楽しいだろうと考えていると、陽子が身を乗り出して璃子の手を取った。


 「りっちゃん」

 「はっ、はい」


 真剣な眼差しに思わず声が裏返る。


 「うちはいつでも来てくれていいからね。それこそりっちゃんさえ良ければ、住んでもらっても構わないから!」


 住むのは流石に飛躍しすぎてないかと思ったが、陽子の目は本気マジだ。

 なんと返事をすればいいのか迷っていると、横から桃矢が口を挟む。

 

 「母さん、お腹すいたんだけど」

 「あら、そうだったわね!ごめんなさい、今準備するわ」


 パッと手を離した陽子は、そのままパタパタと台所へと入っていく。


 「・・・ごめんね、母さん、もう一人女の子が欲しかったんだって」

 「もう一人って」


 記憶がたしかであれば桃矢には三人の姉がいたはずなのだが。


 「お待たせ。おかわりもあるからどんどん食べてね」


 陽子が笑顔で運んできたのは、洋食屋で出てくるようなハンバーグだ。記憶に違わぬプロのような美味しさだった。


 「お布団ここに置いとくわね。何か足りないものがあったら声かけて」

 「はい、ありがとうございます」

 「いいえ、それではごゆっくり」


 ひらひらと手を振りながら陽子がドアを閉める。

 去り際に目が笑っていないように見えたが・・・スキップしているような軽い足取りの音が聞こえる。きっと気のせいだったのだろう、と一人納得した。


 「よし・・・それじゃおやすみ」


 いそいそと布団に潜り込む璃子。


 「えっ、早くない?」

 「・・・別に早くないでしょ。もう二十二時だよ」

 「りっちゃん毎日こんな時間に寝てるの?」

 「うん」


 早く支度が終わった時は二十一時代に寝ることだってある。眠れる時に眠っておかなければ、次眠れるのはいつかわからない。

 現に昨日はほぼ眠れていないため、目を閉じればそのまま三秒で夢の世界へと旅立てるだろう。


 「俺宿題見てもらおうと思ってたのに・・・!」


 がっくしと肩を落とし、項垂れる桃矢。

 その姿はまるで明日人生が終わると宣告された人のようだ。


 ここで無視して寝てしまってもいいのだが─。


 「・・・三十分だけ付き合ってあげる」


 完全に睡眠モードに移行し始めていた頭をなんとか起こす。

 これでも一宿一飯の恩を感じていた。それは主に陽子に対してだが、息子の成績が少しでも上がれば間接的に恩を返せるだろう。


 「ッりっちゃん!」


 抱き着こうとした桃矢だったが見事にかわされ、そのまま布団にダイブする。ゴンっと鈍い音がしたが、気にする様子もなく璃子は立ち上がると座布団を引っ張り出す。


 「ほら、早くやるよ」

 「・・・はい」

 

 赤くなった額をさすりながら、桃矢も倣って隣に腰を下ろした。

 

 璃子が自身の異変に気がついたのは、それから一時間ほど経ってからのことだ。


 あれ、なんだかおかしい。

 

 最初はやけに頭がぼーっとするので寝不足からだろうと思っていたが、次第に寒気がしてきた。

 

 「・・・りっちゃん、どうしたの?」

 

 異変に気づいた桃矢が額に手を当てる。


 「あつ・・・これ、熱あるんじゃない?寒くない?」


 カタカタと小刻みに震える璃子は小声で「寒い」とだけ答える。


 「ちょっと体温計とかもらってくる。横になってて」


 部屋を出て行こうとした桃矢の裾をなんとか掴む。

 

 「・・・壮、ちゃんに、連絡して」

 「でも、こんな時間に」

 「いいから・・・早く」


 これは普通の風邪ではない。

 璃子の直感がそう告げていた。

 もしその直感が外れていてただの風邪だとしても、それはそれで桃矢に移してしまう可能性が出てくるのでよろしくない。

 どちらにしろ、今やるべきは一刻も早くここを立ち去ることだ。


 「わかった。ちょっと電話してくる」


 桃矢が部屋をあとにする。

 その間も寒さは止まることはない。あまりの寒さに璃子は布団に包まって目を閉じた。

 


 「・・・ん」


 目を開けると、飛び込んできたのは年季の入った生成色の壁に目の粗い畳、そして薬草の独特な匂いだ。

 頭の処理が追いつかず一瞬混乱したが、すぐに自宅だと認識する。

 体を起こそうと腕をつくと痛みが走った。声を上げると同時に、スパンっと襖が勢いよく開く。

 視線だけ動かすと、氷枕と湯呑みと薬を乗せた盆を持った壮馬が立っていた。

 壮馬は部屋に入ってくると、持っていたものを下ろして璃子の背中を支える。

 その優しさに感激したのも束の間、壮馬の眉間には深い溝が刻まれる。


 「おい、お前何しやがった」

 「・・・なに?」


 質問の意図が分からず、首を横に倒すと釣られて体が横に傾きそうになるのを支えられる。しかしその手が腕に触れ、璃子はまた呻き声をあげた。

 その様子に壮馬が目を白黒させる。


 「・・・気付いてないのか?」


 小さく頷くと、ため息をついた壮馬が璃子の袖をたくし上げる。

 細い手首には、禍々しい獣の爪で抉られたような痕がついていた。


 さっきまではこんなものなかったはずなのに。


 「これは普通の風邪じゃねぇ・・・ことくらいはわかってるか。ほら」


 唖然とする璃子に薬包と湯呑みを差し出す。

 

 「黙ってさっさと飲め」

 「・・・」

 「・・・ちゃんと狐に聞いたやつだから安心しろ」


 それならば安心だとため息を漏らす。

 小さく舌打ちをされたが、薬は用法用量を守らなければ毒にもなる。特にこの店にある薬は下手に効く分、間違えたらそれこそお陀仏にならないとも限らない。


 壮馬の腕を信頼していないわけではないが、彼は知識の面で璃子には劣る。その代わり、素材屋としての腕は圧倒的に優っている。


 舌の上に苦味が広がった。今できる最大限の速さで白湯を流し込む。こくんと喉が上下に揺れた。

 

 「どうだ、効いてきたか」

 

 気が早いっての。

 しかし、さっきまで沸騰寸前で朦朧としていた頭がすぐにクリアになる。


 「・・・ん、落ち着いた。これ、壮ちゃんが作ったの?」


 こんなに即効性がある薬、中々作れるものではない。


 「いいや。作り置きであった薬に素材を混ぜただけだ」

 「その素材って?」


 目を輝かせる璃子。

 まだ体のだるさは残っているが、それよりも好奇心が上回ってしまうのは薬屋の性だ。


 「・・・はあ、ちょっと待ってろ」


 部屋を出て行った壮馬がすぐに箱を抱えて戻ってきた。しかもご丁寧に水虎の皮でできた手袋をつけている。水虎の体は鱗で覆われており、矢も通さないほどの頑丈さだ。

 箱の蓋を開けようとした壮馬が動きを止め、キッと睨みつける。


 「いいか、絶対に近付くなよ」


 そんなことを言われれば近付きたくなるのが本音だが、どちらかといえば普段適当な壮馬がここまで慎重になるなんて相当やばい代物であることくらいは想像できる。

 璃子が小さく頷くのを確認した壮馬が箱を開ける。


 「・・・・何これ?」


 箱の中に入っていたのは、緑色した鳥の羽毛。

 鸚鵡オウム鸚哥インコ、孔雀・・・知っている鳥たちが頭を駆け巡る。

 

 「ちん。聞いたことあんだろ」

 

 壮馬の言葉に、璃子が固まる。

 その間、たっぷり十秒。


 「・・・・えっ、え!?」

 「おわっ!ちょ、お、落ち着け!」


 動揺のあまり胸ぐらに掴みかかった璃子を引き剥がすと、慌てて蓋を閉めた。


 「おまっ、吸い込んだらどうしてくれんだよ!」


 壮馬の額に青筋が浮かぶ。

 

 しかし、それも無理もない。

 鴆といえば言わずと知れた猛毒の妖鳥だ。真っ赤な嘴と緑の羽毛を持ち、肉は勿論、骨や羽毛に至るまで全身に猛毒を持っていると言われている。

 その威力は鴆が飛んだ跡は作物が全て枯死し、獲物を咥えれば唾液に含まれる毒で溶け、排泄物が石にかかれば石が砕け散る程で、口に含めば五臓六腑が爛れて死に至ると言われるほどだ。


 どうしよう、飲んでしまった。


 愕然とする璃子。

 しかし、いくら待てども体には何も起こらないどころか、歯の一本すら抜けやしない。


 「・・・ねぇ、それ本当に鴆の羽毛だった?偽物じゃない?」

 「はあ?何言って」

 「嫌だなぁ。僕が偽物を渡すわけないじゃないですか」


 声がした方に二人揃って目を向ける。

 扇子で口元を覆った紅炎こうえんが入り口で寄りかかっていた。


 「・・・お前、どうやって入った」


 驚く壮馬を見て、紅炎が目を細める。


 「何やら騒がしいので、あがらしてもらいましたわぁ。へぇ、ここがお嬢の部屋・・・なんか年頃の割に飾りっ気ないですなぁ」

 

 紅炎は質問に答えることなくヘラヘラと笑った。

 サッと顔を青くした壮馬の裾を璃子が引っ張る。


 「・・・なんだよ」

 「気にしなくていいよ。たぶん、壮ちゃんの鍵のかけ忘れ」

 「あら、バレましたか」

 「だとしても勝手に入ってくんな」


 壮馬が苦無のような形をしたものを取り出す。


 「ああ!畳!」


 直前で気付いて止めに入ろうとした璃子だが、サッカー部なのに野球部よりも早いスイングをする壮馬を止められるはずもなく。

 紅炎と二人の間に境界線を引くように、畳に一直線の線が引かれる。線が光り、空間を隔つ透明の壁ができた。


 「結界ですか」

 

 そう言いながら紅炎が手を伸ばすが、触れた途端バチッと火花が散る。

 

 「ッ・・・これはこれは。また、成長しましたね」

 「はっ、いつの話してんだよ」


 不敵な笑みを浮かべる両者。

 その様は敵対する相手というよりも好敵手のようだ。

 

 なんだかんだで仲良いんだよな、この二人。


 とりあえず畳代は両者に請求することにしよう。古今東西、こういう時の相場は両成敗だと決まっている。


 「ところで、なんでこんな猛毒を準備してくれちゃったんです?」


 毒を持つものはどちら側にも多い。しかし、鴆はその中でも飛び抜けて毒が強い。それ故、長年調合を手伝ってきた璃子でさえ触ることはおろか、本物も初めて目にした。

 そんな超一級取扱危険物をまさか自分が飲む羽目になるとは・・・。


 「なんでって、毒を以って毒を制すって言いますでしょ?」


 ケロッとした顔で言い放つ。


 「あたし、毒に侵されてたんですか?」

 「ええ。毒というか唾みたいなものですけどね。その腕」


 指差された腕を見る。

 先ほどまではっきりと見えていた爪痕がだいぶ薄くなっていた。


 「それ、どこでつけられたかわかります?」

 「どこって・・・あ」


 昼間のことを思い出す。

 

 「なんだ、何か思い出したのか」

 「あ、うん。実は」


 璃子が昼間の話を始めると、最初はふんふんと頷いていた壮馬の顔が途中から曇り、最後には酷く歪む。


 「・・・ふむ。それはたぶん犬神でしょうね」


 同じく話を聞いていた紅炎が呟く。


 「犬神?」

 「ええ。臭いなとは薄々感じでいましたが、まさか本当に犬っころだとはね」


 忌々しげに吐き捨てる紅炎。

 犬と狐は仲が悪いという噂はどうやら本当のようだ。

 

 「・・・ということは、滝岸たきぎしは憑き物筋?」


 憑き物筋とは代々妖を憑依させてきた血筋のことである。


 「いや、それは違いますねぇ。この質の悪さはたぶん素人がやらかしたんだと思いますわ。お嬢」


 ちょいちょいと手招きされたので近くに寄る。

 一瞬壮馬が睨んだが、どんなに近くとも結界を隔てていれば問題ないだろう。実は璃子としては結界がなくとも特段問題は起きないと思っている。一応これでも長い付き合いだ。

 

 「跡がついてた方の腕を見せてください」


 指示通り右手を前に伸ばす。

 すると次の瞬間、ジュワっという音と共に璃子の体が結界の外に放り出された。

 想定外の出来事に、二人がぽかんとする中、紅炎が焦げた手を振る。

 

 「いてて。本当によく出来た結界ですわぁ」


 痛がる素振りは見せているが、すでに手は元通りだ。


 「ッ・・・テメェ」

 「ふふふ。どうやらまだまだ修行が必要ですねぇ」


 壮馬がぎりッと歯を鳴らす。

 実はこれも昔から変わらぬ光景だったりする。今回は上手くいったと思ってしまったが、どうやら紅炎の方が一枚上手だったようだ。

 そして璃子においてはそのだしに使われる始末。

 

 「それで、この跡がどうかし・・・」

 「どうした?」


 同じく結界から出てきた壮馬が覗き込んでくる。


 「・・・ない、な」


 先ほどまであった爪痕が綺麗さっぱり消えている。

 これは紅炎も予想外だったらしく、「あら、しもた」と思わず心の声が漏れる。


 「こんなに雑魚かったんかぁ」

 「跡がないと何か不都合でも?」


 顔を覗き込むと、口元に手をやり少し考え込む仕草を取る。


 「んー・・・いや、呪いには残り香みたいなものが残るんですわ。その残り香を辿っていけば、間違いなく犯人を特定できるんです。まあ、話を聞いた限りほぼ間違いなくその滝岸って男でしょうけど」

 「そうか・・・」


 璃子と壮馬は黙り込む。

 ただ犯人が分かったとして璃子たちには現状どうすることもできない。ここにいるのは、人間の薬屋と素材屋と妖の卸問屋だけだ。いや、紅炎が本気を出せば滝岸なんて一捻りだろうが、彼は民事不介入ならぬ人間界不介入のスタンスだ。

 

 「あと、実は気になる情報がありまして・・・」

 

 二人が顔を上げると、紅炎が不敵な笑みを浮かべていた。


 「・・・なんだ、教えろ」

 「その前に」


 ちょこんと出された手。

 意味がわからず小首を傾げると、紅炎が大袈裟に手を振る。


 「嫌やわぁ。どこの世界でも一番高いものといえば決まってるでしょう。情報料ですよ、情報料」


 きょとんとして二人が顔を見合わせる。


 「・・・それで、何が欲しいんです?」

 「おい!」


 尋ねる璃子と止める壮馬。

 どうやら互いの意見は一致しなかったらしい。


 「ホイホイホイホイすぐに返事しやがって!ちゃんと考えてんのか!」

 「失礼ね、ちゃんと考えてるよ。壮ちゃんが嫌ならあたし一人だけでやるし」

 「そういう問題じゃねぇ!」


 壮馬の剣幕に怯みそうになる、

 わかっている。本当は対価まで払って首を突っ込むなんてアホらしいことくらい理解しているのだ。すでに自分は治った。だから、あとは皆様どうぞとご自由にとできればいいのだが・・・。


 「壮ちゃんはこのまま野放しにしてていいと思うの?今回はあたしだったから助かったかもしれないけど、これが普通の子だったら?壮ちゃんのよく知る子だったら?」

 「それは・・・」


 真剣な眼差しに、壮馬が口を閉ざす。

 璃子は聖人君子ではない。嫌なことからは逃げるし、関係ない人は見捨てることがほとんどだ。

 でも、今回は違う。

 

 「もし次が壮ちゃんだったら?桃矢だったら?ねぇ、そんなことに絶対ならないって保証はどこにあるの?」

 「・・・」

 

 世界がどうなろうとそんなことは知った事ではない。でも、それが自分の周りに関わってくるのであれば話は別だ。

 

 「ねぇ、壮ちゃんだってそうするでしょ?」

 「・・・クソが」


 苦々しげに顔を歪めているが、反論がないということは同意したと同義である。


 「それで、何をご所望です?」


 璃子の問いかけに、紅炎の口が緩やかな弧を描く。

 その表情はさながら獲物を目の前にした肉食獣を連想させた。

 なので、「物によっては無理ですよ」と付け加えておいた。

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