6、卸問屋と値引き術

 桃源堂は宝泉ほうせん町三丁目と四丁目にちょうどまたがるような形で建つ薬局だ。

 営業時間は朝九時から夜七時、定休日は水曜と日曜。

 ただし、これはあくまでの話である。


 茶葉を入れた急須に薬缶から沸騰したばかりの湯を注ぐ。今日はカフェインレス紅茶だ。昨今の技術進歩は素晴らしく、カフェインレスといえども味にほぼ遜色はない。

 一昔前─といっても両手で数えられるくらいではあるが、その時から愛飲している身としてはその進歩をひしひしと実感していた。

 茶葉が開くほんの数分の間、璃子りこは外に回って南京錠を外し、電気ヒーターのスイッチを入れる。

 まだ本格的な冬ではないとはいえ、流石に夜はもう寒い。


 ティーカップに茶を注ぎ、待っているとチリンチリンと音を立ててドアが開く。


 「おはよう」

 「・・・おう」


 フードを深く被っているため傍から見れば誰だかわからないが、確認せずともこんな時間にやってくる人間は一人しかいない。

 壮馬そうまはカウンターに座るとフードを下ろし、三つあるカップのうちの一つに手を伸ばす。


 「キームンか」

 

 一口含んだだけで当ててしまうところは、さすが同じである。飲まされた量が違う。

 壮馬が無言でカップを差し出してくるので、ミルクを注いでやる。


 次は自分もミルクを入れよう。

 一杯目はストレートと決めている璃子が、ちょうど思案し始めた頃、カランコロンと鈴のような音が店内に響いた。

 習慣で入口に目を向けた二人だが、そこに人影はない。


 「ふーん、今日はキームンですか。あ、僕もミルクくださいな」


 声がした方に二人が顔を向ける。

 壮馬の二つ隣の席で着物に身を包んだ男が優雅に紅茶の入ったカップをゆらゆらと揺らしている。

 

 「早かったですね、紅炎こうえんさん」

 

 挨拶もそこそこにミルクを注いでやると、嬉しそうに口を歪めた紅炎が口をつけた。


 「・・・はぁ、やっぱりこっちのミルクは美味しいですね」

 「それは良かったですね。それでお願いしていた素材、手に入りましたか?」

 「ええ。少し大変でしたが、ちゃんと手に入りましたよ」


 懐から出した瓶を受け取る。


 「つめたっ!」


 思わず落としてしまいそうになった瓶の中には雪のように真っ白な体をした拳大ほどの蜥蜴が一匹。

 

 「なんだそれ?」

 「氷蜥蜴こおりとかげ。あっちでは解熱剤として用いることもありますが、最近はめっきり数が減ってしまったんですよ。僕も今日昼にお嬢から連絡貰って探しに出たんですけど、まあ手こずりましたわ」

 「今日って・・・・お前まさか外で連絡したのか」


 壮馬が猫目がちな目を釣り上げる。

 ここで誤魔化せればよかったのだが、無理だった。


 「うっ・・・いや・・・はい、しました」

 「お前なぁ・・・」

 「だって、どうしても必要だったの!ぴゃッ!?」


 額を指で弾かれた。

 全く心の準備をしていなかったせいで、変な声が漏れる。

 たしかに悪いことをした自覚はあるが、それにしたってやりすぎだろう。一応こちとら華の女子高生である。

 恨めしげに睨め付けるが、壮馬は視線を逸らさない。


 「・・・んなことはわかってんだよ」


 苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める壮馬。


 「・・・でも」

 「うるせぇ!でももだってもねぇんだよ!」


 振り上げた拳がカウンターを叩く。液面が揺れ、薄い乳白色の液体が溢れて散らばる。

 

 口を閉ざした璃子に壮馬が詰め寄る。


 「いいか。あっちに連れて行かれたらもう戻ってこれねぇかもしれないんだ。ここに来る奴らだって常識が通じねぇのが多いが、まだ話がわかる方だ。それなのに野良にでも捕まってみろ。お前、食い荒らされて死ぬぞ」

 

 わかっている──いや、本当はわかっていない。

 死というものがどんなものなのか。

 璃子は死後の世界は信じていない。だってそんな便利なものがあれば、既に自分はアクセスできているはずだ。なんたって、既に妖や神にだって会えているのだから。


 「・・・ごめん」

 「・・・・わかったら二度とそんな真似すんな」

 「うん、わかった」


 ギクシャクとした雰囲気に二人が口を閉ざしていると、それまで傍観していた紅炎がハッと何かに気付いたように目を見開く。

 

 「・・・もしかして電話の件で喧嘩してました?」

 「おま・・・それ以外に何があんだよ」


 一瞬声を荒らげそうになった壮馬だが、一応取引先であることを思い出したのか声のトーンを落とす。


 「君たちが気にしてるのはアレでしょう。霊界?異世界?隠世?まあなんでもいいんですが、こちら側と連絡を取ると、それを頼りに妖やらが寄ってくるってやつでしょう?」

 「はい、それです」


 実際に身近で起きた事はないが、二人は祖父から「店の外で連絡を取ると、あちら側に連れて行かれる」と昔話の如く聞かされ続けてきた。

 だから勿論璃子もよく理解していたが、少しの善意と残りを大半を占める好奇心に勝てなかった。氷蜥蜴なんて超高級品を存分に使える機会なんて滅多にない。


 納得がいったのか、紅炎がくすくすと笑い出す。


 一体何事だ。

 怪訝そうに眉を寄せる二人に気付いた紅炎が目元の涙を掬う。

 

 「すみません。それ、かなり前の話ですわ」


 かなり前?

 思わず二人が顔を見合わせる。


 「・・・と言いますと?」

 「今は色々改善されて、電波漏れとかないんですわ。最近は特に世論もうるさいですからねぇ」


 あっちにも世論なんてあるんだ、なんて頭に浮かんだ

 が、口から漏れたのは「はあ」という気の抜けた相槌だけだ。


 「つまりいつどこで連絡してもらっても僕としては構いませんよ。できれば夕方までは勘弁して欲しいですけどね」

 「・・・善処いたします」

 「まあ、でも今日はお嬢のモーニングコールが聞けたからよしとしますわ」

 「おい。それでこの蜥蜴、一体幾らなんだ」


 壮馬の問いに、紅炎は指を三本立てる。


 「・・・三、か?」

 「ははっ、ご冗談を。三百ですよ」

 「さっ、さんびゃく!?」


 壮馬の声が裏返ったが、無理もない。

 あちら側には通貨という概念がないので、紅炎と独自に基準を設けている。

 一というのが大体こちらの感覚でいう一万円程度の価値と思って貰えば間違いない。


 三百─つまり蜥蜴一匹に三百万の価値がある。

 本で見た時から高そうだとは思っていたが、まさかそこまでの価値とは。


 「おい、マジかよ。こいつで車買えんじゃねぇか」

 「そう。しかも結構いいやつね」


 実際にはこの氷蜥蜴をディーラーに持っていったところで車なんて一台も買えないのだが、どうしても金換算してしまう。


 でもいくら高いとはいえ、この素材ほど的確に冷やしてくれる素材を現時点で璃子は知らない。


 少し値引きしてくれないだろうか。

 ちらりと横目で紅炎を見るが。


 「最近はどうしても数が減ってましてね。しかも昨日の今日じゃなくて今日の今日でしょ?探すのにも結構手間と人員がかかってるんですわ」

 「・・・デスヨネ」


 心を読んだかのように紅炎がやんわりと値引き交渉を拒否してくる。

 人間であろうと妖であろうと懐が寒くなるのを嫌がるのは同じだ。


 しかし、三百もどうするか。

 今手元にある素材を思い出していると、いつの間にか移動していた紅炎が璃子の手を取り、自分の口元に近付ける。


 「ッ・・・」


 口付けと同時に軽く歯を立てられる。ちくりとした痛みに小さく肩が揺れた。


 「っおい!」


 勢いよく壮馬が立ち上がったせいで椅子が倒れる。

 

 「まあまあ、そう怒らないで下さいよ。三百、用意できないなら以前からお願いしていることでもいいですよ」


 お願い。

 その単語に壮馬が口を大きく歪める。


 「うるせぇ、化狐。その願いは却下だ」

 「あら、そうですか。いいと思うんですけどね、お嬢を僕に味見させてくれるだけで三百。中々破格なお値段じゃありません?」


 にやりと弧を描いた瞳が金色に染まる。

 

 実際、一瞬三百が浮くのならばお得かもと思ったが、その人ならざる瞳を見て思い出す。

 紅炎は所謂九尾の狐で、処女の血肉が何よりの好物だ。他者から聞いた話なので真偽の程は定かではないが、後は本当に食べてしまうらしい。


 変態という二文字が頭に浮かんだが、忘れてはならない。神聖な神に近い存在ほど穢れを知らぬ女を好む。


 暫し考え込んだ璃子だが、小さくため息をつき店の奥に消える。

 戻ってきた細腕には包みが二つ抱えられていた。


 「どうぞ」


 面白くなさそうに受け取った紅炎は包みを開くと、途端目を輝かせる。

 先日水神から得た河童の皿と鹿茸─鹿の幼角である。


 「これ、頂いていいんですか?」

 「はい。どうぞ」


 手に取りまじまじと観察する紅炎。

 茶がなくなったためお湯を追加しようと璃子が席を立った時、


 「わかりました、これで手を打ちましょう」


 紅炎もまた立ち上がる。


 「・・・いいんですか?」


 幾ら河童の皿が珍しいとはいえ、三百に届く代物とは思えない。

 

 「ええ。うちのお得意さんがこっちを欲しがってましたから特別です」


 そう言って紅炎が掲げたのは、河童の皿ではなく鹿茸の方だった。


 「それじゃあ、僕はここで退散しますわ。またいつでも連絡くださいな。あ、それと」

 「ッ!」


 出入り口付近にいたはずの紅炎が鼻がくっつくほどの距離に現れる。


 「次足りなかったら、お代はお嬢でいいですからね」

 

 耳元で囁かれ、ついでに耳を舐められる。


 「狐ッ!」


 壮馬が飛びかかろうとしたが、既に紅炎の姿はない。

 

 「くそッ・・・おい、大丈夫か」


 耳を抑えて微動だにしない璃子を心配そうに壮馬が覗き込む。


 「あ・・・うん、大丈夫。ありがとう」


 璃子はにっこりと笑みを張り付けると、瓶を持って調合室へと向かった。


 "だってこんな珍しいもん食えるチャンスなんてそうそうないですからねぇ"


 璃子は手を止めると、自身の目元に触れる。

 最後に残した紅炎言葉が頭から離れない。


 「・・・あっ」


 素材を入れていた小瓶が落ちて中身が散らばる。


 「おい、大丈夫か」


 覗かせた壮馬の顔は明らかに曇っている。


 「うん、大丈夫」


 璃子はもう一度笑顔張り付けると、割れた瓶の破片を片付ける。落とした瓶の中身が高価でなく、且つすぐに手に入るものでよかった。

 しかし、こんならしくないことをしてしまったのは自分でも忘れかけていたからかもしれない。

 忘れたからといって現実が変わるわけでもないのに。


 ふと顔を上げると、瓶に映り込む女がいた。その瞳は、どこにでもいる一般的なものと同じだった。

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