第10話 え?背中を流してもらえるんですか?
「ねえ、アースきゅんが来てから結構経ったよね」
リーンはテーブル肘をつきながらそう呟いた。
「ああそうだな。最初は絶対に続かないと思ってたけど、よく働いているよな」
ケイは頷くとキッチンの方を覗く。
「アースきゅんが来てから私たちの生活環境が随分と変わったよね」
汚かったアパートは新築と見まごうほど綺麗に。
荒れ果てていた食堂も清潔に保たれ、キッチンには各種高級魔導具が備わっており、食糧の保存から調理までができるので文句のつけようがない。
「そうだな、ポーションの買い出しや剣の修理も頼めばお使いに行ってくれるし、何より俺たちパーティー全員に渡してくれる弁当。あれが士気に大きく影響している」
以前、弁当を持っていくのを忘れた時はパーティーメンバーの士気のやる気ががた落ちだった。
飯を抜きというのもそうなのだが、午後からどうにも力が出ず、危うくクエストを落としてしまうところだったのだ。
「ぶっちゃけさ、今からアースきゅんが抜けた生活って想像できる?」
リーンは顔を近づけるとケイに問うた。
「想像できるかどうかというより想像したくないな……」
どこで発掘してきたのかしらないが、よくもこれ程素直で気の利く人材を送り込んできたものだ。リーンとケイは冒険者ギルドの采配に感謝するのだが……。
「でもそろそろあの2人が帰ってくる頃じゃない?」
リーンの言葉にケイの表情がピシリと固まる。
「あいつらか……」
ケイは苦いものを咬んでしまったような表情を浮かべる。
「おもうんだけどさ、あの2人が戻ってきたらアースきゅん辞めたりしないかな?」
それは大いにあり得る事態だった。
今更アース抜きの生活に戻れない程度には2人も彼に依存している。
「……守るんだ。俺達で!」
キッチンでは楽しそうに料理をしているアースの姿が見える。彼の笑顔をここで失わせてしまってはいけない。
リーンとケイは2人して頷くと、覚悟を決めるのだった。
「さて、今日はお菓子でも作ってみるかな」
最近。冒険者ギルドから給料を貰ったアースは、そのお金で早速買い物をした。
買ってきたのは砂糖やバニラビーンズなどの他に自分で作ったドライフルーツ。あとはチョコレートの実という高級甘味料も用意した。
それというのもせっかく手に入れたカーシーの味を最大限に引き出すためだ。
「さて、卵をまず割って白身と黄身を分けて……」
慣れた手つきで片手で卵を割るとそれを黄身と白身に分けていく。そして……。
「小麦粉と黄身とミルクを混ぜ合わせて……良く練って……」
混ぜることで粘りが生まれ、クリーム色の生地が出来上がる。
「あとはこれを型に流し込んでオーブンに放り込んで……」
温度調整をするとそのまましばらく焼き上げていく。その間にもアースは動き回りどんどんと作業を進めていく。
次第にキッチンには良い匂いが漂い始める。お菓子を作っているときの匂いというのは誰もが心躍るもので、アースはその匂いから完成品の素晴らしさが想像できた。
2時間ほどが経ち、いよいよケーキが完成する。
「よし、完璧なチョコレートケーキの完成だ」
アースがその出来栄えに満足していると……。
「ほぉ……これは中々見事なものだな」
いつの間にか背後に槍を持った熊のような大男が立っていた。
「えっと、どちらさまでしょうか?」
お菓子作りに夢中になるあまり呼び鈴の音を聞き逃したのだろうか?
アースは目の前の大男を見る。
「ワシはベーアと申す者。このアパートの住人の1人じゃな」
「あなたがベーアさんですか。お名前だけは聞いてます。俺はここの管理人に就任しましたアースです」
そう言って手を差し出そうとするが、自分の手がお菓子作りで汚れていることを思い出す。
「しかし、見違えたものじゃな。廃墟だったアパートがここまで小奇麗になるとは。最初戻ってきたとき場所を間違えたのかと思ったわい」
ベーアは周囲を見渡すと……。
「ベーアさんはどこに行っていたんですか?」
自分が管理人になっておよそ1月。それまで一度も見かけたことがなかったので、気になったアースが質問をすると。
「うむ、山籠もりを少々な。これも槍術を極める修行の一環なのだよ」
ボサボサの髪に無精ヒゲを伸ばしている。どうやら山籠もりをしていて手入れをすることができなかったようだ。
「そうですか、それは大変お疲れ様です。もしよかったら風呂を沸かしてきますので入ってください。俺はその間に何か食事の支度をしますので」
そう提案するアースの動きをベーアは追いかける。
「それはかたじけない。それではワシは槍を部屋に置いてくるゆえのちほど風呂場へと参ろう」
ベーアはそう言うと二階の部屋へと上がって行くのだった。
「湯加減はどうですか?」
濡れても良い恰好になったアースは魔導具をつかってお湯を張る。そして入浴をしているベーアに聞いてみるのだが……。
「うむ、このお湯はまるで山奥の清水のように澄んでいるな。修行で溜まった疲れが流されるわい」
ベーアが湯船に浸かると大量のお湯が溢れる。
「しかし、ワシばかりこうして独り占めするのも申し訳ないのう。良かったらアース殿も一緒に入らぬか?」
その時、ベーアの瞳が鈍く光るのだが、浴室を挟んでいるのでアースは気付かなかった。
「えっと……僕は料理を作ろうと思ってるんですけど」
風呂上がりに合わせるように料理を提供するには今から仕込みをしておきたい。そんなことを考えているのだが……。
「なあに、料理は風呂から上がってからでも良かろう。まずはお互いに裸の付き合いをして親睦を深めるべきであろう」
ベーアの言葉にも一理ある。アースはアゴに手をやり考えると……。
「それもそうですね。それじゃあ御一緒させて貰いますよ」
そう言うと服を脱ぎ始めるのだった……。
「ふふふーん、たっだいま~」
リーンは軽やかな足取りでアパートに帰宅した。
それというのも、今朝アースからカーシーに合うお菓子作りにチャレンジすると聞かされていたからだ。
冒険者の仕事を終えたリーンはケイを置き去りにするとアパートまでの道を走ってきた。
「ありゃ……? アースきゅん?」
普段ならリーンが戻ると笑顔で出迎えてくれるアースなのだが、今日のところは姿が見えない。
「すんすん……これは……甘い匂い! チョコレートの実を使ってるね!」
チョコレートの実は南部の湿地帯に生息する木の実で、口に入れると溶けて上品な甘い味がすることから女性に人気が高い。
元々の木の数も少なく、湿地帯のある街から離れているため手に入るにしても結構な金額になってしまう食材なのだ。
「アースきゅーん?」
リーンはそんなチョコレートの実を使ってお菓子を作ったアースを甘い声を出しながら探すのだが……。
「あれ? キッチンだと思ったんだけどなぁ?」
アースがいる場所は大体決まっている。管理人室かキッチンだ。
「じゃあ管理人室かな?」
それこそ管理人室にいるのならリーンの帰宅に気付いてでてきそうなのだが。
「あっ、もしかして居眠りしてるのかな? 悪い子だ」
悪戯を思いついたリーンは「ニシシ」と笑うと音を立てずに移動をする。アースの寝顔を拝んでやろうという魂胆だ。
だが、エントランス付近に差し掛かったところで、リーンの良く聞こえる耳が会話を聞き取った。
「……じゃあ……ま……ね」
アースの声だ。どうやら風呂に入っているらしい。
リーンはそう見当をつけると風呂場へと近寄った。すると…………。
「では、ワシがアース殿の背中を流して差し上げよう」
「えっ? それは流石に悪いですよ」
会話が聞こえると共にリーンの身体がピシリと固まる。
「なぁに遠慮することはないさ。これも裸の付き合いの一環よ。男同士なのだから気にする必要はない」
流れてくる声に聞き覚えがある。リーンは冷や汗をダラダラ流し始める。
「そうですか? じゃあせっかくなんでお願いしていいですかね?」
「フフフ、まかされよ。ワシはこれまでも多くの男の背中を流して喜ばせてきたのでな。それでは参るぞ……」
次の瞬間リーンがはじけるような動きで飛び出した。そして風呂のドアを勢いよく開けると…………。
「駄目えええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
「り、リーンさんっ!?」
目の前には手を泡立てたベーアの巨体と、振り向いたアースの姿。髪が濡れていて少し色っぽい姿をしている。
リーンはそんなアースに構わず近寄ってタオルをかけると言った。
「アースきゅんは駄目ですっ!」
ベーアを睨みつける。
「ふむ。残念ながら今日はここまでのようであるな」
あっさりと引き上げて見せるベーア。
ベーアが去るとアースはタオルから顔をだしリーンを見た。
「リーンさん。今は俺達が風呂に入ってるんです。覗きはよくないですよ?」
珍しく批難する視線をアースはリーンに向ける。その言葉を無視してリーンはアースをぎゅっと抱きしめ、間一髪間に合ったことに喜んだ。
「アース無事かっ!」
少しするとケイが飛び込んできた。どうやら彼も異変を感じ取り駆け付けたらしい。
「これは一体どういう状況なんだ?」
アースを守るように抱きしめているリーンにケイは事情を聞くと……。
「ベーア師範が戻ってきたの」
「ああ……それは。ナイスリーン」
「どういうことなんでしょうか?」
困惑するアース。彼は知らなかった……。
ベーアがゲイであることを……。
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