体育祭が中止になるわけがない②

「悪い欅田、これも頼む」


「あ、はい」


 それから五分と経たないうちに、俺は残りの監査をすべて終えた。

 まだファイルを持ったままだった欅田にまとめた試算表を渡して、軽く伸びをする。


「お疲れさまでした」


「あぁ、ども」


 他人に労わられると、正直なんて返せばいいかわからんよね。なんでかしら……。今まで労わられるほど何かを努力したことがないからですね。えぇ。


「とりあえず会長に渡してくるわ」


「そうですね」

 と言うと、俺とほぼ同時に欅田はすっと席を立った。


「……?」


「…………?」


「俺が持っていくわっていう意だったが……」


「あっ、ごめんなさい‼」


 俺の意を正確にくみ取ってくれたらしく、あたふたしながら欅田はファイルを抱きしめつつ座りなおした。


「えーっと……その、ファイルを……」


「ああああ、ごめんなさい……」


 よし、楽しく話せたな。パーフェクトコミュニケーション(大嘘)。


 こいつ、挙動面白いなー……などと思いながら、貰ったファイルを会長のもとへ渡しに行く。


「これ、終わりました」


「お、ありがとう。いやぁ、いつもすまんなぁ」


「いえ。……てかこれ、俺達にやらせていいやつなんすか。監査とかって部外秘のイメージがあるんですけど」


「なに、問題ないさ。君たちは名誉生徒会役員みたいなものだからな」


 うわー、全ッ然嬉しくねー……。

 名誉と名の付く職は大体無給であることが多い。ブラックなうえにタダ働きて。それもうただの奴隷では?困ったなぁ……。

 俺の露骨に嫌そうな表情を見た会長は、くつくつと楽しげに肩を揺らした。


「君がその気なら、生徒会はいつでも歓迎だが」


「鶏口となるも牛後となるなかれをモットーにしてますんで」


「ははは。なら仕方がないな、君の引き抜きはあきらめることとしよう」


「今日、他に何かありますか」


「ん、今日は特にないな……。予定も順調に進んでいるから問題ないだろう」


「うす」


 この仕事を欲する感じ、バリバリの牛後じゃねーかと心の中で呟きつつ、俺は会長のもとを後にした。

 さて、今日はやることがなくなった。帰ってのんびりゲームしよう。


「今日はもう終わりだって。帰っても良いらしい」


 席に戻り、手持ち無沙汰に待っていた欅田に声をかける。帰宅に関しては俺が最速……と帰り支度を済ませ、颯爽と鞄を背負った。


「あのう」


「はいなんでしょう」


 不意に欅田が俺を呼び止めた。まだ何かやり残したことがあったろうか。


「よかったら……一緒に帰りませんか」


「はいはい、一緒に……はい?」


 耳から入る音を脳が日本語に変換していく。なに?かえる?一緒に土に還るってことかな‼その手の心中勧誘は初めて聞いたな。困っちゃうぜ……。


「はうう……もしよかったら、同じ部活だしもう少し仲良くできたらなって……」


 改めてまじまじと欅田を凝視した。彼女は耳の先まで真っ赤にして恥ずかしがっているようだった。そういえば人見知りなんだっけな。


 はてさて、どうしたものか……。


 俺のセオリーに照らし合わせればここは明らかに撤退すべきところだ。

 帰宅イベントなぞラブコメの王道中の王道だ。つまり逸脱もいいところである。落とし神も女神調べる時に使ってたし、間違いない。


 ということは、裏を返せば現実での下校イベントは勉強の虫と一緒に帰らない限り、面倒になるに決まってる。

 決まっているが、これを拒否してしまっては今後、明らかに不利益を被ることも目に見えている。

 これが赤の他人なら当然無視するところではあるが、一応同じ部活の部員なのだ。知り合いとギクシャク、というのはどうもいただけない。


 ここはうまい具合にやり過ごすのが吉……かなぁ。

 途中で家が逆方面だとか、用事思い出したとか言ってうまく別れてしまおう。これしかない。


「じゃあ帰るか」


 なるたけ自然に振舞おうと、軽く振り向いて真顔で答えた……んだけど、どうしても面映ゆい感じがして顔が強張った。

 こういう時ってなんて返すべきなの?知っている人がいたら教えてください。


「はぁ?中止?」

 とそこへ、ばん、と床を強く蹴る音とともになかなか聞かない言葉が登場した。今のは会長の声だろう。あたりがしんと静まり返った。


 中止?何が。


 見ると、世界史の和田が会長と机を挟んで向かい合っている。


「えぇ、そうです。教員側としては体育祭の中止も視野に入れてこの件について議論を進めています。仮にも応援団長という役職についている人間が不祥事など言語道断。責任感覚の欠如と言わざるを得ません」


 団長?不祥事?どういうことだってばよ。何もわからん。

 和田はこちら側を向いて、他の役員にも聞こえるように話し始めた。


「先日、紅組応援団長に、中間テストにおけるカンニング行為があったのではないかという匿名の告発がありました。教員側はこの件に厳正な対処を施す一方で、慎重に解決したいと考えています。ついては、この件が解決するまで、体育祭の延期または中止を検討しています」


「そんな……」


 生徒会の誰かが呟く。カンニング疑惑て。松本が応援団に入っているのは知っているが。確認のために欅田に聞いておく。


「なぁ、紅組の団長ってうちのクラスの松本なのか?」


「はい、松本くんですよ」


「よく知ってるな」


「私、五組ですから」


「ははぁん……」


 五組は六組と一緒の紅組だったな。そら知ってるか。俺は知らなかったけど。

 ……しかし、話を聞くにはこれは困ったことになっているようだ。


 突然のご報告に、声優さんが結婚したときの俺より動揺していた室内は、だいぶ落ち着きを取り戻している。

 今は逆にその報告を携えてきた和田との間に緊張が生まれていた。向こうも引く様子はなく、息が詰まるような空気が場を支配している。


「すいません遅れましたーーーーーーーー‼‼‼……ってあれ?」

 とそこへ空気を読まない人間が一人、生徒会室に飛び込んできた。

 北条だ。何をしとるんだこいつは。やはり俺が深読みしすぎているだけか⁇


「……まぁ、この件は念頭に置いておくように。それだけです」


 和田は毒気を抜かれたようで、軽くため息をついてから生徒会室を出ていった。


「えっと……なんかごめんなさい?」


「……いや、むしろナイスタイミングだよ。ありがとう」


 北条に対して、会長は礼を言った。あの場の雰囲気をリセットできたのは幸運だろう。少しづつ生徒会の面々にも会話が戻っていく。


「とりあえず方針を決めよう。役員は集まってくれ」


 たったっとこちらに向かってきた北条は、少し真剣だ。


「……なにか問題起こった感じ?」


「はい。松本くんのことで」


 欅田が事の次第を説明していくと、北条の表情はみるみる変化していく。


「なにそれ‼マジありえない‼二人とも、私たちでなんとかしようよ‼」


 珍しくお怒りのご様子……と言いたいのだが、そこまで怒っているわけではなさそうだ。直談判とか言い出さないあたり、理性的に解決しようと試みてるわけだし。


「だが俺たちにどうしろと」


「ここにカンニングされた疑惑持ちの人間がいるんだから、なんとかうまく使えないかな?」


 そう言って自分を指さす。確か、こいつの答案をパクったことになっているんだっけか。


「まぁ言い訳を作ることはできなくもないが……」


 古来より、理屈と膏薬はどこにでもつくと言われているくらいだ。カンニング疑惑の無実を晴らす言い訳なぞ造作もなく作れる。

 本来、俺はこの件に関わるのは得策ではない。松本に敵視に近いものを受けている今、俺が首を突っ込むべきことではないのは明らかだ。

 だからこそ、仮に突っ込むなら、確実に無罪を証明できる証拠が整ったうえで、秘密裏にするべきだ。


「では生徒会としては、あくまで開催日は変わらない想定で進行するぞ。いいな?」


 俺らが方針を決めたころ、生徒会側も決まったようだった。はい、と綺麗にそろった大きな声が響く。

 ホワイトボードの前で決起集会のようにいきり立っている生徒会役員をはいはいどうもすいませんねと言いつつ、手刀でかき分けていく。

 会長のところまで近づいてから声をかけた。


「会長、見聞部がカンニング疑惑の件の解決に向けて動くのはアリですか」


「うむ、構わん。できることがあるなら、ぜひともお願いしたい。……だが、とりあえずは騎馬戦のルール決めの方を優先してもらえるか」


「もちろんです」


「よーし、では予定通りの開催に向けて頑張るぞ‼えい‼えい‼おー‼‼」


「「「えい‼えい‼おー‼‼」」」


「お、おー……」


 しまった。変なところに迷い込んじまった。

 うまく抜け出して、二人のもとに戻り、会長の言葉を伝える。


「騎馬戦のルールのほうを優先していれば良いらしい」


「おーさんきゅ、トージ。それじゃ、あたしたちも頑張るぞ‼おー‼‼」


 お前もかよ、俺は無言を貫くぞ。北条はそれをみると、ぷくーっと頬を膨らませた。


「お、おー……」


 空気に耐えかねたのか欅田が小さく拳を上げると、北条はそれに満足したようで、鼻歌交じりに帰り支度を始めた。


 ……欅田、いい奴だなぁ。

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