第80話 もどってきて

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「わかった。今、バックス治療院前に移動する。」


 ロザリアにそう告げて私は通信用魔道具の蓋を閉じた。

 リクたちを伴って裏の路地から出たところ、測ったようにぴたりと前に馬車が停まる。


「お待たせいたしました。ぼっちゃま。」


 御者台からふわりと降りるロザリアが礼をすると、当然のごとく同じ御者台からデイジーが降りた。

 それを見てリクも少し驚いた顔をしている。デイジーはリクの姿を見て『白金ドレスッ』と掠れた高音の歓声を上げている。



 ロザリアによって馬車の扉が開かれると、中から兄ベセルスが現れ、にこやかに手を振る。


「来たよ~……って、わぁお。なにそれ、かわいい。」


 馬車から降りるなり、目を見開いたベセ兄が声を上げる。リクの可憐なドレス姿を見ては無理もない。


「ああ、この子? ペルゼだよ。かわいいでしょ。」


「え、いや猫じゃなくて……。ねぇ?」


 リクは、『可愛い・美しい』と評される対象に自分が入るという自覚が薄い。困ったベセ兄が馬車中の人物を振り返り同意を得ようとしていた。


「確かに麗しい。まさにご令嬢だな。」


 流麗な動きで馬車を降り、リクの前に移動しようとするその人物は、兄アヴァロだった。

 手を取ろうとするその前に割り込み、握手で牽制した。


「いや、アヴ兄まで何故。」


 その行動もだが、なによりここに居ることを思わず問うと『やれやれこの騎士ナイトは』と呆れられる。


「お前一人で簡単にやっている治療院内の洗浄だが、普通は魔道具と人を割いてようやく成せることだ。必要な品と最低限の人員はそろえた。後は任せろ。

 ───ああ、これを。」


 馬車からガチャガチャと音のする木箱を取り出し渡される。


「これは……?」


「ヨウジ殿に教わった製法で作った回復薬だ。

 原料の薬草も溶くために使った湧水も送ってもらった最上級の物だ。死者でなければ、ある程度治せる薬になっていると確信している。ヨウジ殿に味の確認を頼みたく持参したが状況が状況だ。箱ごと持っていけ。」


「わかった。ありがたく貰って行こう。」


 収納するとロザリアが進み出た。


「ぼっちゃま、お急ぎのところ申し訳ありませんが……、転移の前にお伺いしても?」


 ロザリアの問いと微笑みにわずかな冷気が帯びる。


 左側に立つと、私とロザリアを囲むように円柱状の遮音結界を展開するのがわかった。


「鳥形魔道具よりも伝達速度が早い通信手段をとベセルス様に依頼し、ちょうど出来た魔道具の納品にいらしたところでございました。同伴されていたアヴァロ様共々、ご協力頂くためそのままお連れしました。

 メルクリウス治療院にお出かけのはずのぼっちゃまが、今バックス治療院前にいらっしゃると言うことは、訪問中にも不測の事態がおありだったのでしょう。通信用魔道具はそのままお持ちください。こちらとの連絡は密に行う必要がございます。」


「すまないな。かなり危険が伴うが……。皆を頼む。」


「わたくしは、ぼっちゃまの代わりに皇宮に行くことは出来ません。代わることができるのは治療院への対応の一部のみでございます。

 ところで、リク様のお召し物が薬師見習いのものから白金色のドレスに変わり、仮面が消えていることについて、手短に状況説明いただきませんと、対応も口裏あわせも難しゅうございます。」


 いくら察しのいいロザリアといえど、情報がなくては対処が難しいのも当然だ。


 メルクリウス治療院で起きたことを解摘まんで話す。

 呪術師が意識のある患者を無理に操って襲撃してきたことにリクが激昂して聖なる力が爆発し、広範囲解呪・広範囲治癒を一瞬でやってのけたこと。


 その際の閃光で誰も見ていないが、弾け飛んだらしい服などは一瞬でペルゼがどうにかしてあのドレス姿であること。


 治療院の患者や職員たちは神の御使いに女神が憑依したと納得していること。


 バルッソとロマイは許容範囲外の話ながらも納得していること。───などを話していると、ロザリアの冷気は静まったが溜め息が洩れている。


「……──最悪の場合、リク様の姿を見た者すべての口を封じねばならないか、とも考えておりました。ひとまず安心でございます。信仰心あるものは、神と信じるものを敵には回したくないでしょうから。」


 不穏なことを呟くロザリアに、続けて指示する。


「対外的にリクのことは、他国の伯爵令嬢として設定の通りに扱ってくれ。治療院の患者を盾にする恐れから立て続けに2件訪問を急いだが、いずれも院長が魔族だった。1人は私が斬ったが、1人は回復薬を飲ませたら消滅した。」


 ロザリアが息を飲み、眉が僅かに上がる。


「魔族には回復薬が有効だ。回復薬を調合する器具類の乗った台をこのマジックバッグに移した。最後の治療院にも恐らくだが魔族がいる。気をつけてくれ。屋敷に戻るための帰還石も中に入っている。」


「──承知致しました。①患者の安全確保・治療、②回復薬を使った魔族の消滅、③院内洗浄の順に優先致します。」


「最優先は命だ。敵が生きていても、無効化できればいい。患者の治療が完璧に終わらずとも、命の危険さえ脱していたなら全員で屋敷に戻れ。例え……、リクが嫌がったとしてもだ。」


「かしこまりました。」


 しっかりと頷いたロザリアの手に、マジックバッグを渡した。

 逆に手の中に小さな袋を握らされる。



「魔族の潜伏状況からすると転移先に黒幕も、魔王すら待ち構えていることも考えられます。どうか、お気をつけください。

 これはリク様お手製の、2種の回復クッキーでございます。魔力切れで転移出来ない状況になど、なりませぬように。」


「大丈夫だ。生きている限り、必ずリクの元へ戻る。」


 手の中の袋をそのまま収納するとロザリアは遮音の結界を解いた。



 リクが私の前に進み出て手を差し出した。その手をそっと取る。


「気をつけて。」


 小さく、はっきりと聞こえた声は微かに震えている。


 できることならこの場から離れたくはない。しかし勅命。謀叛が起こったとすれば皇帝陛下の命も危うい。喉の奥に苦さを感じながら堪える。

 私が辺境伯であり、冒険者でないことが悔やまれる。


 リクの手を握ったまま動けずにいると、念が頭に響く。


『約束したろ。魔王がいても魔族がいても、そいつらを倒しきれなくても、身体のどこが千切れても、絶対に生きてるうちに俺のところに戻ってきてって。』


 リクが、私の手を強く握りしめる。


『ああ。必ず戻ってくる。』


 強い意志のこもった琥珀の瞳を、しっかりと目に焼き付け、その手にくちづけた。



「いってくる。」


 頷き、あたたかな微笑みをたたえてリクは言った。


「いってらっしゃい。」




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