第78話 よっぱらい

 ライルの転移で到着したバックス治療院だけど、呼び掛けても誰も出て来ない。


「オレが先に扉を開けてみます。ロマイ、警戒しててくれ。」


「わかった。気をつけろよバルッソ。」


 ロマイと声を掛け合い、わずかに治療院の扉を開けたバルッソが1拍ほど固まり、バタンと閉めた。


 どうした?


「すみません、少し幻覚らしいのが見えるのですが。オレは、操られてしまったのでしょうか?」


 バルッソが過去一の困惑顔で振り返る。


「いや、そんな魔力反応はない。なにか見えたのならそれは幻ではないぞ。何を見た?」


「女が……、いえ。幻でないのなら、見ていただいた方が早いです。」



 バルッソが閉めた扉をもう一度開け放つ。



 う、───酒くせぇっ!!


 アルコール消毒の代わりに酒撒いたの?!



 患者が、呻きながらみんな赤い顔をしている。

 目に飛び込んだのは赤い色のヒラヒラだ。


「ほ~ら、ね。痛いのがぁ、ラクになったでしょう?」


 間延びする喋り方で、手にした瓶の中のものを患者に飲ませている女の人が立ちあがり、こちらに歩いてきた。



 バルッソが幻覚だと思ったのもわかる。



 血のように赤いひとだ。


 肉感的なプロポーション。治療院に似つかわしくない、胸元のばっくり開いた深紅のドレス。


 太ももまでスリットが入った光沢のある布地をはためかせ、同じく真っ赤なピンヒールで、迫力のある金髪美人が腰まである髪を靡かせて歩く。真っ赤な唇に蠱惑的な笑みを浮かべて。


 床に転がる患者を避けようとせず、踏みつけながら進んで来る。


「ちょっ……、怪我人に何をっ!」


 誰だか知らないが颯爽と人を踏むのっていうのはどういう神経だ!


 文句を言いかけたら、5歩目であちらの美女がベチャリとコケた。



「あれぇ~? もぅついたのぉ? やぁだ、はやすぎぃ~。」


 ケラケラ笑いながら身体を起こすと、座り込みながら『やだ~』と、オバチャンみたいに手首のスナップをきかせたジェスチャーをして反対の手に持つ酒瓶を、ぐびりとやる。


 見た目ハリウッド女優だけど……何者?


 一同の困り顔にようやく名乗っていないことに気づいたらしい美女は、金髪をファサッと後ろに払い、両手を広げてポーズをとる。


「ど~も。ここの院長のぉ、デュオンヌでぇっす。」


「「うへぇ……。」」


 じいちゃんと思わず声が重なる。衝撃で、これしか出なかった。



「──人材不足という言葉ではもう片付けられないな。」


 ライルが額を押さえる。うん。頭痛くなる気持ち凄くわかる。


 だってこれじゃあ、たちの悪い酔っぱらいだ。それなのに院長って!


 治療院の院長は変な奴か悪党しかいないのか? 最初に会ったパンドル院長が一番まともだった。

 あ、ケイリュー院長は操られてたからちょっとわからないけど。


 アレズ院長に至っては魔族だったし。



 デュオンヌは転んだ所から、ゆらりと立ち上がるけど凄く千鳥足だ。もしかして足元見えないくらい酔ってんのか。


 見ている間にぐらついて、また患者を踏みそうになる。


 素早い動きで踏まれそうな冒頭者を引き寄せて庇うロマイと、丸くなっている剣の柄で突いて酔いどれ院長を遠ざけるバルッソ。


 腹を突かれたからか、またベチャリとコケて面白くないとばかりに頬を膨らませて騒ぎだした酔っぱらい。


「なによぉっ! ふ、普通はぁ、女を庇うもんでしょ~?」


「普通は、酔ってたって怪我人は踏まない。院長だと言うならなおさらな。」


 バルッソが律儀に答える。ド正論だ。


「ところでお前。患者になんで酒なんか飲ませていやがる。」


 引き寄せた患者も酒臭いらしく、ロマイがデュオンヌを睨む。


「なぁに、知らないのぉ? お酒はね。薬になるのよぉ~? 痛みも忘れてぇ、フワァ~ッと幸せにぃ。」


 羽ばたく仕草をして見せて、またぐびりと酒を飲んだ。


『ライル、ワゴンば出せ。こっだに酔ってだんでは話になんねぇ。だども、他に起きそうな人もいねぇよぅだ。気つけに濃いめで粉茶回復薬ば淹れる。』


 念でも呆れた様子のじいちゃんが、茶を淹れている隙に治療院全体に状態感知の魔法をかけて操られている人がいないかを確かめる。


 死にそうな人はいないけど、満遍まんべんなく酒飲まされてるみたい。全体的に状態異常回復の魔法をかけた方がよさそうだ。酔いにも効くよねたぶん。


 ──って、あれ!?


「なにこれぇ。くれるのぉ? ど~も~。」


 状態感知ごしに視るとじいちゃんから回復薬の入ったカップを受け取るデュオンヌが、真っ黒だ。


 前回のアレズ院長と、同じ色。ってことは魔族だ。


 じゃあ回復させちゃ駄目じゃないか?!


 止めるより早く、カップの中身を旨そうに飲み干したデュオンヌ院長は


「う~ん! これ、すごい美味し───。」


 味の感想も言い終わらぬうちに、サラリと黒い靄に変じると消えて失くなった。


「───え?!」


 真っ赤なドレスの切れ端すら残っていない。



『……たまげだな。この効果は考えで無ぇがった。

 陸、ほれ。呆けてねぇで、他の患者の酔い醒ましてやれ。傷の治りにも響ぐすけ、早ぅせぇよ。』


『ぅ、うん!』


 祈りの体勢をとって治療院全体に状態異常回復の魔法をかける。みるみる皆の赤い顔が普通の色に戻っていく。次いで広範囲に癒しの魔法をかけた。次第に呻く声が、喜びのざわめきに変わる。


 じいちゃんにたのんで先の状態感知で気になる影が見えた患者に粉茶を淹れてもらった。


 ライルは治療院の職員らしい人たちに新薬開発のための訪問だと説明しつつ、治療院の建物と人の洗浄を終えた。


 患者たちは何だか状況が飲み込めない様子だったけど、ヴァルハロ辺境伯が相手と知って文句をいう人もいなかった。


「あの、デュオンヌは……どこに?」


 そう青い顔で聞いて来た職員がいて、ライルはアレズ院長の時と同じように、とある疑いがあり、騎士団のもとにいると話した。


 治療院に長く勤めているらしいこのメリダという女性職員からデュオンヌの話を聞かせてもらうことになった。


「デュオンヌは、1年ほど前に有能さを買われて職員から院長になったんです。

 おしとやかで一生懸命に働く人でした。患者さんたちにも親身で……。

 でも、ここ1月ほどで人が変わったようになりました。話し方からして変わってしまったんです。」


 メリダは震える手を擦りながら続ける。


「急に身なりを気にするようになったと思ったら、治療の際に『お酒は薬だから』と患者に与えるよう言い出して、自分でもよく飲むように……。

 私は体に良いわけないと止めたんですが、自分で買って他の職員や患者にも配りはじめてしまったんです。職員も患者たちも、タダで手に入るお酒に喜んで飲んでしまって。」


 もっともな話だ。きっと女神のように感謝されたことだろう。


「私に配られた分には手をつけず、院長室に戻しました。部屋に堂々と置かれたお酒を監査で見つかってしまえば良いと思っていたんです。でも、騎士様の監査の時は何も見つからず、回復薬を配って見せて誤魔化していました。

 今日の朝になって、あんな派手なドレスでやって来て酒精の強い酒を全員に飲ませました。私にも無理やり……。そこからは覚えていません。」


「そうか、辛かったろう。よくここまで持ちこたえてくだされた。お前さんのおかげで死人も出ずに済んでおる。」


 じいちゃんが今にも泣き崩れそうなメリダを励ます。

 酒臭さの消えた院内をよく見ると、デリィル治療院ほどではないけど整頓されていて、鑑賞用らしい花の鉢植えがいくつか置いてあった。


『この人がんばり屋。ほぼ1人で治療やってたの。消えたよっぱらいの人の面倒も見てあげてた。まるでお母さんみたいに。』


 置かれた鉢植えが教えてくれる。それをライルに念で伝えたら、殊更優しい声でメリダに話してくれた。


「騎士団の調査によっては院長が戻ってこられない可能性もある。バックス治療院の運営を任せたい。どうか、自身の身体にも気をつけて勤めてくれ。よろしく頼む。」

 

 ライルはそう言ってお金の入った皮袋と薬の回答書を渡すと、何度もお辞儀するメリダを置いてバックス治療院を出た。





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