第72話 あやつられ
プロポーズに対してリクが返してくれた言葉と、唇の感触を反芻しながら目覚めた朝。体の中から力が湧き出るようだった。
あの輝く粒子の剣を手にして感じたものよりもずっと強く、この身に授けられた力の大きさを感じる。
木刀を振るだけで温めたチーズのように地面が切れるのだ。一度地面を硬質化してから鍛練をやり直す。魔力操作や力の抑制にさらに十分な時間を割いた。
「リクに魂を捧げてもらった証……か。」
首から下げたリクの魔結晶を握りしめて呟く。この上ない喜びを感じると同時に、世界の命運を任されていることを改めて突き付けられる。
晩餐会にリクを誘うと決めた時から皇帝陛下や他の貴族がリクを見初めたとしても彼女を誰にも渡さないという覚悟は持っているつもりだ。
しかしプロポーズについては、私の伴侶にまでなってくれるかはわからないと、どこか尻込んでしまっていた。
そんな私の心を、リクはまたしても癒してくれたのだ。
『ライルのことを、愛してる。この気持ちに相応しく振る舞えるようになって、みんな乗り越えることができたら……あなたの妻にしてください。』
私の欲しい言葉をいつも彼女はくれる。あまりの喜びに涙が溢れるのを堪えられなかった。
リクと共に乗り越える試練ならば私はいくらでも力を発揮できる。
丘の家に迎えに行き『おはよう』とリクが微笑むのを見て、その思いは更に強くなった。
「ぼっちゃま。少しお耳に入れておきたいことがございます。」
リクたちの支度を待つ間、ロザリアから報告がある。
「メルクリウス治療院のことか?」
「メルクリウス治療院を含めた4件の治療院に放っていた密偵からの報告が途絶えております。
監査中に見とがめられないよう暗号化した連絡手段を取っていたのですが……。
充分に警戒すべきかと存じます。」
「わかった。サム院長のようにならず者を雇うということもあるからな。充分気を付けるとしよう。」
乗り越えるべきことはまだまだある。浮かれてばかりいられない。
¨:.*.:*∴*:.*.:¨
「ようこそおいでくださいました。ヴァルハロ辺境伯閣下。院長のケイリューと申します。」
ロザリアの忠告もあったのでいくらか警戒していたのだが……。
微笑みを浮かべ私たちを招き入れるメルクリウス治療院の院長は、その優雅な物腰と明るい声音とは裏腹に、蒼白な顔に眼窩にはっきりと隈があらわれており今にも倒れそうに見えた。
「ケイリュー院長、協力感謝する。もしや、監査の翌日で疲れているのではないか?
あまり顔色が優れないようだが……。」
「いいえ閣下。私はこの上なく調子がいいのです。おかげさまで昨日の騎士団による監査も滞りなく済みましたから心配は無用でございます。ささ、どうぞ中へ。」
変装しているヨウジとリク、バルッソとロマイを伴い院内に入ると、患者やその親族らしきものたちがざわめきだす。
『化身の司祭様』『御使い様』『奇跡の御手』など聞こえてくる言葉はあるが、やることは同じだと浮遊して必要な事柄を呼び掛ける。
「私はライル=ヴァルハロ辺境伯だ。今から新薬開発のための薬を───」
説明中に上から見た患者たちの顔色にハッとする。
院長同様に蒼白だ。病か、怪我か………、見える限りほとんどの患者がひどい顔色をしている。監査で治療が遅れたのが危険な状態に繋がってしまったのではないだろうか。
数名が虚ろな表情でふらふらと立ち上がり、ゆっくりと両腕を挙げる。
痩せ細った腕を伸ばし、それはまるで私に助けを求めるようだ。
これは──?!
患者たちがこちらに向けた手に魔力が集まりはじめている。私がそれに気づいたのとほぼ同時に、ヨウジが叫ぶ。
「避けろ! ライル!!」
正面に魔力障壁を張るが、着弾した火炎魔法はなかなかに強力で、しかも四方からの攻撃だ。
魔力障壁で防ぎにくい背後からの攻撃を弾いたのはリクからもらった魔結晶の効果と思われた。
しかし、患者たちが何故……。
「なんで、攻撃っ……?! どうして……!」
リクも困惑している声が聞こえる。
「い、いてぇ………っぁ!」
「苦し、い……。ぁあ助け……てッ!」
「なんで、からだが勝手に……っうあっ、」
患者たちは自分の意に反して体を操られているようで口々に呻いている。
痛みを感じているのだろう。あるものは泣き叫びながらヨウジやリクに殴り掛かり、バルッソとロマイが応戦しようと剣に手をかける。
患者の攻撃を避けながら、ヨウジが2人に対して叫んだ。
「いかん! 相手は怪我人や病人、屈強なものが殴り返したら死んでしまうぞ! とにかく避けるしかないっ!」
鎧で攻撃を弾きながらヨウジにロマイが反論する。
「しかしッ! 患者を傷つけずにお2人を守りきるのは難しくなります!」
「リック様も前に出ないでください!」
バルッソが前に出ようとするリクの行動を慌てて止めようとしている。それに対してヨウジが一喝する。
「何を言っとるか! 守るのは怪我人や病人に決まっとる!
「大丈夫ッ、回避は得意! それよりこの人たちを操ってるやつを見つけないと! 無理に操られていて、みんなつらそうなんだ!」
リクはそう言いながら殴り掛かる男を飛び越えた。護身術訓練の賜物か、かなり身軽になっている。
「これも呪術と考えるべきなのか……っ!? 術者はどこだ!!」
魔力探索をかけるが、反応はほとんどない。皆、弱っている者たちだちなのだから無理もない。
しかし、これほどの騒ぎだというのに、先を歩いていたケイリュー院長はどこへ行ったのだ。
冷静さを欠いて感覚を鈍らせてしまっているのではないか。どこかに術者がいるとしたらこの自分の感覚も確かなのか?
喉元にじりじりと焦りが込み上げる。
次々と操られた患者の攻撃を回避したリクが私の後ろに回り、すぐ背中合わせになる。
「絶対大丈夫。俺は攻撃弾くし、覚醒してるライルには精神魔法耐性ついてるから操られたりしないよ。俺が避けてるのはただ、下手に弾くと病人に攻撃反射しちゃうからだよ。
頼りにしてるから、ライルが見つけてくれるって信じてる。」
さほど大きな声ではないが、背中から響いた声に癒され焦りが消える。
「ああ。任せてくれ……!」
リクの言葉には回復力があるのかもしれないな。
魔力探索を治療院全体に再度かける。先程に比べて格段に集中力が上がった。これならば!
「見つけた!」
弱い魔力反応ではあるが、その者の手から伸びる魔力は間違いなく患者たちの体に繋がっている。
すぐに術者と思われる者のもとへ移動する。
「ケイリュー院長?!」
それは両腕を前方に伸ばして指先を忙しなく動かすケイリュー院長だった。
しかし、その両目はゆっくりと左右に揺れ動き、口元はだらりと弛緩していて、目を開けたまま眠っているかのようだ。
術者では、ないのか。
彼自身もまた操られているのだろう。
無力化しようにも、そもそも力の入っていない体を操られているならば、意識を刈り取っても意味がない。
ならば拘束を。
魔法を展開しようとすると何かに弾かれた。
バサバサと鳥の羽ばたきが聞こえる。
『ごきげんよう。ヴァルハロ辺境伯閣下、奇跡の御手のお2人、優秀なる護衛諸君。
そして愛しの実験材料の皆様。』
漆黒の鳥型魔道具がケイリュー院長の肩に止まり、唄うようにそう告げた。
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