第59話 どうこう *記録 : ジョシュア
えー、ヴァルハロ辺境伯家執事、焼き菓子大好き三十路のジョシュアです。
今回のデリィル治療院訪問に、なんと私が同行することとなりました。私が管理者と面識があるためです。
断ることなんてできるわけないですよ?
まぁ、特殊な立ち位置のデリィル治療院の管理者は今後の回復薬販売において良い火付け役になってくれるという期待がありますから良いんですけどね。
めったに無い機会なのできっちり記録に残すようにとロザリアに脅さ……、申し付けられております。
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「おおぉ、これはヴァルハロ辺境伯様、ようこそおいでくださいました。
デリィル治療院の管理をしておりますサムと申します。」
もきもきと音が聞こえるほど軽快な揉み手で現れた小柄な男。身なりも態度も、院長らしからぬ腰の低さも相変わらずです。
「お久しぶりでございます。その後も商売は順調ですか?」
「これはジョシュア殿! お久しゅうございます。あの時はありがとうございました。おかげさまでなんとかやっております。」
「私は、ちょっと愚痴を聞いただけのこと。色々な人の話を聞くのが好きなんですよ。いつでもお声かけくださいね。」
「既知だとは聞いていたが……。」
ぼっちゃまが驚いておいでです。
「あ、すみません。私は向かいのラトスン商会で商会長を兼任しております。ヴァルハロ辺境伯様や噂の『奇跡の
仮面のお2人がすごく私の方を見ていますね。
今、サム殿の口からさらっと出てきたのは最近お2人についた通り名ですよ。ぼっちゃまから聞いてなかったんですねぇ?
「私たちの目的はあくまでも新薬の効果と、副作用の調査だ。噂を誇張することのないように頼む。」
「ええ、心得ております。どうぞお入りください。」
中に入るとぼっちゃまは収納からいろいろ出してリク様に預け、ご自分は飛翔の魔法でうかび院内の者たちに説明を始めました。
皇帝陛下のご下命で回復薬開発をしており、よい薬ができたので試して貰いたいこと、料金はかからないこと、重傷者は同行した司祭が治すことなどを簡単にわかりやすく話しています。
屋敷で決裁書類を前にした時とは大違いなテキパキとした印象。ぼっちゃまも成長してるんですねぇ。
「───ここ、落ち着いてる。完璧じゃないけど、凄く少ない。」
リク様が呟き、ヨウジ様が頷きます。患者の数のことでしょうか? 確かに床に転がるような者はいませんね。治療院の広さは狭い方ですが良く片付けられていて、所々に鉢植えの植物が置かれています。なんと言うか、良心的な値段の良い宿屋を見つけた時のような安心感です。
軽症の患者でも簡素ながら背もたれのある椅子に座っています。あり合わせ木材で簡単に作ったらしいベッドがたくさん見えます。
ほほぉ? あの椅子とベッド、どうも職人の手によるものでは無さそうです。それでも少し床から高くなっているだけで座りやすいし、風通しが良くなります。汚れも付きにくいですしね。創意工夫ってやつでしょうか。
ヨウジ様がぼっちゃまに何やら耳打ちしています。
「ジョシュア、私はヨウジェス司祭と奥の重傷者のもとに行く。サム院長に薬の効果をよく見て貰うんだ。この場の治療が落ち着いたら奥にリックたちと来るように。」
「かしこまりました。」
院長の案内なしで重傷者のいる場所がわかるんですね。
リク様はすでに薬の準備をして、治療院の者と共に回復薬を次々配り始めています。私も及ばずながら手伝わせていただきますね。
バルッソとロマイがすぐ近くに立って護衛しています。
とんでもない秘密職のリク様やヨウジ様と違い、ありふれた非戦闘職の私は誰も守ってはくれません。何事かあったときには護衛は任せて私、全速力で逃げようと心に決めていますよ!
逃走経路について考えを巡らせていると、一番広い区画の隅で何やら騒ぎが起こりました。
「噂がどうだか知らないが、仮面の子どもが配る怪しげな薬なんて飲めるか! これはきっと、骨が砕けちまってるに違いないんだっ! 変にくっつけたらもう動かせなくなるだろうが!」
おや、壁際のベッドにいる冒険者風の男性が薬を飲むのを怖がっていますね。左腕が赤黒く腫れあがっています。
騒ぎを聞いてリク様は、回復薬を淹れたカップを私に預けて男性の近くに進み出ます。
回復薬のカップをトレイにのせて、私とバルッソとロマイの2人もついて行きます。
「この腕の骨ですね。」
リク様が手をかざした瞬間、ベッドの近くにあった植物の鉢植えの葉がさわさわと揺れました。鎧の2人がザッと音の出るような姿勢の正し方をしたからですかね。
「ああ、よかった。砕けてはいないそうなのですぐに治りますよ。苦味はありません。
水分補給だと思って飲んでみてください。ね?」
仮面で目元が見えにくく、口を布で覆ってまでいるのに、慈愛に満ちた微笑みが感じられるのはどうしたことでしょうか。効き目を疑ったことを恥じてしまいたくなるような優しく爽やかな声です。心なしか周りが明るくなったように感じられます。
さすがのオーラというべきでしょう。
「あ……あぁ。」
話しかけられた男性も、先程の勢いがなくなり、渡された回復薬のカップに大人しく口をつけました。
「うまい……。───っ、あ!? なんだこれ、腫れが!」
飲んだ途端に、二の腕のあたりが淡く光り腫れがみるみる引いていきます。
「初めて見る俺のことや、この薬を不審に思うのも無理はありません。高い効能があるということは、体を激しく変化させるということなんです。副作用で疲れが出ることもあるかもしれないので、それを調べています。体の不調があれば、遠慮なく教えてくださいね。」
院内の薬を渡された者たちから、少しずつその効能に驚く声が広がって行きます。
「こ、これが御使い様の神薬……確かに素晴らしいです。ジョシュア殿、流通の目処は立っておられるのですかな? 認可の降りた暁には、わがラトスン商会にも是非噛ませていただきたいものです。」
「サム殿、もし売りに出すとしたら通常の回復薬の瓶でいくらの値がつくと思いますか?」
「カップ一杯と回復薬ひと瓶はほぼ同量として……。今出回り始めている良質の回復薬が従来品の3倍、小金貨1枚と銀貨8枚でしたな。跡形もなく傷が癒えるこの効き目、10倍、20倍の値がつくことでしょうな。」
「それはどうしてですか?」
リク様がこちらを振り返り私たちに話しかけました。
「どうもこうも……こんなに効く薬なのですから値段は上がるはずですが……。」
サム殿が不思議そうに答えています。
「俺たちが目指すのは手の届かないような高価な回復薬ではなく良く効くお手ごろ価格の回復薬です。そのために、保存も加工もしやすく、扱い易い形状にこだわっています。
ティースプーン2杯の粉薬をお湯で溶いて、このティーポットひとつ分の回復薬ができます。回復薬の小瓶なら10本分程度になるでしょう。つまりお湯か水さえ用意できるなら手のひらに収まる小袋1つ分の粉薬で10人分の深手が治ることになります。
効き目はありますが従来品より高くする事はありません。材料となる薬草の分量が増えているわけではないんですから。」
「しかし、御使い様。こんなに効くのですから価値が上がるのは仕方のないことではありませんか?」
「……っ、その御使い様っていうのやめてください。俺はただの薬師見習いのリックですから。効果はごらんの通りですが、材料が同じならば値段をあげることはないです。確かに以前よりも薬草の品質が良くなり買取価格があがったと喜んでいる冒険者さんはいるでしょうが、そこから出来た回復薬の値も上がってしまえば自分が怪我をした時に治す手立てが遠のいてしまいますよ。
報酬が上がっても物価が高ければ同じことです。そんなことをしていてはいつまでも回復薬が身近なものになりません。」
驚きました。リク様、市場の仕組みを良くご存知ですね。私ちょっと見くびっておりましたよ。
その後、サム殿や手当てに回っている治療院の職員全員に回復薬の試飲をさせて、数名に寝具類の交換と、経過の記録を任せました。すごく手際が良いです。
「ジョシュア、重傷者のところに行くよ。」
「はい、そうしましょう。」
メイド業務や護身術はロザリアに習っているんでしたねぇ。えー、ちょっと似てきちゃってません?
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