第56話 やくそく、した
リクたちは騎士団の詰め所前で懐かれたらしい子猫を、屋敷に連れ帰った。
ヨウジの通訳で、ペルゼという名のその子猫が他の動物たちと共に呪術の実験台にされていたらしいとわかった。
皇国内でも呪術の使い手は珍しい。特定は容易なのでは、という考えが過るが猫によれば呪術によって作り出された呪いの液体は薬の瓶に入れられ大量に運ばれていたというのだ。営利目的となれば出所が一ヶ所とは限らない上、作る術師が一人なのかも判然としない。
教会の思惑や貴族の野心を煽るような呪いの薬の存在。悪用するつもりならばいくらでも使い道がある。綿密な対策を考える必要がありそうだ。
猫とのやり取りをしたのち、リクとヨウジの2人は頷きあって『今日から丘の家にペルゼを連れて行く』と言うので、食べそびれてしまった昼食を持たせて転移で送り、私は屋敷に戻ってきた。
「ロザリア、ジョシュア。」
「はい。ぼっちゃま。」
「およびですかぁ?」
「治療院から到着早々すまなかったな。色々と。」
「ぼっちゃまが気に病む必要はございません。ヴァルト治療院の院長の噂はありましたが悪い方に的中していただけのことでございます。」
「実は、治療院だけでなく貴族や教会を巻き込む厄介なものが出回りだしている。呪術を込めた液体だ。仮に『
目撃者が猫、というのはふせておいた。聞いて、うーんとジョシュアが唸る。
「……それは、呪術師だけで動いたと見るのは少ぉし不自然ですね。まず薬瓶の大量買い付けが難しいんですから。潤沢な資金力のある後ろだてがいるんでしょう。あとはそういった、いかがわしい薬を闇に流すことのできるパイプ役もいるでしょうねぇ。」
枢機卿が後ろだてだとしたら資金は確かに潤沢だろう。怪我人や病人の治療を続けるかぎり常に教会に金は集まる。基本的に高価で中級貴族から上級貴族なら払える額だ。
「ぼっちゃま。密偵からの情報では最近、スラムの一角や裏路地に行き倒れの死体が以前より多く見られるそうでございます。ねずみから人間まで死体の種別は様々だと……。」
「───『呪液』の実験に利用されたか。」
「その可能性が高うございます。」
ロザリアがしっかりとうなづくのを見てジョシュアが続ける。
「呪術師の職業はぼっちゃまの魔法剣士ほどじゃないですが珍しいのはご存じでしょう?ただ、響きの悪さから適性があっても秘匿する者ばかりなんです。洗い出しに少々手間取りますよ。『呪液』の被害者がその間に次々増えちゃいそうです。
今、解呪できるのはヨウジ様だけですか?」
「ああ、教会の司祭であれば可能かもしれんが、
ただ………いや、何でもない。
明日の治療院訪問のこともある。ロザリア引き続き警戒を頼む。ジョシュアは呪術師の洗い出しにかかってくれ。」
「「はい。」」
2人が退出したのを確かめてから、窓辺の切り花に近づいて眺め、茎に触れる。
すべての動植物の声を聞くことができるのは聖人認定を受けたヨウジだけであるはずだ。リクは薬草だけなのではなかったのか。
しかし、私が見る限りペルゼの鳴き声に対するリクの反応の仕方が、ヨウジと同時に見えた。それがペルゼの話すことをヨウジの通訳以上に理解している動きなのだ。
ヨウジの能力に近づいているリクは、いつ聖女に認定されてもおかしくない存在──。
この世の危機に現れるという聖女、その重荷をリクに背負わせたくない。しかし、解呪が確実にできる者が複数必要な状況に、次第に追い込まれているようにも感じられる。
──もし、神がリクを聖女にと望むならば私も重荷を共に背負えるようにしてはもらえないだろうか。
覚悟の追いつかない少年を『勇者見習い』にするくらいなら、いっそ私を───。
はぁ、と吐息が切り花の花びらを小さく震わせた。
「そう都合よく願われていては神も困るだろうに。馬鹿だな、私は。」
それでも彼女のそばにいることのできる者でいたいと願わずにいられないのだから。
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ライルから前に、このハレノア皇国の信仰対象は大地の神だと聞いた。
それが女神で、ペルゼの言う『お母様』なのだそうだ。
同じくライルに聞いた神話で、神が種に囁き育てたという大樹がある。それのことを
それが茶樹の祖先にあたるので、聖人・聖女認定の力が与えられていると────。
「おらぁ、だめだなぁ。話しについていけねぁんだ。」
ペルゼと畑の茶樹たちを前にボヤくじいちゃん。
「安心して、じいちゃん。俺もだから。」
馬鹿ながらに自分の中で噛み砕いてやっと理解したんだけど、ひとつ心配になったことがある。
「植えた茶の実から成長した、あの茶樹でも薬効はあったよね? ちゃんと喋ってたし。聖人認定する力は、日本産の茶の実にはないのかな。」
「おぉ? どうなんだ? 教えでくれ、元・茶の実の茶樹。」
一段高い畝でサワサワ葉を動かした茶樹が答えた。
『めをだしたときから、うまれかわったんだ。キラキラのまりょくといっしょに、もらったちからがなかにある。ヨウジに、ちからをわたせてうれしい。うえてくれてありがとう。』
「そうがぁ、仲間増えで良ぃがったなぁ。」
『うん。あのとき、めをだしてみてよかった。きみがおしえてくれたからだよ。ありがとう。』
「俺はちょっと話しかけただけだよ。でも、良かったなぁ。」
茶の実の茶樹は、他の茶樹より葉擦れはゆっくりだけど聞こえる声は少しだけ流暢で大人っぽい。5歳児と10歳児の差くらいに感じる。
「『茶の実の茶樹』って長ぇがらなぁ。名前つけるがぁ?」
「いいね。じゃ、
「おお。いい
「決まり。茶の実の茶樹の名前は今日から
『な、ちょっ! ダメよ!』
茶樹たちとしゃべっていたペルゼが焦って跳び上がり、俺の頭にしがみついて叫ぶ。
「え?」
………ゴゴゴゴゴゴゴゴ
急に地面から地鳴りが聞こえてきた。震えた地面が目の前で割れ、光が噴き出した。そのまぶしさに堪らず目を閉じ、焦る。
噴火!? どうしよう、畑がっ!!
閉じた瞼をこじ開けて、畑の状態を確認すると、噴き出したのは光だけで炎は見えない。熱も感じない。
光が落ち着くと、さっきまで頬にかかっていた日差しが遮られているのに気づいた。夕暮れに近づいて赤みを帯びていた日の光を背負い立つ大木が目の前に現れたからだ。
今、地面が割れたと思ったのはその場所。さっき名付けたばかりの実利の植えられた位置だ。一段高くて広い畝にしっかりとした幹がある。
『ああ、驚いた。君から名前をもらうとは思わなかったよ。良い名前をありがとう。』
とたんに子どもっぽさの抜けた流暢な青年の声が、ザワザワと力強い葉擦れの音と一緒に聞こえた。葉のついた枝がぐにゃりと曲がって握手を求めるように差し出される。
「え、
差し出された枝の葉が、しっかり茶葉なの触れて確かめる。事態に追い付けない俺の頭でペルゼが尻尾をたしーん、たしーん叩きながら騒ぐ。
『なんで、じゃないわよ! 聖樹の末裔に、ほぼ聖女の貴女が名付けなんてしたからに決まっているでしょう!? 相互作用でクラスアップしちゃったのよっ!!』
「……??」
相互作用? クラスアップ? さっきの光の噴火といい、これは……だって、まさか。
『わかってないわね? 薬草の樹は聖樹に。貴女は聖女どころか大聖女になったのよ!』
「えぇっ!!??」
「ああ!? ───んだば、茶樹って全体を呼ぶんはいいども、一本だけ別に名前つけたんが悪ぃがったってことか。」
俺の横で一瞬は驚いたじいちゃんだが、すぐ冷静になりペルゼに話を聞いている。
『そうよ、色々条件が揃いすぎていたのも原因のひとつね。名付けの対象が普通の動植物なら何も起こらなかった。
あなたたちが呼ぶところの薬草が、聖樹の末裔だったからこそ一気に済んでしまったのよ。貴女とそこの進化したばかりの聖樹に繋がりができてしまったから貴女の名前が薬草たち全体に伝わったのね。ただ薬草に名前を教える以上の効果が出てしまったわ。』
「だ、大聖女って何?」
『正しくは神の眷属ね。おじいちゃんより強力な癒しの力が広範囲で使えるわ。魔物に狙われる聖女と違って常に神聖なオーラをまとっているから弱い魔物は近寄れない。狙って来るとしたら上位種の一部だけね。知性のある魔族とか魔王よ。
あと自分に向けられた敵意のある魔法は勝手に弾く力があるわ。500年前の聖女みたいに勇者と旅なんてしない方がいいわよ? 大聖女はランクがちがうの。貴女がいるだけで弱い魔物はこの国にいなくなるもの。魔王が現れたら力のあるものを勇者認定して倒してもらいなさい。』
「勇者、認定して……?」
茶樹たちみたいな力が、俺に?
『聖女の適性を持つもののキスで勇者の職業の選択肢が与えられるのよ。勇者になることを望むものは覚醒するわ。だから良く考えて選ぶのね。大聖女になった今、貴女が心を捧げた相手は問答無用で勇者になってしまうもの。』
───待って、ペルゼ。
「あの、前にその……。心をやるって約束してたら、心を捧げるっていうのと同じことになる?」
前にライルと約束、した。キスも。
俺の頭から逆さに瞳の中を覗き込んだペルゼが、フギャッと変な声を上げる。
『まさかもう、誓いもキスもしちゃってる!? その相手、今まさに勇者に変わっているわよ!!』
逆さのまま俺の頬に肉球でつかまるペルゼは、フシャー! と叫んだ。
驚いて気を失うなんて、この世界に飛ばされた時以来だった。
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