第53話 やすんで

 ───やってしまった。


 しかし、ヨウジが殴らなければ私がやっていただろう。


 最初からジェリク院長この男の患者に対する態度には、思い遣りというものが一切感じられなかった。


 *:.…*:.…*:.


 重傷者の部屋を訪れ欠損のある数名を癒しの力で治したあと、院長が素通りしようとした部屋があった。

 ヨウジはその部屋にいるものが危険な状態だと言い、歯切れの悪い返事の院長を無視して部屋を開けた。


 見るなり、ヨウジがギリッと奥歯を噛むのがわかった。

 そこには両手の前腕を失った男がいた。幅が狭く簡素なベッドに、胴回りを鎖で固定されている。その男の目は暗く、生気が抜け落ちて見えた。


「なぜ……、鎖を?」


 ヨウジが問いかける。


「ああ、彼は身体が大きくてね。ああして固定していないとベッドから落ちてしまうんですよ。」


 院長が当然だとばかりに答える。劣悪な環境だという自覚もないのか?


「しかし、これでは満足に寝返りも打てまい。身体を自分で動かすことができるようにしていなくては治療にならないのではないか?」


 私が問いかけることに対して院長はせせら笑う。


「彼はすでに生きることを諦めているんですよ。何をしようとしても無駄骨というものです。」


『諦めさせだんは、誰だ。』


 ぽつりと訛り混じりにつぶやき、ベッド上の男に駆け寄ったヨウジが、瞼を閉じ肩を震わせる。


「鎖を、断ち斬ってくれ。今すぐだ。」


 どこまでも低く呟くヨウジに答え、私は鎖を斬り、男の身体を横に向ける。背中から尾てい骨にかけて衣服が黄色の膿で濡れている。皮膚がめくれて肉が擦れ、肉の一部が壊死し崩れているのだ。


『ひでぇ床擦とこずれだ。』


 ヨウジは男の身体に触れて癒しの力を使う。

 男の両手と背中に光が集まり、身体が元の形を取り戻した。残っていた鎖もすべて切り落とすと、ヨウジはベッドから起きない虚ろな男の目を見て、癒したばかりの両手をしっかりと握りしめた。


「力を入れてみてくれ。温かさを感じるか?」


 男の口がはくはくと動き、掠れた音を紡ぐ。その音が声になるまで、ヨウジは頷きながら待つ。


「……、……ァ、あ、わ……かる。手が、動く……。」


「辛かったな、もう押さえつける鎖はない。手も背中も元の通りだ。ゆっくりでいい、体を動かせるか?」


 殊更ゆっくりとヨウジは男に話しかけた。


「ぉ、起き……ああ……体に、力が、ァ……あ……背中が、痛くない……。」


 体を起こすことができた。それだけで男の目に光が灯り、涙が溢れている。


「もう大丈夫。どこでもおまえさんの好きに歩いていきなさい。落ち着く場所を見つけたら休んで、体も心もゆっくりとして過ごすといい。」


 男は恐る恐る地に足を付け、ゆっくり立ち上がる。身体が癒えても、膿で濡れ汚れた背中の布地が見えた。


「ああ、少しだけ待ってくれ。身体が冷えてしまう。彼には先に洗浄と乾燥をしよう。」


 なるべく優しく、程よい温かさの湯で男をくるみ、次に乾燥する。


「ぁぁあ……っ、あり、ありがとう……。」


「いいんだ。達者でな。」


 髪も顔も服もさっぱりとした男は、ゆっくり歩き扉を開ける。明るい光のある方へ進み、最後は駆け出した。


 ヨウジとその背中を見送ると、後ろにいたジェリク院長が皮肉混じりに言う。


「ほぉ、流石は司祭殿ですなぁ。しかしよろしいのですかな? あれ程の怪我を無償で癒してしまって。」


「───傷ついたものから生きる力を奪い、この上奪おうという者は、人ではないな。」


 ヨウジは院長の足元に視線を向けつつ憮然として答える。浸み出すヨウジの気迫にひるみ、喉の奥で唸るジェリク院長は頬をひきつらせて次の患者のもとに案内する。


 次の部屋は先程より整えられた個室だ。そこにいたのは子どもだった。片足を失くした男児。まだ十にもなっていないだろう。側に母親らしき女がついており、花瓶に花を生けているところだった。男児も女もどことなく身なりが良い。髪を緩く束ねた女は眠れていないようで、目の下にひどい隈が見える。


「やぁ、様子はいかがですかな?」


 猫撫で声で話しかける院長を見る女の目には、嫌悪の色が浮かんでいる。


 ベッドの上で身体を起こしたままの姿勢でいる子どもは、先ほどの男が癒される前と同じ暗く虚ろな表情をしている。


 ヨウジがつかつかと院長を押し退けて進み、母親に近づいて膝を付いて視線を合わせる。


「母様、辛かったろう……大丈夫だ。もう何も心配しなくていい。今すっかり治してしまうから。ここでアンドレの手を握って見ていなされ。」


「……え、は……、はい。」


『アンドレ』とは、子どもの名前のようだった。聖人となったヨウジにはあらゆる動植物の声が聞こえる。また花瓶の切り花にでも教えられたのだろう。


 アンドレの、母親の握る手とは反対の手をヨウジは優しく握り、ゆっくり瞼を閉じる。


「そうか、目も……。合わせて治そう。」


 温かな光が子どもの右足に集まり、弾けることで再生した。同時に目の周りにも集まると、何か黒い靄のようなものが目元から浸み出て、ヨウジの手の一振りで消えた。

 繋いだ手から辿るように移動した光は、母親の身体の中に溶け込むと、腹のあたりから同じく黒い靄を伴って現れた。ヨウジはそれも一振りで消すと優しく促す。


「アンドレ。母様の方を見てごらん。」


 声をかけられてゆっくりと首を動かし、遅れて瞳を母親へと向けたアンドレが、涙を1粒こぼして頬を弛めた。


「か……母様、ぁあ……見える。母様も、花瓶の花のひとつひとつまで、全部見えるよ。」


「……ァ、ぁあッ……アンドレッ……!!」




「あり得ないっ……! 何かのまやかしに違いないっ!」


 抱きしめ合う親子の温かな涙を見ても心揺らがぬどころか、悪態をつくものが後ろにいた。見苦しいので、うるさい院長を連れてヨウジと共に部屋の外へ出る。


「静かに。治療院の院長たるものが病室で騒ぐ方があり得ないとは思わないのか? ジェリク殿。」


「ば、馬鹿な……、嘘だっ。見えるようになるわけがないっ……!」


「なぜそう思う? 日々、治そうと治療していれば効果が表れると期待するものではないのか?」


 ヨウジが刺すような鋭い視線でジェリク院長を睨み、続けた。


「 それとも『悪化するものしか与えていないのに』という意味か?」


「なっ……!? 何を根拠に!」


「確かな筋から教えてもらったのさ。『切断しなくても治せたアンドレ少年の足を切り落としたのも、少年と母親に毒入りの食事を出して治療院にいるのを長引かせたのも、金払いのいい下級貴族だからだ。』とな。」


 ヨウジが語るのはおそらく聞こえてきた動植物の言葉だが、あまりにも酷い内容に唖然とする。


「それが真実ならば──、……よくも治療院の長を名乗れたものだな。」


 隠し切れない憤りを覚えてそう呟けば、脂汗を滲ませて誤魔化そうとしていた院長の姿勢が変わり、目がスッと細められた。


「──治療院の運営とて、ただではできぬのですよ辺境伯様。

 治療院の資金源は国からの補助金と患者から支払われる治療費があるのみ。到底足りるものではありませんよ。

 治療に当たる者は流行り病に罹る危険も高い。魔物の活性化で怪我人も増えている。貴方様も元冒険者ならばお分かりでしょう。担ぎ込まれて、金を払わぬうちに死ぬ者が多いのですよ。安価で受け入れてもらえるからと、怪我が元で働けなくなった者を口減らしに連れてくる輩までいる始末。私共はね、金のない者をギリギリ生かしてやっているんです。

 薬の代金を運営資金に当てることの何が間違っているというのです? 毒入りの食事? ハッ、 多少得体の知れない野菜が混じったくらいで大袈裟な、下働きのものが嵩増しに野草を放り込んだだけでしょう。むしろ食事が貰えるだけありがたいと感謝してもらいたいところですがね!」


 開き直るジェリク院長にヨウジが問う。


「前の部屋にいた彼に食事を与えたか? 寝返りも打てないように固定されて酷くなる一方の床擦れ。背中の肉が崩れて、危うく骨の出る寸前だった。栄養も水もまったく足りない。声も出せなくなる。毎日少ない回数ながら来て手当てにまわる女性たちが、薄いと分かっていても何度も回復薬を体にかける努力をしていなければきっと命はなかった。」


「──何? 私の治療方針に逆らうなど……あの女たち、余計なことをしたな!」


 治療の欠片にも手を出していないのがその一言でわかる。

 剣を抜きはしなくとも鞘で打ち据えてやりたい衝動に駆られるが、ヨウジが動く方が早かった。

 覚えたばかりの身体強化を拳にかけて、訓練でも見せなかった最高速度の一撃をジェリク院長の顎に命中させる。


「おめぇ、命をなんだど思ってる!!」


 完全に意識を刈り取られたようで院長は倒れる。魔力は感じられるから生きているな。素晴らしい一撃だった。


 。.:*:・。.:*:・'°※。.:*:・※。.:*:・'


 じいちゃんの訛った怒鳴り声をしっかり聞いて俺の後ろでロマイが固まるのを感じてはいたけど、ともかくライルとじいちゃんに駆け寄る。


 見るとじいちゃんは、まだガチギレ状態で肩が上がっちゃってるので、とりあえずライルに聞いた。


『何があったの?』


『院長がベッドに拘束し、床擦れを悪化させた患者が死にかけていた。金のある下級貴族の子どもと母親には毒入りの食事を出して治りを悪くし、治療院に留まらそうとしていた。回復薬の水増しなど、余罪はまだありそうだ。』


 小声でザックリ聞いたライルの説明だけで十分院長が酷すぎるのがわかる。そりゃあ怒るの当然だな。


 みんなに向き直り、なるべく明るい声で提案する。


「では、とりあえず院長を洗浄しますか。一番が酷いようですし、患者さんより倍ほど温度高めのほうがいいですね。

 乾燥してそこの廊下の長椅子にでも、落ちないようにベルトで固定して、治療院全体の洗浄、乾燥が終わるまで反省して休んでいてもらいましょう。」


 すごく甘いお仕置きだけど、治療院全体のの洗浄と乾燥も邪魔されたくないし。

 物凄いキレてたはずのじいちゃんの肩が、カクンと下がったから、とりあえず良かった。


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