第45話 やばい

 ヤバい、失敗した。


 ボニータさんのいた部屋から出た俺は歩いて3歩目で致命的なミスに気づいた。


 普通に名乗っちゃ駄目だろ。俺。


 俺は薬師見習いで司祭の従者『リック』でなくちゃいけないはずなのに。ボニータさんの名を聞いた時、正直に『俺は陸です。』と言ってしまった。ライルがせっかくその設定でパンドル院長にも紹介していたのに、変装の意味がなくなってしまう。


 ホントやらかした……。まぁ、仮面もしてたし大丈夫だと思おう。なによりもボニータさんの望む形で治ってよかった。



 足早に進みながら辺りを見渡す。重傷者はこれで全員なんだろうか?


 間に合わなくて人の中に入ってしまった黒い玉があるんじゃないかと不安がよぎる。黒い玉は光や熱を吸収する。少しでも寒さを感じる方へ急いだ。


 ※。.:*:・°※。.:*:・※。.:*:・※。.:*:


「腕がっ……治った! ありがとうございます!」


 魔物との戦いで左手首から先を失っていた目の細い冒険者風の男が言った。


「足が元通りに……っ!! ああ、神よ!!」


 次いで両手の指を額の前で組んで泣き出したのは、馬車の暴走に巻き込まれ足を切断するしかなかった行商人。


 次々と癒しの力を使うヨウジに驚き、祈りを捧げる者、平伏する者がいる。ヨウジは事前にジョシュアから受けた所作指導の通り威厳ある足どりでその者たちの間をゆっくりと歩いた。


 癒しの力が施される度に溢れる光は、居合わせた家族らしき者たちにも見えているらしく、言葉に言い表せないほどの感動がそこかしこからため息となって聞こえてきた。


「ああ、神様………。」


 司祭姿のヨウジへ口々にそう涙声で囁きかける者たち。ヨウジは癒しの力によって再生した手足に静かに触れてしっかりと頷いた。


『よし、ちゃんと治ってだな。』と頷いていることは私にはわかっている。が、治癒された者からしてみたらその間の取り方で頷くのは、我こそが神であると頷いているようなものだ。


 私が内心、冷や汗をかいていることなどヨウジは気づかない。

 聡い彼のことだ、ある程度神格化されてしまうことは覚悟の上で『手加減しねえぞ。』と言っていたのかもしれないが。


 リクのことも気になる。人数でいえばあちらの方が治す者が多いのだ。ただ『司祭に同行する』という設定上、ヨウジから離れることもできなかった。


 複数のベッドがある区画から離れ、廊下に誰もいないのを確認してヨウジに小声で話しかけた。流石に重傷者の治癒を立て続けに行いすぎている。


『ヨウジ、魔力の残りは大丈夫なのか。』


大丈夫でぇじょぶだ。最初の訓練後みでぇな、めまいは無ぇ。』


 ヨウジは私と最初に戦闘訓練を行った日、戦闘訓練後に魔力の動かし方を学んでいるうちに魔力切れを起こしそうになった。


 あれはめまいと吐き気を伴うので正直かなり辛いのだが、ヨウジはその類い希なる胆力で屋敷に着くまで座り込むことすら耐えて見せた。今、ヨウジが言っているのはその時の感覚のことだ。


『あれほどの力を使ってもか?』


『いや、中の魔力とは違うみでぇだ。周りから吸い上げて手から出してる感じだんさ。』


『まわりから……。』


 聖人の癒しの力の使い方は通常の司祭が使うものとは根本的に違うということなのか。


『治した人の側に生けてあった切り花が、この先の部屋が一番危険だって言うすけ、行ってみる。』


『わかった。』


 廊下の角を曲がると扉に触れているリクがいた。思ったより早く合流できたことに安堵する。


『ああ、よかった。』


 リクも私たちを見て呟いた。

 仮面と布マスクで隠されて、その下にあるだろう蕩ける笑顔は見えないが声を聞くだけで嬉しくてにやけてしまった。私も布マスクで口元を覆っていてよかった。


 リクはすぐ、焦った身振りでぱたぱたと両手で手招きし始めた。


『じいちゃん、ライル! この中が一番ヤバい。扉、凍るくらい冷たいんだ!』


 ヨウジが聞いた切り花と同じようなことをリクが小声で叫んでいる。


『おらもそう聞いだ。中、へぇるぞ。』


 部屋の中は寒々としている。大きな格子窓からふんだんに光は注がれているにも関わらず、部屋の中に暖かさが感じられない。


 血の匂いがする。


 ベッドには、まだ少年と呼べるほど幼い顔立ちをした隻腕の男が眠っている。ただ、置かれている状況が特殊すぎた。


 男の腹に一抱えほどもあろうかという白いくさびのようなものが見える。あれはおそらく大型の魔物の牙だ。牙には大剣が穿うがたれており、天井から交差するようにのびた鎖が大剣の柄と巨大な牙に繋がっている。


 これ以上男の身体に食い込ませまいとしているのだろう。しかし防御のために穿たれたであろう大剣が、魔物の牙を割りはじめている。わずかにピシッと音を立てて牙に亀裂を生じさせていた。


 大剣より太さのある牙だ。鎖に繋がれて勢いは死んでいても、完全に割れてしまえば横たわる男の腹をその重みで貫いてしまうことだろう。


 横に立つヨウジとリクが同時に息を飲んでベッドに駆け寄る。


「これじゃ治しても牙が身体に残っちゃうよ! 太すぎて内臓裂ける! しかも引っこ抜いても血が大量に出て死んじゃうじゃないかっ!」


「黒い玉ば手で払っても部屋から出ねえのはそういうわげだな。内臓治すのは口から飲ますのが一番効ぐ。抹茶入り玄米茶ば喉に直接突っ込むのと牙抜いて癒しの魔法かけるのを同時にやらねばねぇの。」


「喉に直接って……どうやる?」


「竹で細い筒作って持ってきた。意識無ぇでも無理に飲んで貰わねばねぇ人用さ。口さ突っ込め。頭だけ上げれよ。喉は下向ぐようにして。気管に入らねようにな。

 ライルよ。おめぇさん、この牙ば引っこ抜けるが?」


「ああ、剣ごと『収納』することもできる。」


「おお、それが一番だ。合図と一緒にしまってくれ。」


 近くに行って良く見れば、刺さっているのは大蛇ナーガの牙だ。良く死なずにいたものだ。


 リクは男の首から肩に毛布を巻いたものをあてがい角度をつけた。更に鼻を摘まんで口を開けさせ筒を口に入れていた。


「じいちゃん、こっちは準備いいよ。」


「ライルいいが? 今だ!」


 合図で、私は大剣と牙に手をかざし『収納』する。リクが回復薬を筒に注ぎ、ヨウジが欠損した左腕を癒していく。


 ゴクリッ──と男の喉が鳴るのを確かめてリクは口の竹筒を素早く抜き取る。男の裂けた腹が強く光り、まぶしさに一瞬顔を背けているうちにすぐおさまった。


「よし。腹の傷は塞がったみたいだ。」


「左腕もばっちしだ。んん? ……目ぇ覚ましそうだな。」


「囲んでたらびっくりするかも。行こうか。」


 睫毛まつげを震わせた男の様子を見て、すぐ部屋をあとにした2人の後ろをついていく。


「重傷者もいなくなった。院内全体がほんのり暖かくなったし、明るくなったね。」



 窓から射し込む光の量にはさほど変化はないが廊下の壁に飾ってあった絵画の色も鮮やかに感じられる。意識せずにいたような周囲の物が、リクのいう通り明るく見えるようになった。


「ぉお、まんず良ぃがった。」


 リクの言葉にヨウジがしっかりと頷いて同意する。

 院内の洗浄について話を詰めなくては、と2人に声を掛けようとした。──その時。


 背後から近づく者の気配に振り返り、構えた。

「────2人とも、私の後ろに!」


 ァァァァァッ!!


 唸るような声が響いた。後ろから駆けてきた人影、現れたのは男だ。いや、走ることができるようになったと言うべきか。先程治癒されたばかりの男だった。


 酷く狼狽ろうばいしているその顔立ちはやはりどこか幼く見える、リクと同じくらいの歳だろうか。


「な……なあっ!! あんたら、見なかったかっ?!? おれの腹に刺さってた 大蛇の牙との聖剣!!」


 思いもよらない情報が男の叫びに含まれていて私たちは顔を見合せるしかなかった。





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