第44話 やさしくなんか

 俺は回復薬効果で活気に満ちた場所から離れて廊下の奥、重傷患者がいるところを目指して歩く。

 本当に勘だけで探していると、背筋に寒さを感じた。辺りを見渡すと黒い玉が扉にゆっくりと吸い込まれて行く。


「あっ! まてっ!」


 開けようと扉に触れた手が、思った以上にひやりとして肩が跳ねる。


 ビビってる暇なんかないぞ!


 奥歯に力を入れて扉をあけるとカーテンが風でふわりと膨らむのが見えた。


「まぁ……珍しいわねぇ。」


 重低音と言えるほど低い声にたっぷりの色気を含ませて響く声。ベッドの上で体を起こす人影が薄いカーテン越しに見える。


「あの、体の傷や痛みに効く新薬があるので是非飲んでいただきたいのですが……。」


 部屋の隅に黒い玉が静止している。この人が死にそうなのは間違いない。


「あらぁ、無理よ。だってワタシ怪我人じゃなくて病人だもの。お薬無駄になっちゃうから、他にまわしてちょうだい。」


 声の主は疲れたように息をつき、そう断る。が、俺も引き下がるわけにはいかない。


「他の人はだいたい治りました。新薬はお試し品です。お金は要りませんから、お願いします。どうか……一口飲んで下さい。」


 早くしないとあの黒い玉にこの人は命を刈り取られてしまう。


「一生懸命なアナタには教えてあげる。ワタシ自分がもう長く生きられないってわかってるの。」


 カーテンの向こうのシルエットがこちらを見て言う。


「なら尚更ですっ。飲んでみて下さい!」


「まぁ、ちょっと聞いてよ。……ワタシね。生まれた体は男だけど、ずっと心は女だったの。」


 ああ……性同一性障害。この世界にもいるんだ。そうだよな。───だけどこっちでは、物凄く生きづらいんじゃないかな。


「辛かった……。ワタシの身体ってば要らないのに筋肉質になるし顔は厳つくなるし、一番いらないトコロだってどんどん成長するのよぉ? 本当は線の細いちっちゃい身体に、手のひらサイズのかわいいお胸のついた清楚な女の子になりたかったわ……。──だから斬ったのよ、自分で。」


「え」


「ついた筋肉は絶食したら少しは落ちたけど広くなっちゃった肩幅はどうにもならなくて、壁に括りつけた斧に突進して削いだわ。痛かったけど、女の子の服を着ることのできる小さい身体になりたかったの。股の邪魔なモノは紐で縛って斬ったわ。気を失うほど痛かった。ワタシ………生まれ変わりたかったの。

 治療院に担ぎ込まれて……ワタシ傷の理由は話したのよ? それなのに、皆……っワタシが魔物に襲われて肩とアソコを食いちぎられたせいで頭がおかしくなった男だと思ってるのよ……。」


 カーテンが風で揺れ、一瞬翻る。悲しい事情を語る人物の顔が隙間から見えた。ストレートの、黒に近い緑色の髪を緩く束ねた人。切れ長の目元を絶望で泣き腫らし、首から頬にかけてずんぐりと赤黒く腫れ上がっている。その姿は緩やかに戻るカーテンに隠れて再び見えなくなった。


「だからワタシ怪我人じゃないわ。生まれつき心が身体と合わない病気なのよ。

 でも……親から授かった身体を無理に作り替えようとした罰かしらね。肩の傷が膿んで顔まで腫れ上がるし、アソコ斬ったせいで用を足す度に酷く痛むの。足の先までパンパンに腫れて、この部屋の中を歩くのがやっとになっちゃった……。

 食べ物は身体が受けつけないし、このままでは傷口から腐り落ちて死んでしまうからって院長先生もいうの。教会の司祭に頼んで治してもらってはどうかって。でもそれじゃ元通りの身体に戻るだけでしょう?

 違うの。男の身体じゃだめなの、だめなのよぉ……。」


 涙声が響く。回復薬を飲んで傷を負う前に遡るのでは、この人を救うことにはならない。


「わかりました。飲んでいただくのは諦めます。ただ心の苦痛を取るためにも、俺に傷の手当をさせて下さい。」


「アナタもわりと頑固ねぇ。……まあいいわ。私の話を聞いても馬鹿にせず信じてくれたアナタみたいな人、はじめてよ。腫れが引くならやってみて。棺に入る時、少しは綺麗でいたいから。」


 目隠しの薄いカーテンを払いのけてベッドに近づく。


「まぁ、アナタ。ぱっちりした大きな目をしてるのね……。可愛いお顔。アナタみたいになりたかったのよ。ワタシ。」


「お名前、聞いてもいいですか?」


「親からもらった名前はボニファティウスよ。でも、ボニータって呼んでもらえると嬉しいわ。」


「ボニータさん。俺は陸です。貴女の身体に手当のため触れます。すみません。」


「女扱いしてくれるの? ……優しいのね。」


 ボニータさんは腫れている頬で薄く笑う。


 今、腰に下げている竹筒は2つ。1つには湧水、1つには抹茶入り玄米茶が入っている。背負い袋に入れていたフェイスタオルサイズの清潔な布を裂いて傷の下に添えた、膿んでしまった傷を湧水で洗浄する。


 日当たりは良い部屋だけどやっぱり冬だから手早く洗浄して傷を塞がないと。水で濡れるわけだし、寒いよな。


 別の布に抹茶入り玄米茶を染み込ませて両肩の傷口に当てる。こっちは淹れたてを水筒に入れたから、まだ少し温かい。


 加工したとはいえ、毎日語りかけて育てた茶葉のエキスだ。思いが通じると信じたい。

『どうか、この人の望むように治して』


 声に出さず口の中で願う。


「ボニータさん。貴女のなりたい形の肩を思い浮かべて下さい。」


「………わかったわ。」


 傷口を押さえた布が温かい回復薬のせいだけじゃなく、熱いのが手に伝わってくる。ボニータさんの肩から頬にかけてを、粉茶を作った時にも見えた微細な光の粒が覆ったと思うとキンッと高い音を立てて砕けた。


「え……ッ! 肩が………! ぁ、ああっ嘘でしょ、声も?」


 砕けた光の下から現れたのはきめ細かい肌、美しく華奢な曲線の肩と鎖骨、喉仏の見えない首、細く髭の跡が全くない顎。切れ長の目元と合わさるとアジアンビューティーな印象だ。本人もかなり驚いているが、重低音ボイスが鈴を転がすような高い声になっている。

 ………よかった。大成功だ。


「ボニータさん、下腹部の治療に入ります。恥ずかしいでしょうけど、すみません。傷口を洗いますね。それから先ほどと同じように薬を含ませた布で押さえます。なりたい形を思い浮かべて下さい。傷口が塞がったら俺は貴女から離れて見ないようにしますから。治ったところを確めるのはご自分でお願いします。」


「リクさん……、ええ。アナタにワタシの身体を預けるわ。」


 ベッドに横になってもらって下腹部を洗浄し、布にたっぷりと温かい回復薬を含ませて当てる。


「ンあ、はァぁぁッ」


 高音のちょっと色っぽい叫び声が響く。細かいきらきらした光の粒子が足の先まで覆い滑らかになると、再び金属音を立てて砕けた。

 腫れていた腿の赤黒さもなく、程よい肉付きの美脚が見える。ボニータさんは動かない。驚き過ぎて放心状態みたいだ。患部の布は被せたまま離れる。


「ボニータさん。俺、部屋の外に出ますから患部を確認してみて下さい。」


 カーテンの外に出ようとする俺の服の裾をボニータさんが掴む。


「目隠し布の外にいるだけでいいわ。手鏡を持ってるから確認はできるけど……1人で見るのが怖いの、もう少しここにいてくれる?」


「はい、わかりました。」


 ちらっと部屋の隅を確めると、黒い玉は消えている。よかった、近くにアレがいたせいで感じていた背筋の寒気もなくなった。


「………夢みたい。膿んだ傷が綺麗になってる。……痛みもないわ。」


 喜びと戸惑いを滲ませる声を聞いて俺は少し心配に思ったことを彼女に話すことにした。


「──……よかった。あの、ボニータさん。すみません。すごく悩んでいた貴女にこんなこと言うの失礼だとは思うんですけど、一つの意見として聞いて下さい。」


「ええ、聞くわ。アナタはワタシの恩人ですもの。」


「ありがとうございます。───俺は貴女の傷をそのままにしては命の危険があるからこそ薬で治しました。貴女の心も重傷だったから今回は望む姿に治ったんです。

 ただ、人には『欲』があります。今後、さらに美しくいたいからだったとしても自分の身体を作り替えようとしたり傷つけることはしないで下さい。

 完全な女性体ではないかもしれません。でも今、貴女が望んだ姿で生きているんですから……自分を、大切にしてください。」


 ぐすっと鼻をすすり上げ、カーテンの中から飛び出してきたボニータさん。無理なく立てているし歩くのも大丈夫そうでよかったけど、涙で目元がぐしゃぐしゃだ。目の腫れた部分は回復範囲外だったか。

 彼女は俺の前に立って言った。


「アナタ……どうしてそんなに優しいの?

初めて会ったワタシにこんな……っ !」


 手のひらサイズに折り畳んだ清潔な布に、湧水と回復薬を少量ずつ含ませる。俺より少し背の高いボニータさんの頬に触れ、目元と鼻を拭う。赤みと腫れが直ぐに消え肌つやも良くなった。


「身近に……生きたくても生きられなかった人たちがいたんです。だから、貴女が死ぬほど悩んでいたことなのに、少し贅沢だと思う俺は全然、優しくなんかないです。

これからも、お元気で。」



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