第39話 よんでくれ

 私はピスコの出動要請に転移で向かった。


「お館様。」


 礼をするピスコを手で制する。


「そのままでいい。見事な働きだった。」


 視線をやると、半裸の状態でベッドに縫い止められたビィスロー伯爵が目を剥いている。顔を動かせないため何が起きているのかわからないのだろう。


「ピスコ。奴を通して屋敷の者の催眠魔法を解くことはできるか?」


「もちろんできますが、このクズはどうします? 」


 ふと、ジェイコフという使用人のことが頭に浮かんだ。あの作り笑いの奥に複雑に絡み合った憎悪が渦巻いている気がしてならなかった。


「催眠が解けた者たちは伯爵に恨みもあるだろう。動けないようにして彼らの好きにさせてやれ。美しい青少年たちに責められるなら、そのままあの世に行っても本望だろうからな。伯爵は美少年との色事の最中に死んだことにできる。」


「かしこまりました。──お館様が寛大な方でよかったですね? 伯爵さま。」


 ピスコが笑顔でベッド上の伯爵の頬を撫でた。許可がなくては文句も言えまい。ギチッと伯爵の奥歯が鳴る。

 ピスコの微笑みが年々ロザリアに似てきている気がする。

 収納から小瓶を取り出しピスコに渡した。


「魔力回復薬だ。飲んでおけ。屋敷の者全員の解放が済むまで魔力を切らさぬようにな。私は先に戻る。」


「もし、屋敷の者全てが気の済むまで伯爵に報復してもまだ生きていたらぼくが始末しますがよろしいですか? きっとろくなこと考えないと思うので。」


「任せる。すべて済んだらこれを使って帰れ。」


「帰還石ですね。こんな貴重なものを使わなくてもぼくは自力で帰れますが……。」


 追加で渡したものを見て、片方の眉を上げたピスコが言う。思いのほか自信家であるようだ。


「最速で帰るためだ。待つものを早く安心させてやれ。」


「……はい。」


 あどけない笑顔をみせるピスコを残し私はリクの待つ屋敷に転移した───のだが。



 屋敷に着くと、憤怒の形相のヨウジがいた。



 *….:*….:※。.:*:※。.:*:・*…:.*…:.



 ライルが伯爵の屋敷に転移してすぐに、中庭で鍛練をしていたじいちゃんとヴァンディさん、昼食を運んで行ったはずのデイジーさんがやってきた。


「なんてこった……。教会はそんなに腐っていやがるのかよ。」


「教会の癒しを受けるためにかなりの高額を要求しているのに、今度はその特別な力が回復薬でできたら困るっていうことなんでしょう? ヨウジさんたちのお茶飲んで回復したアタシは物凄く運が良かったってことです。」


 ヴァンディさんとデイジーさんが、枢機卿? とかいう人の介入をロザリアから知らされて、呆れながらそれぞれ感想を述べる。


 俺は後ろのじいちゃんが気になって仕方がない。


 あ、駄目だこりゃ。めっちゃ怒ってる。すんげぇ怒ってる。


 ヴァンディさんは、だんだん鬼瓦みたいな顔になってきたじいちゃんの怒りの導火線に無意識に着火した。


「まぁ、よかったんじゃねぇか? ヨウジたちにちょっかい出してたやつが誰かわかって。」


 うわ。


「ヴァンディさんっ。あ、あの……。」


 今、その話はやめたほうがっ!

 ヴァンディさんの方へゆっくり振り返った顔がもう『良くねえ』って言ってる。


「…………枢機卿ってのはなんだ。」


 地を這う低さで問うじいちゃんに、上半身が引いてるヴァンディさんが答える。


「ぉ、おお。枢機卿は、司祭の中から教皇を選ぶことのできるお偉いさんのことさ。まぁ教皇の相談役だな。選ばれた教皇は枢機卿と相談して教会を運営するんだ。この国には13人居るんだが一番発言力が強いのが、フェルメス枢機卿だな。」


 教会で一番偉いのが教皇で、その教皇に意見を言えるのが枢機卿。自分を選んでくれた人物となれば自然とその意見だって通りやすいよな。


「教皇を操る力があるぁんだな?」


「……まぁ……な。」


 言葉を濁すヴァンディさんを見て、じいちゃんがへの字に口を閉ざした。


「ヨウジ様、何をなさるおつもりです?」


 ロザリアも不安になるほどじいちゃんの表情は厳しい。こうなってしまうと刺激すればするほど突拍子もない方に思考が転がるんだ。



 そこへ空気を震わせてライルが転移で帰ってきた。


 ちょうどじいちゃんの真っ正面に降り立ったライルは、その表情に面食らっているみたいだ。


「……よ、ヨウジ……どうしたんだ?」


「ライル。おらも陸もおめぇさんに報告不足なごどがあるすけ、うぢの畑まで送ってくれ。───今すぐだ。」


「あ、ああ。かまわないが……リクもいいか?」


「うん、着替えにあとで戻るからその時はまたライルに送ってもらう。行こう。」


 逆らわない方がいいので賛同する。




 ライルの手につかまって転移し、畑のそばに降り立つ。


「早速聞かせて欲しい。報告不足とは何のことだ?」


 ライルがこちらに向き直る。茶樹たちが見えたせいか少しだけ表情の和らいだじいちゃんが答えた。


「ライル、前に陸が薬草に話かけると成長がはようなるって言うだの覚えでるか?」


「ああ、エルフの秘術のようなあの話はよく覚えている。」


 そうだ、ライルにまだ茶樹と完全に会話できるようになったことを話していない。


「俺から話すよ。じいちゃん。」



 ライルは首をわずかに傾げて俺を見ている。


「薬草たちの声が俺とじいちゃんには聞こえるんだ。話しかければ答えてくれる。ライルには聞こえないけど、見てもらった方が早いかな。」


 俺は畑の茶樹に触れた。


「おまえたち、今朝は霜が降りただろう? 昼は暖かいけど寒いなら根元に藁を敷くよ?」


 無風だけど茶樹たちがざわざわ揺れる。右に左に枝を揺らして返事をする。


『へいき』『さむくない』『しもにあたるとつよくなる』


「そうか、霜で葉が強くなるのか。夕方になったらまた水いっぱいやるよ。魔石の粉も足しておこうな。」


『ありがとう』『つよくなってふえるね』


「ああ、楽しみにしてるよ。」


 ざわざわ揺れた葉をひと撫でしてライルのそばに近寄る。


 ライルはあんぐりと口を開けたまま固まっている。

 しまった───完全に狼狽えた顔だ!

 ロザリアを連れて来なかったから、宥めきれるかなこれ……。


 ちょっと心配になっているとじいちゃんに肩を叩かれた。


「陸、おらが話す。ライル。話はまだ終わってねぇ。しゃんとして聞げ。」


 じいちゃんに声をかけられたライルが開いていた口を閉じる。


「こっからが大事でぇじな話だ。薬草こいつらの話ではな、嫁入り前の清らかな乙女でなくては声を聞くことはできねぇんだど。名前を薬草に教えて呼ばれることで聖女になるらしい。」


「聖女……だと? 世界の危機にのみ現れる神の御使いを意味する職業だぞ!? まさか、リクが?」


「薬草たちは、聖女になれば癒しの力が使えて、あらゆる生き物と話せるようになるし結婚しても力は消えないって言うでるぁんだ。

 デメリットは、魔物と偉い人から狙われて勇者に連れていかれる事だど、な。陸」


「うん。確かにそう言ったから名前を教えちゃ駄目だねってじいちゃんと話したんだ。」


「……ま、待ってくれ。ヨウジも話せると言ったな? どういうことなんだ。」


「畑襲撃の時、じいちゃんの作った特別加工の回復薬を薬草の枝にもかけたら、折れた枝がくっついたんだ。薬草から作った回復薬が本体にも効果があったことは嬉しい誤算だ。薬草たちは『いいおくすり』を作ったじいちゃんを評価して声を聞かせることにしたと言ってる。」


「そんな、誰も知らないぞ……薬草に聖女選定の役割が与えられているなんてことは……っ!」


 ライルは項垂れて、じいちゃんはうなづいている。


「今回な、おらはとにかく頭にきたんだ。」


 畑に進み出て、茶樹に触れたじいちゃんが俺たちにとも、茶樹たちにともとれる話しぶりで続けた。


「薬に頼らずに命を救える力のあるすげぇやづが、癒しの力を独占できなくなるからって大事なおめぇだぢを襲わせたり薬師ギルドの人らを操ろうとしたりする。そっだ馬鹿な話はねぇだろう?」


『そうだね』『ひどいよ』『いやしのちからよわくなっちゃうよ』


 茶樹が葉擦れの音で完全にじいちゃんに同意する。


「え、癒しの力が弱くなっちゃうのか? 治したい人が困るだけじゃないか。」


「それだば本末転倒だ。教会の地位が下がる前に重症の怪我人みんな死んじまう。」


『いやしのちからはね』『いのりのちからににてる』『なおしたいとおもわないと』『すごくよわくなる』


「『いのりのちから』……やっぱりそうが。」


 じいちゃんが茶樹の葉を愛おしむように撫でて、立ち上がった。


「茶樹よ、魔物や偉い人間に狙われてもいい。おらの名前教えるすけ。呼んでくれ。」


「じいちゃん!?」


「おらの名は葉枝ようじ村田葉枝むらたようじ。生涯を茶に捧げる男だ。生きてぇと願う人の命を正しく救える力が欲しい。」


 波打つ茶葉の緑色が淡く光り出した。


「待って、じいちゃん!」


 茶葉から産み出された光は波のように漂い、じいちゃんを中心に輪をつくる。


「悪ぃなぁ、陸。勝手に決めで……。

 命を救える力がもらえるなら欲しいが、陸を勇者に連れて行かれるのは絶対に駄目だ。だどもおらみてぇな死に損ないの爺ぃであれば勇者は連れて行がねぇだろ?

 魔物や狙ってくるやつと闘う力はどんどん身につける。茶樹もまだまだ育てる。おらのわがままだんさ。すまねぇ。」


『きみはヨウジ』『ムラタヨウジ』『やさしいこころ』『つよいいのりのちから』『わたすよ』『ゆるすよ』『おとこだけど、ね』『さぁ、うけとって』『やさしいきみなら』『きっとすくえる』


 茶樹の言葉がさざ波のように響くと、じいちゃんを取り囲む光の輪が縦に膨張して光の柱になった。


「じいちゃんっ!!」


 あまりの眩しさにたまらず目を閉じる。

 収束していく光の中で、のほほんとじいちゃんが言った。


「もらった職業は何になるぁんだろうなぁ?茶樹よ。」


 ゆっくりと目を開けると、いつもと全く変わらない顔でじいちゃんが微笑んだ。


「聖でねぇから聖じじぃが?」

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