第38話 かかりましたー

『なんでも?』


『はい、なんでも!』


『ンンッ、ではプッシーに何を頼むか考えながら昼食にしよう。ジェイコフ、君も食べなさい。』


『はい、ご主人様。』


 全然目が笑ってない使用人が返事をした。


 並べられた食事をすすめられてピスコも口にする。


『おいしい……っ。伯爵さま、ジェイコフさん、ありがとうございます!』


『礼には及ばないよ。ボクはご主人様の仰る通りにしているだけだからね。』


 それにしても、口元は微笑んでいるのにジェイコフというこの使用人は、なんでこんなに感情のない顔に見えるんだろう。やっぱり催眠魔法にかかっているのかな。


『遠慮せずどんどん食べなさい。』


 にやけ顔で言う伯爵の目は変わらずいやらしい。

 そして並んでるメニューが良くない。サンドイッチは普通だが、口に入れるのが大変そうな太いウインナーに、ゆで卵。乳白色のスープ。ピスコががっついて食べると口の端からスープが溢れるらしい。


『ああ、そんなにこぼして……。ふふ、しっかり口の中のものを飲み干さなくてはいけないな。』


 ピスコの斜め前では、ジェイコフが太いウインナーを乳白色のスープにつけて舐めあげながら口に入れている。それをニヤニヤしながら伯爵は眺め、サンドイッチを口にいれた。

 ああ、やっぱりこのメニューは伯爵の趣味でこんなに食べ辛いものばかりなんだ。


 伯爵の気持ち悪い視線と言い回しを魔道具越しに見ていると、横のライルも表情に嫌悪感を示す。


「おそらく奴の指輪に魔力増幅の効果がある。催眠魔法はもう発動しているな。ピスコには効いていないが、どう切りぬけるか……。」


 ライルが心配するのも当然だ。魔法が発動しているのをピスコはわかっているのかな。うっかりかかっちゃってないよね?


『……はぁ……、伯爵さま。ぼくこんなにお腹いっぱいになるまで食べたの、初めてです……。』


 満腹でため息をつくピスコを見て伯爵は笑みを深くする。


『そうか。…… 眠くなってしまったようだなプッシー。ここまで来るのにも疲れたのだろう? ベッドに行って休むんだ。』


『……はい。』


『ご主人様。プッシーを別室で休ませます。』


『私の部屋で休ませる。ジェイコフは下がって片付けを済ませなさい。』


 おいおい、伯爵。もう催眠魔法が効いてると思ってダイレクトにベッドに連れ込むつもりじゃないか? ピスコ大丈夫か?


 伯爵のいた部屋の隣には都合よく寝室があった。天蓋つきの豪奢なベッドを前にすると急に映像が前にブレる。


 背中を押されたらしくバフッとベッドにピスコが倒れる。振り返ると伯爵がベッドに登って来ていた。


『ふふ、プッシー、足に力が入らなくなったね? 私の言葉に身体が反応したからだよ。『ベッドに入って休む』ようにね。』


『ぁ……伯爵さま……。』


『──『解除』。さあ、これで君にかかった魔法だけは解けたよ。動き易くなっただろう?』


『魔法……? いつから?』


『私の部屋の扉が開いたところから魔法がかかる仕組みなのだよ。しかし君はなんでもすると言ったね? 私も催眠魔法をかけていない美少年がどんな反応をするのか興味があってね。孤児院の仲間は助けよう。代わりに君には催眠無しで私を悦ばせてもらおうか。ふふふ。』


 いやらしい笑みで迫る伯爵の映像に、鳥肌が立つ。


「うわぁぁっ! ピスコ、逃げて!」


 青くなりながら叫ぶと、ロザリアが澄まして答えた。


「落ち着いて下さい。リクさん。大丈夫ですわ。ここからがあの子の腕の見せ所ですもの。」


 映像に目を戻すと、鼻の下を伸ばしきった伯爵の気持ち悪い顔が映る。うぇっと吐き気をおぼえたところで、映像が切り替わった。

 身体を起こしたピスコは首から下げた魔道具を自ら外し、自分が映るようにしたのだ。


 ────なんで……?

 俺の戸惑いに答えるようなタイミングでピスコは魔道具を天蓋の布に結びながら話し出した。


『……ぼく、もう13歳です。ここに来た意味はわかってるつもりです。それに、院長先生から教わっていたから、どうしたらいいかも少し……わかるんです。この首飾りは孤児院の仲間からもらった大切なものだから少しの間、ここに置かせてください。千切れたり、濡れたりしないようにしたいから……。』


 アップで映るピスコは可愛い。間違いなく美少年だ。このままでは伯爵の餌食だが、伯爵の死角で『任せて』とばかりに魔道具越しの俺たちにウィンクしてみせた。


 伯爵に向き直ったピスコはシャツのボタンをひとつずつ外しながら言う。


『伯爵さま、約束……守ってくださいね? それと……ぼく、きっと恐くて逃げ出したくなるから、やさしくして……くれますか?』


『ああ……っ、プッシーっ!』


 涙目で手元を震わせる美少年の色香に、耐えかねた伯爵が上着を脱ぎ捨て襲いかかる。


 抱きつかれる瞬間、ピスコの目が光ったように見えた。




『はーい。かかりましたー。』


 伯爵の額に人差し指を当てて冷笑を浮かべたピスコは棒読みで宣言した。

 伯爵は身体を強張らせて動けないようだ。


『遅効性の魔法です。───何故って顔ですね? 伯爵。

 貴方はぼくの着替えを覗いていた。この緑の目を見た時から、魔法にかかっていたんですよ。』


『か……っは、』


『貴方の催眠魔法はぼくには効かないです。ぼくにはもっと効果の高い『魅了』の魔法が使えるんですよ。発動にちょっと時間がかかるのが面倒ですけどね。かかっている間は、ぼくの指示無しには息もできないんです。苦しいでしょ? 死んじゃうと困るから。』


 ピスコは天蓋に結んだ魔道具を首にかけ直し、ベッドの横の椅子に腰をおろした。


『──っは、はぁ、はぁ!』


 呼吸を許可された伯爵は荒く息をついているが身体はやはり動かせないらしい。



『皇帝陛下直々のお達しである薬草開発に横やりを入れるのは、誰の考えですか? 。』


 ベッドに四つん這いの姿勢のままの伯爵は答えた。


『……じ……、ジュード=フェルメス枢機卿。』


「な……っ! やはりかっ!」


「教会でも絡まなければ、伯爵程度で陛下の命に背くなど考えませんものね。しかし、大物が出て来たものですわ。」


 隣のロザリアとライルが声をあげた。教会がなんで?


『教会が絡む理由は何です? 。』


『皇帝陛下から……ヴァルハロ辺境伯に薬草開発の命がおりる少し前、薬の売れ行きにかげりが見えたと……報告があった。』


 ぼんやりとした口調で伯爵が話し出す。


『名うての冒険者が持ち込む薬草からできた薬で……効能が強いものが出始めたと……。冒険者は摘みかたを変えただけだと答え、対価無しにその方法を広めている……。薬の値を下げなくてはならない事態になるのではないかとの報告だった……。冒険者の素性と足どりを探らせ、原因となった者がヴァルハロ辺境伯のお抱えだと突き止めた。』


 名うての冒険者というのは、ヴァンディさんのことだ。ちらりと見るとロザリアが額に手をあてて渋い顔をしている。


『薬草畑の襲撃を命じたあとで、皇帝陛下の命が下ったと知り、焦りもしたが……フェルメス枢機卿が妨害の後押しすると言い出した。襲撃の他に薬師の洗脳を考えついたのは枢機卿だ……。私の利益も守られるだろうと。』


『枢機卿の狙いは? 。』



『これまで……手足を失うほどの重症者へ癒しの力を施すことは教会の専門だったが、今後もし新薬開発で欠損部位の再生までできるようになってしまうと……教会の存在意義を揺るがす事態になると恐れたからだ……。』


 ────なんて、くだらない。

 俺の思いをなぞるようにピスコの声が響く。


『下らないですね。教会の最上層部がこのざまですか。信仰心ではなく虚栄心にとりつかれているようです。ぼくとしてはクズは潰すに限りますが、さて……。一度お館様にお出まし願いましょうか。』


 ピスコは首から下げた魔道具を二回叩いた。


「出動要請だ。行ってくる。魔道具の拡大はそのままにしておく。すぐ戻る。」


 そう言って、ライルは転移していく。

 横にいるロザリアの肩がフッと下がったのがわかった。我が子の危険な仕事ぶり、気を張って見ていたんだろうな。


「優秀すぎる息子を持つと母親は気苦労が絶えないですね。ロザリア先生。」


「……いいえ、我が子の成長を感じるということは、誇らしくはあっても苦労には入りませんわ。」


 安堵の色を滲ませながら、にっこり微笑むロザリアは、もの凄くかっこいいと思う。

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