第36話 のろいをかける

「回復、風呂……?」


 俺の思いつきをライルに聞いてもらっているが流石に聞き慣れない単語だったようで眉をひそめて繰り返した。


「うん。今までの苦い回復薬だって俺が治してもらったみたいに全身浸かるくらいの分量あれば治るだろ? 今は結構高いけど、今後じいちゃんの提案した採取の仕方が主流になれば今までの回復薬の値段は下がるよな?」


「ああ、それでも効果がないわけじゃないから金銭に余裕のないものは買うだろうな。」


「その金もない人は?」


「自然治癒に任せるしかない。」


「前言ってた治療院って安価で誰でも利用できるんだったよな? そこに俺を助けてくれるのに使ったのと同じ分量の回復薬で風呂を作って重症の人を入れるのはどうかな。できれば無料で! 傷に染みない程度に温度を温かくしてさ。薬湯くすりゆってやつ。」


「それは……維持が難しくはないか?」


「難しいかな……風呂の内側に浄化の魔法付与してもらうとかしてもダメ?」


「付与術師への対価や付与に使う魔石だけでかなり費用がかさむ。試験的とはいえ無料というのは無理がある。リク……君が人の命を大切にしたいというのはわかるが、現実に照らし合わせると難しいことも多い。

何を、そんなに焦っているんだ?」


 ライルが金色の瞳でジッと見つめてくる。


「……ごめん。ヴァンディさんとロザリアの話を聞いちゃってさ。2人が夫婦だったのも、子どもがいたのにもびっくりしたけど……俺の知らないところで段取りがついて俺たちも薬草も、守ってもらってるんだって思ったら、自分で出来ることを何か探さないとなって。」


 俺の座っている長椅子にライルが寄り添うように腰をおろした。


「なにも負い目を感じることはない。ビィスロー伯爵のところにロザリアの息子が潜入しているのは、本人も乗り気でのことだ。

 それにリクたちだけを守るんじゃない。薬草の効果が上昇するのは国全体の利益になる。それを妨げようとする伯爵の真意や黒幕の有無を調べることは国を守ることに繋がる。」


 じりじりと胸にあるのは焦り。頭のどこかでちらつくのは父ちゃんと母ちゃんが死んだ日の燃える瓦礫と煙の匂いだ。


「でも……嫌なんだ。知らないまま守られて、守ってくれた誰かが傷つくことがあるかもしれないなんて……。それに今、一番危険なとこに行ってるのはロザリアとヴァンディさんの大事な息子だ。」


 小さくため息をついたライルは上着の内ポケットから手鏡のようなものを取り出し、俺に見せて説明した。


「ベセ兄に特殊な魔道具を作ってもらった。遠く離れていてもピスコが何をしているか、これで見聞きすることができるものだ。危険が迫れば私が転移で駆けつける。発動していないからピスコもまだ伯爵領にはついていないようだ。」


 ライブカメラ機能……。

 様子がわかることは安心に繋がるだろう。ただそれでも俺の胸の焦りは消えなかった。転移してもその瞬間にピスコが心臓に剣を刺されてしまったら? ついた先で敵に囲まれていたら?


「今後もこうやっていろんな人が戦いにいくなら、やっぱり重症を負っても確実に治す方法を、もっと見つけないとだめだと思うんだ。手揉み茶特別加工の回復薬は、じいちゃんしか作れなくて分量が限られてるからっ!」


 ふわりと優しくライルに抱き寄せられた。


「リクが背負わなくてはならない命は、君自身のものただひとつだ。」


「っ……でも……っ。」


「リクには……ある種の呪いがかかっている。効果の高い回復薬の栽培・精製法を知るものがリクとヨウジだけだから『瀕死のものの命は自分たちが助けなくてはならない』と思っているのだろう?」


 『何かをしなくてはならない』という自己暗示はほとんど『呪い』だと、ライルがいう。


「リクに守られなくても皆、自分の命は自分で守る。それは本能だ。リクが無力感を感じることはない。───涙を、流すことはないんだ。」


 ライルがそっと頭を撫でてくれている。言われるまで、自分が泣いてるのもわからなかった。


「この小さな肩にそんなに命を背負うことなどないじゃないか。それでも、知り得る限りのものを救いたいというなら私が背負おう。国を守るのが私の役目だ。救える命を守り切ってみせる。」


 身体を離して、涙でぐしゃぐしゃの俺の目を見るライル。頬に触れて優しく涙を拭う。その眼差しはあたたかくて、少し潤んでいる。


「リクにしかできないことはもうひとつあるな。……私の心を癒すことができるのは君だけだ。」


「ふ……ぅっ……っ」


 柔らかく微笑むライルが俺の頬を両手で包む。


「どうしても何かを守らなくてはと思うなら自分の命と、私の心だけを守っていてくれ。もう私の心は君に捧げているから。」


 ああ……──だめだ。俺が頷いたらライルは自分を犠牲にしても周りの人の命を守るだろう。


 俺の言葉を待っている間のちょっと自信なさそうに震えるその瞳を見ると、胸が締め付けられる。


 優しくて強くて、実は心の脆いこいつに自分の命も大切にして欲しい……。俺は非力だけどひとつだけ、できることがある。


 震える手でライルの襟元を掴む。すぐそこにあるライルの顔。

 ───俺は掴んだ襟元を強く引き寄せた。



 掠める程度に唇同士が触れる。俺の行動に驚くライルの眼をまっすぐ見る。


「俺、ライルが好きだよ。心はお前にやる。だから……………絶対、死なないで。大事な人が居なくなるのはもう、嫌だ。」


 助かる命は出来るだけ助けたい。好きな人には生きていてほしい……なんて、綺麗事だしわがままだと思う。

 でも俺はどっちも諦められなくて、初めて好きになった人に『呪い』をかけた。


 死ぬ覚悟をした瞬間に、このキスを思い出して『生きなくてはならない』と思ってくれるように。


 *….:*….:※。.:*:※。.:*:・*…:.*…:.



 かすかに触れた唇に驚いていると、リクがまっすぐな瞳で私を射貫いた。その唇からこぼれ出た言葉は、静かな叫びのようだった。


『俺、ライルが好きだよ。心はお前にやる。だから……………絶対、死なないで。大事な人が居なくなるのはもう、嫌だ。』


 リクはただ守られる自分が許せないのだと思っていた。本当はそれ以上に大切な存在の誰かが消えてしまうことに、怯えていたんだ。


 私自身がリクにとって『大事な人』になっていることに驚き、先ほどの唇の感触とあわさって甘い衝撃が遅れてやってきた。

 震える心のままに誓いを口にする。


「リク……。約束する。君の心がこの命と共にあるなら、何があっても生き延びよう。」


 唇の感触とリクの言葉が幻でないことを確かめたくて頬に触れ再び唇を重ねようとした瞬間、扉が青い光を放った。


「昼食をお持ちしました。」


 ロザリアの声とノックが聞こえる。リクの頬がポッ、と赤く染まった。


 リクは私に向けていた潤んだ瞳を泳がせ、我に返ったかのように私の腕からすり抜けると、長椅子から立ち上がり扉に駆け寄ってロザリアを迎え入れた。


「あ、ロザリアありがと。手伝うね。」



 行き場のない私の手が空中を彷徨さまよってしまった。ぐっと握りしめて堪える。


 昼食を並べるリクの頬もまだ少し赤い。大丈夫だ。幻ではない。

 口元にだらしなく笑みが浮かびそうなのを噛み殺して、軽めの昼食をリクと一緒に食べた。


 ローストティーで喉を潤していると、リクが私の胸元を指差した。


「ライル、なんか光ってるよ。」


 上着にしまった魔道具を取り出すと部屋全体が緑色の光に包まれる。緑色の発光はピスコが魔道具を発動した証だ。



『お館様、ビィスロー伯爵の領地に入りました。今から屋敷に潜入します。』


 ピスコの声が響いた。







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