第35話 しれん

「わたくしの顔に何かついておりますか?

 リクさん。 」


「ぅ、ううん。何にもついてないよ?」


「そのように穴のあくほど見つめられては気にもなります。おおかた余分な話をお聞きになったのでしょう? まったく、誓約書をもっと詳細にすべきでしたわ。」


 ヴァンディさんの訪問の翌朝。ライルではなくロザリアが馬車で迎えにきた。


 めっちゃ気になるけど、ヴァンディさんとロザリアの馴れ初めを聞いていいものか考えていたら見つめてしまっていたようでロザリアに呆れられてしまった。


「ヴァンディさん、気持ぢのいい人だすけなぁ。ほんで子どもも居るって?」


 聞けずにいた俺と違って、じいちゃんがノリ良くインタビューしてる。ロザリアもやれやれと答えてくれた。


「ええ、ひとりは辺境伯家の執事見習いですわ。お二人とも一度は会っております。」


「あぁ?」

「ええ!? いつ!」


「お二人がぼっちゃまに連れられて屋敷に初めて来た日に。ヨウジ様がリクさんの無事を確かめようと全部屋回っておいでの時、振り切った執事は息子ですの。背丈はわたくしよりも高くなりましたが、まだ13歳ですわ。」


「いや~、それは悪ぃごどしたなぁ。」


 うん、確かにいた。あの騒ぎの中メイドだけじゃなくて執事っぽい人が。人相はちょっと思い出せないけどさぁ……って、あれで13歳!? 背ぇ高いよ!


「もうひとりは?」


「15歳の娘です。リクさんと一度行った仕立て屋で働いております。発注したリクさんのドレスの刺繍を担当するそうです。」


「あ、あの水色の? そうなんだ。よろしくお願いしますって伝えて。」


「リクさんを見て張り切っておりましたもの。可愛らしさを最大限引き出してくれることでしょう。」


「え、俺ロザリアの娘さんに会ってる?」


「仕立て屋でドレスを採寸しておりましたでしょう?」


 亜麻色の髪をお団子に結った店員さんがいたのを思い出した。ロザリアがあれこれ話しているのに対して凄い笑顔で頷いていたっけ。言われて見れば、ちょっと似てるかも。


「子どもふたりとも大きぃぁんだなぁ。これからが楽しみだな。」


 しみじみとそう言うじいちゃんに、ロザリアは優しく微笑みで返した。


 今日はじいちゃんも一緒に屋敷に行くけど、鍛練の相手をするのはヴァンディさんなのだそうだ。ライルは俺のダンスの相手をするからだって、じいちゃんとの訓練より俺とのダンス優先でいいのかよ。


 ロザリアの言うには、書類の仕事がかなり夜遅くまでかかったので、ゆっくり寝かせておいて俺が屋敷に着いてからライルを起こすことになっているらしい。


 寝ているライルを起こすのは俺にやれと言う。美丈夫の寝起きを見て、その後一緒にダンスって……ロザリア先生、俺の心臓にも優しくしてください。


 屋敷に着くと昨日ぶりなヴァンディさんがいた。


「おはようございます。ヴァンディさん。」


「おぅ、おはよう。爺さん、今日はよろしく頼むぜ。」


「こっちこそだぁ。まんずよろしぐ頼む。」


「ライルに中庭使っていいって言われてる。先に行って身体ほぐしててくれよ。」


 浴室に向かおうとしてると俺の後ろを歩いていたロザリアをヴァンディさんが呼び止めた。


「ロゼ、ちょっといいか。──ピスコのことだ。」


 ロゼって呼ばれてるんだ! とつい足を止めてしまう。


「……。リクさん、服は置いてあります。浴室に向かってください。出る頃までには参ります。」


「はい。」


 返事をして歩き出すが、会話が気になりすぎてゆっくりになってしまう。

 ちらりとみると、父と母の顔の2人が見える。


「ヴァン、心配はいらないわ。あの子のことなら。」


「殺して終わりじゃなくて伯爵の懐に入るのが狙いなんだろう? 大丈夫なのかその……。」


「鼻唄混じりに出掛けて行ったわ。我が子ながら恐ろしく優秀よ。信じて待つの。いいわね?」


「わかった……。」


 そこまで聞いてやっと浴室に向かう。背後でロザリアがひやりとした空気を放つのを感じたから、かなり早足で。


 浴室で2人のやり取りを思い出す。

 伯爵って、ジェフリーをそそのかしたっていう伯爵だろうか。茶樹たちを滅茶苦茶にしようとしたやつ……。そこにロザリアたちの息子が行ってるってことだ。


 頭からザバッと湯をかぶる。


 茶樹がまた狙われるなら俺たちにも十分関係あることだけど、闘う力がほとんどないから知らされないんだ。髪をかきあげて自分に言い聞かせる。


「……無い力を願うな。いま自分にできることをやるんだ。」


 決意のあと、風呂から出て身体を拭いて制服を着ようとすると、そこにはまったく違うタイプの試練が待っていた。


 置いてあるのは制服ではなく萌黄色のドレス。着古していた俺の下着も、絹のような素材の凄いレースがついたものに交換されていて、胸に巻く布がない代わりに白いビスチェに変わっていた。そして極めつけに───


「ロザリア先生、ガーターベルトっていうやつまであるんですが……これを俺に着ろと?」


 姿の見えないロザリアに呟くほど、俺にはレベルの高いセクシーランジェリー。真っ裸ではいられないから恐る恐る絹の下着は履いたけど、あとのはどうしたらいいかわからんっ!


 途方にくれていると、そこにやって来たのはデイジーさんだ。


「リクさん、失礼します。お手伝いさせていただきますね。」


「デイジーさぁんっ!! これ何、どうやって着るの? 本当に着ないと駄目?」


 あまりのこっぱずかしさに泣きついたらデイジーさんが優しく教えてくれた。


「ちょっと落ち着いて、大丈夫よ。ドレスの場合はこういうのを着たほうがいいってことなの。実際に胸元から腰回りの線が美しくなるのよ。それとガーターベルトは腿までのストッキングがずり落ちないように押さえるものよ。すぐにずり落ちるとダンスするのに困るでしょう? あとトイレの時も……ね?」


 思いのほか、実用性があるってことらしい。諦めて着るしかないのか。


「わ……わかった。上のやつ、どうやって通すの?」


「下から履くようにしてみて。そして胸の回りのお肉を、こうやって寄せると……ほら。ぐっと綺麗になるでしょう? アタシが苦しくない程度に後ろのリボン締めるから腰の回りもキュッと閉まるわよ。……いいわ、あとこれも履いて、ここ止めて。そう、それでドレスを着るの。」


「こ……こう?」


「ええ、とっても素敵よ。すぐ姐さんがきてくれるから髪を整えてもらうともっといいわね。」


 姿見の前に立つと確かにスタイルが良く見える。くるりと鏡の前でまわっているとデイジーさんと交代でロザリアがやって来た。


「お待たせしました。リクさん。先に着ていた服はすべて洗濯して干してありますから、お帰りの頃には乾くはずです。」


 話しながらロザリアの手が高速で動き髪を結ってくれる。いつもと違ってかすかに薔薇の香りがするので、香油かなにかをつけたのかもしれない。俺が手に握り締めていた金の髪飾りを仕上げにとめて完成だ。



「ぼっちゃまを、起こしに行ってください。」


 満面の笑みでロザリアに言われる。


「ぐ……、はい。」


 自覚してから初めてライルに会うってだけで恥ずかしいのに、中にこんな下着つけてドレス着て、寝室に入るっていう責め苦。


 ライルがすんなり起きてくれることを願うしかない。


 ※。.:*:・°※。.:*:・※。.:*:・※。.:*:



 微睡まどろみのなかで扉の開閉音を聞いた。


 カーテンを開け放つ音がして日の光が暖かく射し込むのを右腕に感じた。

 花の香りとベッドが少し沈む気配に気づいて身動みじろぎするが、私の瞼は眠りの誘惑にまだ勝てないでいる。


「まだ眠いか……。仕事、大変だったんだな。」


 呟く声を聞いて薄く目を開ける。

 まだ夢の中か。……なんていい夢だ。似合いそうだと思って買っておいたドレスを着て、可愛らしく微笑むリクがいる。私のベッドに膝をかけてゆっくり優しく肩を叩いている。


「ライル、おはよう。……っわ!」


 上半身を起こし、絡めとるように腰に手をまわして腕の中に抱きしめる。


「リクがドレスを着て起こしに来る夢なら、このまま目覚めたくない。」


 この夢はいい。リクの温かさや柔らかさ、息づかいまで再現されている。

 リクの額にくちづけをすると、顎を下から拳で突き上げられた。


「ね……っ、寝惚けんなバカ!」


 鈍い痛みがある。夢……じゃないのか。


「リ……リク?」


 目の覚める光景だ。ベッドの上に涙目で恥じらうリクがいて、そのドレスは捲れ上がりちらりとガーターベルトがのぞいていた。無意識に生唾をのんでしまう。


「う゛~っ……おまえ、寝起きいっつもこんなことしてんのか? 起こしに来たメイドに抱きついたりっ!」


 ガバッとドレスの裾を直して、真っ赤な顔に涙目のリクが私を睨んで言う。


「ご、誤解だっ! リクのドレス姿が見えたから、良い夢だと思って、その……。すまない。少し寝惚けていた。」


「とりあえず起きて着替えしろよ。 ………まったくっ。朝飯おわったら俺とダンスの練習あるんだからな? ちゃんと目ぇ覚ませよ!」


「ああ。」


 夢だと思ったものが現実だとわかるのはこれほどまでに幸せなのか。口元が自然と弛む。

 目が覚めた時に君がいてくれたことが、嬉しい。



 *….:*….:※。.:*:※。.:*:・*…:.*…:.


 今日はメイドの制服ではないし、ライルもリラックスできるように言葉遣いは多目にみてくれるとロザリアが言った。あとはライルが朝食を摂ってる間にロザリアからダンスの基本ステップを教えてもらったからなんとか大丈夫……なんて、甘い考えでした。


 音楽に合わせて、足を踏まないように避けながらヒールのある靴で踊る。笑顔で、しかもそれをちょっと前にベッドの上で抱きしめて、おでこにチュウかましてきたやつ相手にだと……?

 はい、俺にとってめちゃくちゃ高難易度な試練です。

 


「イチ、ニッ、サン、リクさんは足元を見てはいけません。お顔を上げて。」


 手で拍子を打つロザリアに言われて顔を上げると、蕩けるように甘い視線で微笑むライルと目が合う。


「ドレスがとても似合ってる。買ってきて良かった。」


「あ、ありがと。」


「うつむかず、笑顔ですよ! イチ、ニッ、サン。」


「ライル。俺、ちょっと会話する余裕ないっ、笑顔ひきつってるだろ?」


「大丈夫、リクは何をしていても可愛い。」


「ぐ……おまえっ、耳元でそういうこと言うのやめろ。」


 1時間もそうして踊れば心身共にぐったりだ。


「リクさんはもう少し音楽とぼっちゃまのリードに任せると良くなります。少し身体を休めましょう。昼食をお持ちします。」


「じゃあ、じいちゃんたちも……。」


「訓練にかなり熱が入っているので、手軽に食べられるものを中庭に運んでおくとデイジーから報せがありました。こちらも軽めに召し上がれるものを用意します。休みながらお待ちください。」


 扉が青く光る。ロザリアは俺とライルを2人にする時、遮音の結界を常時作動させる。回復薬の話になることが多いからだな。


 長椅子に座って靴を脱ぐとやっぱり靴擦れができている。


「イテテ。」


「リクッ、大丈夫か?」


「慣れない靴だからな。仕方ないよ。」


「回復薬をかけよう。」


「白いストッキングに染みがついちゃうから、一回脱がないと、……っ。」


 ライルの前でガーターベルトからストッキング外して脱がないといけないっ?


「ライル。あっち向いてて。」


「わ、わかった。」


「……脱いだ。回復薬くれるか?」


「───収納に入っているから、手から直接出す。」


「へ? ひゃっ!?」


「冷たいか。」


 洗面器くらいの大きさの水球が足をすっぽりくるんで傷を癒してくれる。


「冷たくない……。ちょっと温かい。」


 ああ、これに最初、全身浸けられたっけ。

 ライルが回復薬を消して。風の魔法を使う。温いそよ風が足にあたり、すっかり乾いた。


「ありがとな。」


 またライルに後ろを向いてもらいストッキングを履き直す。


「ライル、ちょっと思い付いたことがあるんだけど聞いてくれるか?」







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