第26話 ほんとうは

『───ああ……っ、……わかった。』


「よし」


 戻って来たビーから聞こえたちょっと返事につまったライルの声を聞いて頷いていると椅子に座って様子を見聞きしていたデイジーさんに驚かれた。


「リクさん、スッゴいわね……。あのヴァルハロ辺境伯様の恋人だったなんて……。」


「は? ……いやいやデイジーさん違うよ?」


「え……だって殺し文句の連続だったわよね?

 『自分の前では泣いてもいいから』とか、『貴方がそばにいないほうが怖い』とか、極めつけが『迎えにきて、ご主人様』だもの。一方的にお慕いしているのかしらと思ったら辺境伯様からお返事来たじゃない。その返事だって溢れる愛しさを我慢してやっと寄越したのよ、きっと。吐息混じりだったもの。」


 そうとしか思えないとばかりのデイジーさん。わりとロマンチストなのかな。


「いや、諸事情でライルの専属メイド見習いしてるだけで……。」


「うん。恋人でしょう? 専属だもの。」


 ああっ、ライルのお気に入り設定がここで活きてくるのか! 撤回しにくい!


「あー………デイジーさん、そんだに甘ったるくねぇんだ。陸もライルもな。」


「───あれで?」


「おぉ。おら時々、甘酸っぱすぎてむせそうなんだ。自覚の薄い2人にはわがってねぇらしい。デイジーさんも突っ込まず見守ってくれ。」


「ん~、わかったわ。そうする。」


 じいちゃんの何か良くわからない言い回しでデイジーさんが納得した模様。俺は納得いかないけど、うまい躱しかたがわからなくて黙っていることにした。



 その日夕方の畑仕事も夕食も済ませ、デイジーさん、俺、じいちゃんで明日のことを相談する。


「デイジーさんも明日まではうちにいてね。顔色良くなって来たけど一人よりはじいちゃんと留守番してもらう方が良いと思うんだ。あんまり無理な運動はしないようにして。」


「そうね。精神的にお疲れの辺境伯様にはゆっくり癒されてもらわなくちゃいけないし。薪拾いの約束もしていたけど1人では運ぶのも大変だからヨウジさんと2人で行って軽めに集めて来るわ。」


「陸、ちゃんと晩方ばんかだには戻れよ。」


「うん。ライルに送ってもらうよ。なんか頼みたいことある?」


「いや、何もねえ。元気だらばそれでいい。」


 じゃあね、とデイジーさんは畑の見張りに小屋へ行き、俺たちは疲れもあってすぐ休むことにした。







 茶葉が朝日を受けて萌黄色に輝く頃、朝の畑仕事をしながら回復力の高い茶樹たちを見てほっとする。


「よかった。変に茎が変形するかとおもったけど元通りだな。お前たち、ほしいものはあるか?」


 いつものざわめきと弾むように揺れる葉。

『おみずにませき』『いのりのちから』『たっぷりえいよう』『どれもじゅうぶんある』


「いのりのちから?」


 何のことだろう。湧水を桶に汲んで運んでいるじいちゃんがにこにこして答えた。


「陸が話しかけることだろ?茶樹よ。おらにもわがったぞ。」


『あたり』『こえがつたわるのは』『いのりとおなじ』『こころがわかるの』『だいじにされてるのは』『うれしい』


 葉が弾むように揺れていたのは嬉しいからか。こいつら可愛い。


「そうかそうか、おらにでぎることだば何でもするすけ、心配事ある時は教えでくれ。」


 デレデレの下がった目尻でゆっくり水やりをするじいちゃん。昨日から声が聞こえるのが嬉しくて仕方ないのだ。


 朝食は暖炉で炙ったチーズとパン、干し肉と野菜を入れたスープで軽く済ませる。


 季節がだんだん秋に寄って来ているみたいで朝の空気がひんやりしている。

 ラフなワンピースを着て部屋を出ると朝食を済ませたデイジーさんが俺を見て、額を抑える。


「リクさん、ちょっと戻って。」


 部屋に引き戻されてしまった。


「デイジーさん?」


「貴女、16歳だったわよね? 流石に雑よ。いい? 胸に布巻くならもっとやり方があるの。ちょっと脱いで、やってあげるから貸して!」


「えっ?」


「良く見て自分でも巻き直し出来るようにするのよ? こうして胸の下支えて、肩にこうして交差させて、ね。これならただのワンピースだってグッと映えるわ。男装するわけじゃないんだからあんまり締め付けすぎちゃダメよ。まだ成長するんだから。」


 ただぐるぐる巻きにしていた下着代わりの布をスポーツブラみたいな形に巻き直してくれた。絶妙な巻き加減で苦しくないし、交差された分ちょっとだけバストアップ効果ありかも。まだ成長する? 本当に??


「デイジーさん。もう一度最初から教えてっ!」


「ふふ、任せなさい!」



 ※。.:*:・'°※。.:*:・'°☆※。.:*:・'°※。.:*

 


 リクを迎えに丘の上に転移する。畑を踏んではヨウジに叱られてしまうが襲撃されたという畑も心配だったので上空に転移した。浮遊したまま見てみると立派な樹になっている。

 このところ驚くことが多すぎて麻痺してしまうが、ヨウジがヴァンディと苗木を採取してからまだ10日ほどしか経過していない。この成長の早さははやはり神話の秘術と同じものなのだろうか。



 家の前に降り立ち、ドアをノックすると

 ヨウジの声がした。


「おぅ、へぇれ~。」


 気の抜けた返事に肩の力が抜ける。自分で思った以上に緊張していたようだ。

 中に入るとヨウジはカップを片手にくつろいでいる。


「おはよう、ライル。陸のごど、もうちっと待ってやれ。デイジーさんに支度のダメ出しされでるぁんだ。」


「ヨウジは今日は来ないのか?」


「おらは今日デイジーさんと薪拾いだ。試飲は陸が張り切ってでな。ライルの分は自分が淹れるって言わんさ。ま、楽しめばいいさ。あ、暗くなるぇに送ってぇよ? 泊まりは許さねぞ?」


「も、もちろんだ。」


 最後の一言にロザリアに似た圧力を感じて声が上擦ってしまった。

 ヨウジが声を張り上げてリクを呼ぶ。


「陸~! ライル来てるぞ~っ! 支度終わらねのがぁ?!」


「すぐいく~! デイジーさんありがとうっ!」


 元気な声が聞こえて振り返るとワンピースの裾を躍らせてリクが部屋から飛び出してきた。


「おはようライル!ごめんな待たせて。」


 顔を上げたリクの、胸元が大きく開いているのが目に入ってしまった。

 ゆっくりと斜め上に視線を外すと後ろから銀髪の女が慌てて追いかけて来る。昨日ジェフリーに殺されかけた護衛だと気づいた。


「リクさん!もうっ、前閉まってないわよ!ダメでしょう?終わらないうちに飛び出しちゃ!」


「えっ? あ!」



 ワンピースの胸元のリボンを結び直されたリクは流石に恥ずかしかったようで顔を赤らめながら私のそばに戻ってきた。


「お……お待たせ。」


「では、行くとしようか。」


 リクに手を伸ばそうとして、急に目の前がざらついた。この手が血に染まった過去の光景がよぎる。


 戸惑う私を見て、リクはしっかりと両手で私の手を包んだ。


「掴んでるから。絶対、居なくなるなよ。」



「ああ……。」


 きみは────どうしてこんなに私の心を射貫いてくるのだろうな。 

 私は今どんな情けない顔になっているのだろう。挑むような強い瞳に観念して瞼を閉じる。


 本当はこの手を引いて強く抱き締め、君の優しさにすがり、泣き出してしまえたら良かったのかもしれない。

 実際にできたのは転移前の浮遊で体勢を崩しかけたリクを支える振りをしてほんのわずかに引き寄せることだけだった。



 *….:*….:※。.:*:※。.:*:・*…:.*…:.


 迎えに来たライルが自分の手を見て顔が強張っていた。


 昨日の悲しい声を思い出して迷わずライルの手を握る。

 そんな遠い目するなよ。また急に居なくなりそうじゃないか。目を逸らさせないように掴んだ手を下げて顔を寄せる。


「掴んでるから。絶対、居なくなるなよ。」


「ああ……。」


 俺の言った言葉に返事をして金の瞳を揺らしたライルは目を閉じ眉を下げて微笑む。


 泣いているようにも見えるその表情を見ているとまた胸が痛んだ。

 ライルの手を離さないように一緒に転移する。

 浮遊する時、ぐらつく俺の腰に手が添えられてほんの少し引き寄せられた。


 暗く遠い目をするライルを癒す効果が、俺の淹れる茶にあったらいいのに。

 祈りを込めて掴んだ手を離さずにライルの胸にわずかに耳を寄せる。


 本当は『もう泣いてもいいから』って抱き締めてやれたらよかったのかもしれないけど、自分の心臓が早鐘を打っているのに気づいてやめた。これ以上はきっと張り裂けると思ったから。



 









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