第16話 おためしあれ

 ヨウジとの戦闘訓練を終えて屋敷に転移すると進み出た白いエプロンが視界に入る。


 結い上げた栗毛の髪、光る銀の髪飾り

 長い睫毛が少し震えている。


 恥じらいに頬を染めて、瞳は潤んでも視線は真っ直ぐに私を見ている。


「ぉ……おかえりなさい、……ませ……っ

『ご主人様』。」




 まってくれ───リク

 これは……無理だ。


 予想の遥か上をいく破壊力

 ロザリアに迎えられるのとは全く違う。


 ご主人様と呼ばれるのもなかなかクるものがあるが、なにより


『おかえりなさい』


 声が大きかった部分が胸の芯に刺さる。


 言葉の響きが耳に残って自分の頬に熱が昇るのがわかる。


 少し首を傾げているリクから冷した布を受け取り頬と口元を隠す。


『……笑うなよ?』

 そう言われていたが口元がついゆるむ。


 ああ、私の頬が赤いと気づいてしまったかもしれない。


 大きな目を見開くリクに、今まで言ったことのない返事をする。


「ただいま……リク」


 ボッと耳まで一気に、より濃い赤に染まるのを見るともう完敗だ。


 いくらも持たないだろう。腕の中に閉じ込めたくなる衝動に抗うのは。


 ヨウジとの訓練から戻るたび、この試練に打ち勝たなくてはならないというのは正直辛い。


 リクの可愛らしく染まる耳に小さく敗北宣言をする。


『お手柔らかに頼む。リクが可愛らし過ぎて身が持たないから。』


 アワアワと口の中でなにごとか文句を言いながら後退ったリク。耳を押さえたまま睨まれている。


 その後ろに満面の笑みのロザリアと、左手で目を覆うヨウジが見えて我に返る。


 ─────あぶなかった。




 *…:.*…:.*…:.*…:


 耳元に爆弾発言かましたライルを睨んで後退りする。


 おま、おまぇ、自分の顔面偏差値高すぎんのわかってやってんのかこの野郎っ!!?



 と言ってやりたいのを口の中だけで何とか押し留めた。


 下手に良い声だから始末が悪い。


 耳に反響して眠れなくなったらどうしてくれるんだ!!


 もう響きがのこっているせいで耳からも、顔からも昇った血が下がっていかない。



「ライル、汗かいだすけ風呂で流してぁんだども。何処だったか忘れでしもだんだ。」


「ああ、風呂か。そうだな私も行こう。」


 じいちゃんがライルを誘って風呂場にいそいそと向かう。


「リクさん。」


 ロザリアに声をかけられ慌てて返事をする。


「は……はいっ」


 振り返って見れば物凄く笑顔。


「素晴らしいです。」


「はい?」


 なにが?と首を傾げると微笑みに黒い陰が増す。


「設定は必要無かったようですね?

 貴女は正真正銘ぼっちゃまのお気に入り専属メイドですわ。」


 いやいや、なんでそうなる?

 ご主人様呼びにライルがちょっと照れただけでしょうが。

 で、天然タラシを発揮したライルが俺の耳元に爆弾を……って、思い出させないでくれ!


「この十数年ぼっちゃまにお仕えしておりますが頬を染める姿など初めて見ました。」


「え」


 そうなの? 取り乱しやすいたちだって聞いたのにちょっと意外だ。


「ぼっちゃまはわたくしが『おかえりなさいませ』と迎えても『今戻った』とか『ああ』などと言葉を返されることはありましたが、あのように取り繕う間もないほどに…………余程、動揺されたのでしょう。」

 

「そうなの、……ですか?でも偶々かもしれないでしょう?」


「フフ、ではその偶々が続くかどうか、試してみると良いですわリクさん。偶然も続けば必然ですのよ?」


「はあ。───試す……?」



 

 俺に毎回『おかえりなさいご主人様』やれって!?




 ───疲れた。

 じいちゃんたちが戻ってきたら着替えてサッサと帰ろ。


 帰って畑の苗木たちに水やりするんだ。


 その後、ライルと手を繋いで転移すると心臓が煩くて内臓の揺れが気にならなかったなんてことは天然タラシのこいつには絶対言わない。




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 夕方、朝より少しだけ葉数が増えた気がする茶樹たちにたっぷり水やりをしていく。


 ロザリアが土産に持たせてくれたサンドイッチとスープで夕食を済ませる。



 魔道具のランタンを貸して貰ったので食後は焙炉モドキ用の竹を編むことにした。


 小さな魔石3つで蛍光灯並の明るさになる優れものだ。


 じいちゃんがなんと森で檜を見つけてきてくれたので、枠は檜で作り熱のあたる部分


『揉み』の工程でいちばん使う部分を細かく編んだ竹で代用する。


 丁寧に細かく、目を詰めて隙間のないようにしていく。


 茶葉を揉む時に引っ掛からないように気をつけてなるべく均一に、イメージは1/3畳分のゴザくらいになるように編む。


 ガリガリ、カンカンと横でじいちゃんが蒸籠を作っている。


 どっちも繊細な仕事だから2人して黙々とやる。


 ふう、と一息ついた。これで半分くらいかな。


 横を見るとじいちゃんは俺が顔を上げるのを待ってたようで、


「陸、あどは明日にせぇよ。温けぇ茶淹れでやるすけ飲め。」


「ありがとう、じいちゃん。」


 俺がロザリアと出かけた時に買ったローストティーの茶葉を少し分けて貰ったので時々じいちゃんと飲んでいる。


 じいちゃんが淹れるとやかんを使わなくても美味い。やっぱり腕の差かなぁ。


「ハァ、温まる~。目と手の疲れも吹っ飛ぶよ。」


 じいちゃんも一口飲んで頷き、


「そのうぢこの一杯も緑茶でできるようになるな。」

 と、笑った。



 翌朝、微睡まどろみのなかで不思議な声を聞いた。


 風にざわめく葉擦れのような囁きで

 

『すごいね、ふえたね』『もっとかな』


『そう、もっと』『ずっとつなぐの』


『ほんとうに、ここはおもしろいね』


『むりはしてないよ、やさしいきみ』



 ぱちりと急に、瞼が弾けるくらいはっきりと目が覚める。


 朝日が昇って畑の露が陽光で乾いてもやになる時間だ。


 着替えを慌てて済ませ畑に走る。


「うぁぁぁ、なんだこれぇぇっ?!」


 苗木がもう茶樹と呼べる高さになっている。

 それどころか、土から太く根の一部がはみだしそこから新たに茎がのびて苗木を生み出している。

 こんな急成長したら絶対枝葉に無理が出る!

 茎や葉を急いで確認する。


「枝は……細くない、葉のツヤもいい……どういうことだよ。」


『むりはしてないよ、やさしいきみ』


 ベッドの中で聞こえた囁きを思い出す。


「まさか、俺に話しかけてたの……お前たちか?」


 ざわざわと風で揺れるだけで今は声は聞こえない。


「陸、おはよう。驚いだろ? この樹だぢは挿し木しねぇでも勝手に増えるつもりでいるらしい。こうなれば伸びる先の畝に堆肥仕込んでやるしかねぇど思わんだ。」


「じいちゃん、朝に声聞こえだ?」


「ん?なんのだ?」


「『ふえたね』とか、『ずっとつなぐの』『むりはしてないよ』って小さい子どもみたいな囁き声。」


「朝方早いうぢから畑に来てだすけ、声は分からね。ただやたらに葉っぱがざわざわしてだったなぁ。風はそんなに強く吹いてねぁんだども。」


「………そっか。」


「さ、だいぶ伸びでるすけ、たっぷり水やりしねばねぇ。堆肥は一番効きの良かった池の泥とちいせぇ魔石砕いて混ぜでおいたの用意した。茶樹の先に1歩間隔で土に仕込むか。」


 薬効効果は、最初の茶樹から葉を摘んで調べるから自発的に伸ばした苗木分の養分が足りなくならないようにしようということだ。


「うん、わかった。」



 無理なく成長出来るだけの環境を整えること。

 まごころを込めて茶樹に合わせた水分と栄養を与えること。

 葉や茎、根の状態を確かめること。


 もし、俺が茶樹と話せるようになったとしても、状態観察がしやすくなるってだけでやることは変わらない。


「な、お前たち。痛いとことか邪魔な石あったら取り除くからな。もう少し葉数ふえたらいくらか摘ませて貰うけど、絶対引っこ抜いたりしないから勘弁してくれよ。」


 ざわめく葉を見ると少し複雑だ。風もないのにこの動き……本当に通じてる気がする。


「さて、やるか。忙しぞぉ? 葉の増え方がこれでは蒸籠も焙炉も明日には完成させねばねぇからな。早くて試作は明後日だ。ライルに知らせで試飲してもらうか。」


 ビーに声を吹き込もうとしているとじいちゃんが

『ライル、試作の時にな回復薬を作ったことある人……薬屋っつうのか? 呼んでくんねぇかな。おらだぢのやり方も試しに見でもらいてぇ。誰かライルの信用でぎそうな人いればだけど。』

 と、言い出した。


 いるかなぁ口の固い薬屋さん。


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