第10話 ほしかったもの 2

 それからというもの、私は1日のほとんどの時間を外で過ごすようになった。


 初級魔法を覚え、短剣を使って森の浅い部分に住む魔物を狩り、鍛練を重ね力を付けた。


 父に会うたび戦い方や鍛え方を聞いた。

 少し困った顔つきでぽつりぽつりと教えたり向上したところがあれば褒めてくれる。


 父の強さ、無骨ながらも滲む優しさを感じるたびに強く憧れた。

 父のいる高みを目指して数年間、鍛練を重ね、家には眠りにだけ戻る日が続いた。



 朝日を受けて光る朝靄の中、打ち合う木剣の音だけが響いていた。


 音が止まった時、父が小さく笑った。


「はは……全く、俺のように成るなと言っても聞かぬのだからな。」


 父は呆れて、しかし嬉しそうに微笑んで言った。


「……止められても、私はやはり父さんのように成りたいのです。」


 父との手合わせで初めて1勝した日の朝、念願の冒険者になるため家を出ることにした。


「後のことを任せる。身体に気を付けて元気でいてくれ、ロザリア。」


「ライルぼっちゃま………お召しとあればいつでも馳せ参じます。わたくしにとってこの家に居るよりもぼっちゃまのお役に立つ方が重要ですので。」


「……わかった。父より安定して稼げる冒険者を目指すことにする。私が自身の屋敷を構えられるようになったらその時は力を貸してくれ。」


 荷物をまとめ使用人達に見送られ外に出た途端に後ろから声が掛かった。


「待て!ライル!」


 振り返ると双子の兄が揃って立って居る。


「アヴァロ兄さん……ベセルス兄さん……」


 兄達とはずっと話をしていなかったから、何を思って声を掛けられたのかと困惑して居ると良く見れば兄達の顔に浮かべられた表情にも焦りや苦悶、戸惑いなど複雑なものが見て取れた。


「……家を、出て行くそうだな。」


 アヴァロは私を真っ直ぐ見て言うが、額に汗が浮かんでいる。


「ええ、冒険者になります。」


「1人で生きて行けるの? ライルは……。」


 戸惑いの表情が色濃いベセルスは呟くと少し俯いた。


「まさか、今までも周りの人間に散々助けられてやっと生きていたのですよ?

 1人で暮らすようになるだけです。」


「……そうか……」


 2人とも何か言いたげだが、会話が続かない。

 母の言うままに育った2人とは接点が少なすぎた。傲慢な物言いではないので、もしかしたら私を気遣ってくれているのだろうか。


「アヴィ……あれを……。」

「ベシィ、わかってる。」


 ベセルスに促されたアヴァロは上着のポケットから小瓶を取り出して此方に渡してきた。

「これは……。」


 渡された透明な小瓶には琥珀色よりやや赤みの強い液体が入っていた。


「魔力回復薬だ。持っていけ。」


「高価なものなのでは……?」


「気にするな。討伐依頼中に魔力切れになるのが一番危険だと父様が言っていただろう。命は金では買えないのだ。」


 私がねだって聞いていた父の冒険譚に興味の無いふりをして実は2人ともこっそり聞いて覚えていたという。


「受け取ってよ、ライル。母様の手前、僕もアヴィも君に何もしてやれていないんだからさ。」


 砕けた口調でベセルスがそう言う。アヴァロは浮いた汗を布で拭い、それを握りしめて続けた。


「お前には辛い思いをさせてきた。母様に教養を身につけるよう言われて、学べば学ぶほど自分の振る舞いの酷さに気づくことがができた。皮肉なものだな……。

 母様は未だ暗い精神の沼から抜け出せずにいる。

 最近は私たちの声も耳に入らないことが増えているのだ。」


 母の金銭感覚が狂っているからこそ、それに漬け込む商人もいる。

 最近では父の稼ぐ報酬を超える請求が届く場合もあるらしい。

 母が2人の説得を聞かずに品物を購入する場合は、商人と交渉して手持ちの宝飾品と交換するか、アヴァロやベセルス名義の請求にするように話しているのだという。


「しかし……商人に言われたまま購入していたら兄さん達が多額の借金を抱えることになるのでしょう? 返済の当てはあるのですか。」


「私の適正職は薬師だ。さっき渡した魔力回復薬も実は手製でな。条件の整った材料さえあれば失敗はしない。」


「僕の適正職は付与術士。小瓶に劣化防止の術式を付与しておいたから長持ちするはずさ。

 同じようにアヴィが作った薬を付与付きの瓶に入れて少しずつ売れば借金も何とかなると思うんだ。」


「心を病んでいても可愛がって育ててくれたのは母様だ。父の討伐報酬とていつまで続くかわからん。私たちが支援しなくては今後の生活も立ち行かぬだろう。」



 2人の意思は固いようだが、母が次々に浪費してしまう状態が止まらなくては意味が無いと思えた。

 それに母が本当に欲しいものはきっと───。



 私は荷物の中から魔道具を取り出し、声を届けた。


 兄達には母の側についていてくれるように話して私は森を抜けた先の平原に向かった。




「来たか。」


 岩に座した背中から、振り返らずに呟く声。


「父さん。急な話に応じていただいてありがとうございます。」


「で? ミレーヌの件で重要な話とは何だ?」


 ゆっくりと振り返る父の眉間には深く皺が刻まれている。


「単刀直入に言います。母さんの心の病を治せるのは父さんだけだと思っています。母さんと話し合ってみて下さい。」


「俺が話をしたところで変わるとは思えんが……。もっと酷くなるかもしれん。」



「そう言って、試しもしなかったのでしょう? 母さんは父さんが冒険者になったのは神から与えられた職業のせいだと思っています。強くなったせいで母さんを見なくなったのだと……父さんに剣士の職を与えた神を恨んですらいる。」


「ミレーヌが、そんなことを……。」


「すみません、母さんが以前そう呟いていたのです。本当はもっと早く父さんに伝えるべきだった。

 私も母さんに自分の声が届かない悲しさから、記憶に蓋をするようにこの数年過ごしてしまいました。

 あれはせっかく母さんが発した意味のある言葉だったのに───。

 兄さんたちが話をしてくれなければ解らなかった。話を聞いて貰えないのはもう私だけではないのです。」


 兄達から聞いた母の様子を話すと、岩から立ち上がった父は駆け出した。




 後を追うと、私の前から駆け出した父はやはり真っ直ぐ家に向かっていた。

 母の側にいた兄達は父の姿を見つけるとさりげなく距離を取っていた。



 父は、母の前に跪いて手をとるとしっかりと目を合わせ、言った。


「準男爵の爵位を王家に返上する。俺はただの平民の冒険馬鹿になるんだミレーヌ。何にも貴族らしいことは必要ない。

 アヴァロも、ベセルスもライルも立派に育った。もうそれぞれ好きなことをやらせてやろう。

 ミレーヌ……もしお前が良ければ………。これからは、俺と一緒に来てくれないか? 危険も多いが気ままな冒険旅だ。贅沢はさせられないが、寂しい思いや退屈は絶対させない。」


 母はその言葉を聞いて、


「グレッグ───わたし、ずっと……そう言って欲しかった。」


 と、全身を震わせると父に抱きつき涙した。



 母を抱きしめる父がこちらに手招きした。

 兄達と共に近くに行くと、父は母の手を握りしめたまま私たちに頭を下げた。


「アヴァロ、ベセルス、ライル……すまない。俺はただでさえ父親らしいことはせずにこれまでミレーヌに全て任せきりでいた。そして今また勝手にお前たちの母を攫っていく大馬鹿者だ。恨んでくれて良い。」


「父さん、頭を上げて下さい。私たちのことは大丈夫ですから。」

「何も恨むところはない。母様を救ってくれたのだから、な。」

「うん……母様、本当によかった……っ。」


 顔を上げた母は涙で潤んだ紫紺の瞳をこちらに向けてゆっくりと私達の顔を眺めた。


「アヴァロ……ベセルス……。ライル……っ………ごめんなさい。こんなに立派に育った貴方たちを私、ずっと縛りつけてしまって。

 ……っライル……貴方には酷く冷たくしてしまったわ。本当にグレッグそっくりに成ったわね。」


 母が生きる光の灯った瞳で私を見ている。私の名を呼び微笑んでくれている。


「母さん。」


 ゆっくり震える手を差し出すと母は握り返してくれた。


「ライル……もうあなたの背丈の方が大きくなってしまったのね……。本当に馬鹿よね。大事な息子の成長をこの目で見ないなんて……っ。」



 抱き寄せられて頭を撫でられる。足りなかったものが満たされる気がした。


「母さん、私も父さんのような強い冒険者になるために旅に出ます。」


「ええ、いってらっしゃい。体に気をつけるのよ。」


 ほしかった言葉と母のぬくもりを感じながら心からの笑顔で返事をした。


「はい、いってきます。」



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